• 古く蝮をくちばみといった。毒を持つその長虫は、親の腹を食い破って生まれてくるという。戦国時代、非情なまでの下剋上を成し遂げ、「美濃の蝮」と恐れられた乱世の巨魁・斎藤道三。その血と策謀の生涯を、父子の宿命とともに描き出す、花村萬月渾身の新時代小説。


第2回

 

   04

 

 頭をさげる基宗に、現場指図の神人は嘲りの眼差しを隠しもしない。
「傘張りもまともにできなかったのだぞ」
 あっさり神人は背をむけた。傘張りもできぬ奴に油売りが勤まるか──と、すべてを言わずともその背が告げている。基宗は背中で(わら)うという遣り口もあるのだと逆に感嘆に近い思いである。
 神人の気持ちも至極当然であるといった面持ちにて、峯丸をおんぶしたまま基宗はその場に立った。人々は一見のんびり立ち働いている。重労働である。気張りすぎれば、すぐに立ちゆかなくなってしまうのだ。
 あたりには巨大な(かま)が二十ほどもあって、干した種物を巨大な熬鍋(いりなべ)にて丹念に熬る。竈に薪をくべる者たちは(ふんどし)さえも取り去って全裸である。風呂でほどよく温まれば睾丸などだらしなく垂れさがるものであるが、それもあるところまでで、烈しい輻射(ふくしゃ)熱で男たちの(しるし)は軀の中にほぼ潜り込んでしまって見る影もない。
 台の上の熬子が船の()に似た巨大な杓文字を全身で操って、油脂のせいで妙に艶やかな漆黒の鋳鉄の熬鍋の胡麻を焦がさぬように掻きまぜる。その姿は身悶え、あるいは得体の知れぬ終わりのない舞踏を想わせる。攪拌される胡麻の動きは楕円を描く大津波だ。
 基宗は風向きを勘案して、熱気が峯丸を襲わぬよう南側に移り、すっと立って人々の働く姿を見つめる。あたり一面に漂う香ばしい熬胡麻の匂いで軽い目眩がおきていた。あのまったりした胡麻のこくがよみがえって(よだれ)も湧きあがっていたが、薹が立っていたとはいえ母子草でそれなりに腹を充たしていたおかげでその眼差しに見苦しい食慾をあらわにせずにすんだことに控えめに安堵していた。
 荏胡麻などは胴突きと称する水車の回転を動力とした杵と臼にて細片化するなどの省力化が進んでいるが、胡麻は貴重品である。余さずに搾りとるためにかなりの工程が必要である。熬られた胡麻は人力にて臼を踏んで叮嚀に細かく擂られ、さらにこれまた巨大な蒸籠に投入されて蒸される。荏胡麻は長木と呼ばれる梃子てこを用いて強引に搾りとるが、胡麻は大切に扱われ、蒸しあがったものを袋詰めにして重しをかけて、時間をかけて念入りに搾られる。まだ午前なので、袋詰めの工程にまでは至っていないが、漠然とではあるが油づくりの工程を見知っていることに基宗はちいさな笑みを泛べた。
 笑んでいる基宗をさりげなく見やり、神人は赤銅色の頰を歪めた。
 やれやれ、まったく鬱陶しい。これ見よがしに餓鬼なんぞおぶいやがって余裕みせて笑ってやがる──と、心底から基宗を嫌悪しているのである。
 当然ながら仕事の邪魔だと怒鳴りつけ、邪険に追い払いたいところだが、それを躊躇わせるなにものかも感じとっていて、だからこそ苛立ちを抑えきれず、引き攣れ気味の渋面にて時折唾を吐く。川石の上に散った唾は、たいして時間もたたぬうちに蛞蝓(なめくじ)の這った痕に似た白銀に乾き果てる。
 太陽がじわじわと動いていき、影を短くして頭上に居座り、基宗を灼く。峯丸を気遣って基宗はおぶうのをやめ、日射しに背をむけて胸に抱きこんで影をつくり、その様子に細心の注意を払っている。下働きの者に頼んで折々に水を与えているので、さしあたり大丈夫であるようだ。
「峯丸よ、(ふくら)(はぎ)()りそうだ」
 顔を近寄せて小声で囁き、ぼやきがにじんだ表情を笑みで覆う。峯丸の水分は足りているが、基宗は脱水で全身に小刻みな痙攣(けいれん)がおきていた。あえて木陰にも入らず、朝からひたすら立ち続けていた。とりわけ痙攣が顕著なのが脹脛である。底意地の悪い天は、この年初めてあからさまにした真夏の黄金色に燦めく日射しを容赦なく地面に叩きつける。
 神人は、顔を(しか)めるのも面倒になり、ひたすら無視していた。立ち続ける基宗に不気味なものも感じていた。だからこそ基宗がこの場にいないかのごとく下働きの者に指示し、いつもより口煩く指図した。
 やや日が西に傾いたころ神人は唐突に空腹を覚え、基宗のせいですっかり調子が狂った──と苦笑い気味に稗の団子の包みを手にとった。基宗が咳払いし、近づいてきた。
「厚かましくも(かたじけな)いことですが、その団子、ひとつ頂けますでしょうか」
 神人の眉間に険が刻まれる。
「なにゆえ、おめえに食わせねばならぬ」
「いえ、私ではなく、この子に」
「乳飲み子ではないか」
 そこで神人は初めて峯丸の貌をしげしげと見つめ、なにやらひどく(あき)れたような一瞥を投げ、あらためて峯丸と基宗を見較べ、峯丸に視線を据え、その貌に一瞬、臆したような気配を泛べて嘆息した。
「まず間違いなくおまえの子ではあるな」
「はい。恥ずかしいかぎりですが、女房に逃げられまして、私はこの子を育てねばなりませぬ。団子は私が食べるのではなく、この子に与えます。よーく咀嚼して、どろどろにしたものをこの子に与える所存です。与え尽くして口中に残ったものは私の滋養となるが故に、威張れるようなものではございませぬが、兎にも角にも峯丸の腹を満たしてやりたくて、こうしてお縋りしております」
 神人は口をすぼめ、探るような上目遣いで呟いた。
「──おめえ、あの居丈高な物腰をどこに打ち遣りやがった」
 ずっと笑みを絶やさなかった基宗が、このとき一呼吸おいて、はじめて咽を鳴らした。ぐっと奥歯を噛みしめて中天を仰ぐ。
 (こら)えに怺えたあげく、ついに怺えきれずに小刻みに顫えた。しばし凝然としていたが、目を見開いたまま悲哀を外に洩らすまいときつく唇を結び、潤みきった眼差しを隠さず、神人に視線をもどす。
 それでも基宗は笑んでいた。
 いまにも落涙しそうな基宗の笑顔に、神人はぎこちなく横をむいた。
 一瞬、陽が陰り、河原から川面に雲の影が疾る。
 下働きの者たちも仕事の手を止め、神人と基宗、そして人形じみた美しさの赤子を等分に見つめ、固唾を呑んでいる。

 

 

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