• 古く蝮をくちばみといった。毒を持つその長虫は、親の腹を食い破って生まれてくるという。戦国時代、非情なまでの下剋上を成し遂げ、「美濃の蝮」と恐れられた乱世の巨魁・斎藤道三。その血と策謀の生涯を、父子の宿命とともに描き出す、花村萬月渾身の新時代小説。


第2回

 

 神人が黙って団子の包みを差しだした。けちがついたからすべて呉れてやる──と投げ出すように言うと、基宗の貌が輝いた。失礼致しますと断って地面に座り、胡坐のくぼみに峯丸を安置して基宗は稗の塊を丹念に咀嚼しはじめた。その顎、そして蟀谷の動きに合わせて下働きの者たちの軀が微かに揺れる。充分噛みしめた基宗が峯丸の顔に覆い被さるように上体を倒すと、一斉に安堵の吐息が洩れた。
 峯丸が満たされるまで待って、神人が声をかけた。
「薄気味悪かった」
「と、申されますと」
「あたりめえじゃねえか。朝っぱらからいままでずっと棒立ちでよ、なにをしてやがるかといえば、ひたすら餓鬼をあやしてやがる。それが妙に物静かで、薄気味悪かったってんだよ。しかもだぞ、餓鬼も泣きもしねえ。それはともかくよ、なーんにもせんで、よくもひたすら立っていられるものよ」
「仕事をいただこうというのに座して待つというのはいかにも()(しつけ)
「そうまでして油売りになりてえか」
「ここしかお縋りするところがございませぬがゆえ」
「ふーん。北面の武士がずいぶんと追い詰められたものだな」
「はい。己の身の程を思い知らされました」
「どうしたってんだよ。なんなんだよ。まったくおめえらしくねえぞ。なんで、そこまで下手に出られるか。なんでそこまで(へりくだ)るか。こないだまでのおめえはどこに消えたか。やれやれ完全に己を棄ててかかっておるではないか」
「と申されますが、決して投げ遣りになっているのでは御座いませぬ」
「気持ち悪いんだよ。こないだまでは横柄に見下してたくせによぉ」
「そんな己を、心底から恥じております」
「心底ときたか。なぜ、そこまで頭をさげられる」
「──この子は、私の命ゆえ」
「どんなに綺麗だって餓鬼は餓鬼だろうが。まずは手前の命をきっちりあれするのが当たり前じゃねえか。おめえ、なぜ、団子を残した」
 答えがわかっていてあえて問いかけているのである。基宗は照れたような笑みと共に峯丸を一瞥した。
「酔狂なもんだ」
「繰り返しになりますが、見苦しい姿を恥じております」
「ああ。まったく見苦しい」
 神人は横柄に頷き、成り行きを見守っている者たちにむけて持ち場にもどれと怒鳴りつけ、己の頰を張ってまとわりつく藪蚊を叩き潰し、峯丸を一瞥して、喰われてはいねえようだな──と独白し、掌に散った汗まじりの自身の血に視線を据えてから、黒目を上にむけて思案した。
「施しじゃねえ。仕事だ。わかるよな」
「はい」
「権利が売り買いされることも、わかってるよな」
「はい」
「すなわちみょう)()(きん)が要るということだ」
「冥加金──」
「毒気を抜かれたようだな」
 基宗は寂しげな笑みを泛べる。神人は睨むように基宗を見つめる。この男の感情は、すべてが頰笑みに収束してしまう。いったい何があったのか。女房に逃げられるなど日常茶飯事といっていい。逃げたり逃げられたり、くっついたり離れたり。もてあませば子殺しなど当たり前でもあった。
 親も子もない。まずは自身の生存がすべての前提である。それが、まさに我が子のためにこうして尋常でない骨折りをして、笑んでいる。泣き落としたり押しつけがましく迫りもしないかわりに、いかに無視し邪険に扱おうとも諦めるでもない。
 頰笑み──。
 ずいぶん始末に負えぬ遣り口を編みだしたものである。ならば俺も頰笑みで応えてやろうと、神人は冷たく酷薄な笑みを泛べ、猫撫で声で囁いた。
「立て替えてやってもいいよ」
「お願いできますか」
「おっ、前屈みじゃねえか。また、ずいぶん勢い込みやがったな」
「お願い致します」
「お願いされちゃあな、ここで断ったら男がすたる。が、俺もそこまで甘くはねえ。ゆえにたっぷり利銀をいただくぜ」
 結局は皆が作業の手を休めて聞き耳をたてていた。それに気づいた神人は舌打ちし、唇の端を歪めた薄笑いを崩さずに基宗に顔を寄せて耳打ちした。
 どれくらいの利子を要求したのか。銭金に関しては悪辣にして性悪で知られた神人である。肝心のところが内緒で、皆が()れた。幾人かが貧乏揺すりをしたほどである。
 神人が顔を離すと、基宗は峯丸を地面に安置し、地面に(ひざまず)き、神人に両手を合わせた。神人が怒鳴りつけた。
「見苦しい。やめやがれ。てめえは俺の紐付きになっちまったんだからよ。せいぜい搾りとってやる。種物を搾って拵えた油を売る油売りが、搾りとられて搾り(かす)。とんだお笑いだぜ。そうだろ」
 基宗は頰笑みを泛べたまま地面の峯丸を抱きあげ、両脇に手を挿しいれて掲げ持つようにし、神人にむけた。言葉がわかるようになったら、今日の御恩をせいぜい言い聞かせます──と、感謝をにじませると、峯丸の貌が笑みで覆われた。
 神人の喉仏がぎこちなく動いた。頰が引き攣れた。その引き攣れを掌でぐっと抑え、峯丸を凝視し返す。
「親が親なら、子も子だ。なんて嫌な笑顔なんだ。嫌がらせか」
 基宗は小首を傾げ、顔を突きだして峯丸の貌を覗きこんだ。
「笑わぬ子だったのですが」
「だとしたら、余計に腹黒い」
「気分を害されましたか」
「餓鬼だから怒るわけにもいかん。俺だって分別の欠片くらいは持ち合わせてるわい」
 神人はさりげなくまわりを取り囲んだ者たちの表情を窺う。案の定、皆、峯丸の頰笑みに骨抜きにされていた。見事に仕込んだものよ──と皮肉を基宗の耳の奥にぶち込んでやりたくなったが、よくよく考えればまだ無垢の年頃である。事の成り行きなど判じているはずもない。短く息をついて、ついてこいと横柄に顎をしゃくる。

 

   *

 

 後々、折々に基宗は皆から囲まれて、いったいあの()懸者(かけもの)にどれくらいの利銀を要求されたか──と尋ねられた。そのたびに基宗は力むことなく、こう答えた。
「まずは私と峯丸の営みが立ちゆくよう冥加金には過分な額をお貸しいただいて、しかも有る時払いの催促なしで御座いました」

 

コメントは受け付けていません。