• 古く蝮をくちばみといった。毒を持つその長虫は、親の腹を食い破って生まれてくるという。戦国時代、非情なまでの下剋上を成し遂げ、「美濃の蝮」と恐れられた乱世の巨魁・斎藤道三。その血と策謀の生涯を、父子の宿命とともに描き出す、花村萬月渾身の新時代小説。


第2回

 

   05

 

 

 一年強ほどたって子連れの油売りが軌道にのり、それどころか京の街で評判を呼ぶようになったころである。
 残暑厳しき朝だった。大きく揺れた。現在の表記でいえば、京の都は震度五くらいであったか。震源は東海道沖であり、南海トラフ巨大地震である。甲斐や駿河、伊勢などは震度七ほども揺れた。
 即座に基宗は峯丸を抱きこみ、地面に軀を丸めてしのいだ。京の実質的な被害は賤民たちの荒ら屋が潰れたのに加えて興福寺の地蔵堂の(ひさし)の崩壊が目立った程度ではあったが、たとえば鎌倉では大仏殿が倒壊し、仏が現在のような露坐となり、高さ十メートルほどの津波に襲われた大仏周辺では二百名ほどが溺死した。我々がお詣りする鎌倉の大仏様は野晒しだが、じつは奈良の大仏と同様、高さが四十メートルほどもある巨大な大仏殿があったのだ。駿河湾岸では水死二万六千の記録も残されている。また浜名湖はもともと淡水湖であったが地震による崩落と津波で海とつながり、このときに汽水湖となった。
 揺れを大過なく遣り過ごした基宗と峯丸であったが、後に明応大地震と称されるようになったこの地震をきっかけに、久々に基宗の胸を昂ぶらせる出来事がおきた。
 伊勢(いせ)(しん)()(ろう)の名は、西岡(にしのおか)に居を構えていたこともあり時折耳にしていた。もっとも単に名を漠然と知っていたという程度であり、伊勢の名がいっしょであるから、一昔前に幕府政所執事として多大なる権勢を誇った伊勢貞親(さだちか)となんらかの関係があり、西岡()(かん)(しゅう)絡みなのであろうと推察して、俺には関係のないことである──と、聞き流してきた。実際、西岡に関わっていたころの伊勢新九郎は得体の知れない人物であり、目端のきく単なる浪人者というのが基宗の周辺の者たちの認識であった。
 京の間近であり、陸運水運の要衝の地である西岡は、情報をものにするには抜群の地であるとはいえ、その気がない者にはすべてが素通りだ。妙法蓮華経の智識だけは人一倍であったけれど、世の流れから取り残されて、しかもどこかで世情と関わらぬことを超然としていることと混同して斜に構えていた基宗であるから、明応大地震のあと、唐突に伊勢新九郎の名が巷間(こうかん)の噂となって駆け巡った当初は気にもとめなかった。
 が、油を売り歩いているさなかに否応なしに入ってくる市中の噂が徐々に基宗の心を侵蝕してきた。西岡絡みの男がなぜ、いきなり伊豆のあたりに登場したのか、その前後もよくわからないだけでなく、伊豆とはどのあたりかということさえ判然としないのだが、妙に気になってしかたがないのは、やはり基宗が大地震に肝を冷やし、峯丸を守ろうと必死になったからであろうか。
 というのも己と我が子の保身に必死であったときに、巷の噂では伊勢新九郎こと後の(ほう)(じょう)早雲(そううん)はこの大地震を利して、己も甚大な被害を受けていながら、手許に残ったごく少数の手勢を率いて、同じくこの地震で二進も三進もいかなくなっていた堀越(ほりごえ)()(ぼう)茶々丸(ちゃちゃまる)とやらをかなり派手に叩きのめして伊豆国に武威を示したという。実際のところは、堀越公方云々は地震以前なのだが、現実と遊離した長閑(のどか)な感覚の持ち主である基宗にしてみれば天変地異を攻めの機会に変えるという発想がなかったことから、じつに新鮮に感じたのと、それからたいして経たずに北条早雲が鹿狩りを口実に軍勢を動かして小田原城を奪取してしまったということを耳にしたからである。
 天晴れというかなんというべきか、北条早雲は地震の被害で皆が息を潜めて動かぬときに、残された少数の配下を用いて伊豆に攻め入ったばかりか、直後に城を奪ってしまったというのである。
「早雲、なんと小田原城主が病死したとたんに、跡継ぎの大森なんたらにあれこれ贈り物をしたそうな」
「油断させるために」
「そうなんだな。で、地震の直後、大森にねだったわけよ」
「ねだる。なにを」
「それがな、伊豆の山中にて鹿狩りしたのだが、当家の勢子は駄目な奴ばかりで、無能の極み。大森様の御領内に大量の鹿を逃がしてしまいましてな、てなことを()かしてな」
「──領内に立ち入ることを求めた」
「そういうこと。なにせさんざん贈り物を頂いているし、あれこれ(くすぐ)られてもいる。しかも、だぞ。鹿だけに、しかも」
「ははは」
「も少し受けてくれないと。ま、いいか。しかも、もともと鹿は早雲の領内に棲んでいたものだし、それを取りもどすくらいかまわぬ──と大森も鷹揚なところをみせたわけだ。あるいは地震で被害が出ているから鹿どころじゃないといったところか。で、早雲は、ならば箱根あたりにそうっと立ち入らせていただきますと低姿勢、でもよ、よーく考えてみろ。大地震のあとに鹿狩り云々ってのは」
「いやはや、うまく言いくるめられたにせよ大森某も暢気なものですなあ」
「まったくだ。で、早雲は配下に勢子の恰好をさせて、さらに伊豆国中の牛を千頭ばかり徴用したってんだ」
「牛。また、なんで」
「夜半、こういう具合に牛の両の角に松明(たいまつ)を括りつけてだな、箱根の山中から東に、小田原城にむけて駆け下らせたんだ」
「千頭の牛の角に松明──」
「二千本の松明って勘定か。いやはや度肝を抜かれただろうな大森は。燃え盛る焔の帯が山肌を駆け下ってきて、銅鑼(どら)や太鼓や(かね)法螺(ほら)、早雲も配下も途轍もない大音声を発してもう大騒ぎ。幾万もの敵が攻め寄せてきたがごとくだ」
「疾る無数の焔、舞い散る火花、目に泛びまする。さぞや凄まじい眺めであったことでしょうな」
「まったくだ。頭に松明を括りつけられてるんだから、牛も必死だ。で、千頭もの牛が大地に蹄を叩きつけるんだからな。地鳴りなんてもんじゃないだろう」
「壮麗にして壮大ですな」
「油売り、恰好いいことを言うじゃねえか」
「地が出てしまいましたかな」
「吐かしてろ、子連れが」
「で、城攻めは」
「おう。早雲は城下のあちこちに放火しつつ攻め寄せて、大森が必死に城から逃げ出したところを、あっさり奪取」
「城というもの、そのように簡単にものにできるのですなあ」
「いまだかつて、こんなことをした奴はいないだろう。早雲が初めてだ」
「──勝てばいい。奪えばいい。そういうことですか」
「まあな。どう、思う」
「私もそうありたいものですが」
「そうか。そうありたいときたか。俺は、こう思うんだ。これをきっかけに、戦乱の世がくるのではないかと」
「戦乱──」
「ま、俺が言ってるだけじゃない。こういう遣り方が罷りとおる時代に入ったのだと、したり顔で言う奴が多い」
「時代は、変わる」
「だな。なにやらいよいよ焦臭(きなくさ)い。戦乱、乱世、戦国──。ちなみに早雲が駿河に流れ着いたのが五十五のころで、小田原城をものにしたのが六十四歳とのことだ。いやはや、やるもんだ。歳と関係ない男の見本だ」
「六十四歳」
「ああ。六十四で城盗りだ」
「隠居の歳で、凄いものですな。本音であやかりたいものです」
 男と基宗の視線が柄杓(ひしゃく)に注がれる。基宗がにこりと笑う。もう一滴も滴り落ちない。基宗が柄杓を引くと、男も納得して頷く。
 無駄話に時をすごすことを『油を売る』という。このころ油は貴重品であり、しかも粘性があるので買うほうは最後の一滴まできっちり器に移してほしい。そこで油売りはもう滴り落ちぬまで客とあれこれ当意即妙の遣り取りをして納得させる。油の売れ行きは、油の質よりもなによりも油売りの話芸にかかっているようなところがあった。
「しかし六十四ですか」
「また、えらく感じ入ってるじゃねえか」
 基宗は笑みをかえした。地震に乗じ、鹿狩り云々で相手領に這入り込むことよりも、牛に松明よりもなによりも、早雲、六十過ぎということが基宗に感銘を与えていた。胸に沁みいった。西岡では多少名が知られた男ではあったようだが、有り体にいってしまえば得体の知れない浪人がいきなり世上の噂の前面に躍りでてきたのだ。それに引き換え、俺は人生を諦めてしまっている──。
(とと)、とんぼ」
 まだ二語文の段階だが、峯丸はずいぶん喋るようになっていた。油売りとしては喋りが苦手な基宗が、それなりに売り上げているのは、まずは相手の気をそらさぬ受け答えといったところか。だが、なによりも基宗の整った顔立ちが女房たちに大人気なのと、白磁の人形のごとく美しい峯丸が近頃とみに愛嬌を振りまくようになったことにあった。
 基宗は担ぎ荷をおろし、反縄をほどいて峯丸を地面におろしてやった。峯丸はつんのめるようにして赤蜻蛉を追って歩く。勢いあまって転んだ。一休みするために地面に直接座していた基宗は膝に手をついて立ちあがり、泣き騒ぐ峯丸を背後から抱きかかえて起こしてやる。どこにも擦り傷がないことを確かめて、天秤棒に赤蜻蛉がとまっているのを示してやる。とたんに泣きやんだ。
 しっ──と父は口の前に指を立て、子は涙で濡れた頬を西日で輝かせながら期待に息を詰める。父が指先をくるくるまわすと、蜻蛉は小首を傾げるようにして翅から力を抜いたが、次の瞬間、すうっと飛び去った。

 

 

〈次回は6月20日(水)頃に更新予定です。〉

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