• 古く蝮をくちばみといった。毒を持つその長虫は、親の腹を食い破って生まれてくるという。戦国時代、非情なまでの下剋上を成し遂げ、「美濃の蝮」と恐れられた乱世の巨魁・斎藤道三。その血と策謀の生涯を、父子の宿命とともに描き出す、花村萬月渾身の新時代小説。


第3回

 

   07

 

 声聞師村は散所(さんじょ)村とも呼ばれていた。(さん)(しょう)大夫(だゆう)の散所である。(つち)()(かど)内裏の(たつみ)の方角、万里小路に面したあたりにあり、境界としての(しるし)であり、自衛のためでもある頑丈な塀に四方を囲まれていた。言国(ときくに)(きょう)()正親(おおぎ)(まち)万里小路散所とあり、数千人規模という意味の記述も残されているが、地図等をもとに村の大まかな面積を勘案すると、住人の数はいささか誇大である気もする。ともあれ基宗と峯丸が棲処を与えられた声聞師村は相当の規模であった。
 これは後の話になるが、天文法華の乱の際には法華宗の一揆勢と戦うほどであったとのことであり、資料的なものが残されていないので連合していた相手を断定できないが、相手が法華であることから一向一揆の勢力と連携していたとの推測もあながち的外れでなく、芸能の村と侮れぬ武力を擁していた。一方で応仁の乱以降荒廃して野畠と化した土御門四丁目に占有の広大な畠地も持ち、麦などの作物を育てていた。声聞師の村に限らず禁裏周辺にこのような集落が数多くあったことが示唆するものは興味深い。
 本来、芸能とは無関係の基宗と峯丸であったが、声聞師村では、ありすけ大夫の配下におかれていた。本来は村に無縁の油売りを受け容れた時点で、美貌の峯丸を現代でいうところのスターに育てあげようという大夫の気の長い意図があったのだ。芸能において容姿端麗は芸事の才と共に最重要事項である。たとえ峯丸に芸の才能がなくとも、(ぬき)んでて才のある村の女を(えにし)につければ、その容姿を芸達者な子に伝えることができる。
 当然ながら基宗は大夫の思惑を感じとってはいた。だが素知らぬ顔で日々を過ごしていた。一度は自死を覚悟したことのある父は、意外に(したた)かであった。
 父子が油を売るのはおおむね昼過ぎからであり、なおかつ黄昏時の前には声聞師村の居屋にもどってきていた。暗くなれば峯丸を腕枕してやり、ありとあらゆる物語をそのちいさな耳に囁きかけてやる。日が昇れば読み書き諸々じつに叮嚀(ていねい)に教えて、昼まで過ごす。雨が降れば一日中こもりきりである。油売りは二の次であった。
 とはいえ売り上げはなかなかのもので、神人(じにん)も口ではもっと稼げと叱咤しつつ、それはまさに口だけであり、どうしたことか峯丸が仕込みの年齢に達しても、ありすけ大夫も芸事の修練を押しつけるでもなく、優雅な油売りを黙認していた。
 父と子の穏やかな日々が続き、峯丸は六歳になっていた。勉学もだが、環境ゆえに曲舞や手猿楽なども見よう見まねながら巧みにこなし、末は宮中や仙洞(せんとう)にて演じることができる逸材と捉えられはじめていた。
 もっとも父も子も、それらの芸事は、演じられぬよりは演じられたほうがいいくらいにしか思っておらず、特段熱を入れて修練に励むわけでも教えを請うわけでもなく、峯丸は当時の子供としては屈託のない日々を過ごすことができていた。
 六月下旬、夏の盛り、応仁の乱で焼失した(りょう)(あん)()の方丈が再興され、虎の子渡しと称される石庭がつくられた頃である。ありすけ大夫は地面に落ちた無数の羽虫を一瞥し、はてどういうことかと小首を傾げ、洩れ聞こえる声に耳を澄ます。 ──しいわく、たいはくはそれしとくというべきのみ、みたびてんかをもってゆずり、たみえてしょうするをなし。
 論語であろうと当りを付ける。なぜここで論語か。論語に限らず、飯の種にもならぬことを飽きもせず毎日毎日よくも続けるものである。教える基宗はともかく、遊びたい盛りなのにいやがりもせずに四六時中学び続ける峯丸は尋常でない。ありすけ大夫にとって羽虫の大量死よりも不可解である。それでも肩をすくめ、羽虫を踏みつけにして峯丸の素読の声を追う。見事な抑揚があり、その律動に合わせてありすけ大夫の肩が揺れる。
 季節柄、開け放しであるから基宗が気付いた。その気配に集中をやぶられた峯丸の声がとまる。済まぬ、済まぬ、相済まぬ──とありすけ大夫が口先だけで謝罪し、基宗を手招きし、地面を覆った羽虫の屍骸を示す。基宗が呟く。
「羽虫はいっせいに生まれ、いっせいに死するものですが、それにしても──」
 南風に力なく揺れる無数の半透明の銀の(はね)を見やる。ありすけ大夫が頷く。
「多すぎるわな。しかも朝方はなかった」
「凶事の前触れでしょうか」
「どうじゃろう」
 峯丸がでてきて丁重に頭をさげた。その瞳には大夫に対する敬意と親愛がにじみでている。ありすけ大夫の皺だらけの顔が満面の笑みに覆われて、その目が一本の皺と化す。その笑みを崩さずに手で促すと、峯丸は名残惜しげな眼差しを大夫に注ぎ、ふたたび頭をさげ、素読にもどった。
 基宗はありすけ大夫がなにか言いたいことがあるのだと察した。あえて羽虫の屍骸の多いところを選んで歩くありすけ大夫に従う。基宗も大夫と同様、足裏で潰れる無数の屍骸のぷちぷちした感触を意識せずに愉しんでいる。
「すばらしく賢い子じゃ」
 ありすけ大夫のぼそりとした呟きを、基宗は否定しなかった。しばらく無言で歩き、川風にのって水の匂いが感じられるあたりで、ふと大夫が振りかえった。

 

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