• 古く蝮をくちばみといった。毒を持つその長虫は、親の腹を食い破って生まれてくるという。戦国時代、非情なまでの下剋上を成し遂げ、「美濃の蝮」と恐れられた乱世の巨魁・斎藤道三。その血と策謀の生涯を、父子の宿命とともに描き出す、花村萬月渾身の新時代小説。


第4回 

 

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 一条之南北如荒野(こうやのごとし)、焼死者不知其数(そのかずしらず)、前代未聞之大火事也──明応の大火は七月二十八日の(さる)刻、柳原から出火し、翌日未明、ようやく鎮火した。焼失戸数四万超、場所によっては(つち)()(かど)大路を越えて近衛(このえ)大路あたりまで延焼したが、声聞師村は隣接する土御門(ひがしの)洞院(とういん)殿──土御門内裏が防火障壁となって焼失を免れた。蛇足ではあるが、この北朝歴代の皇居であった里内裏が現在の京都御所の始まりである。
 鎮火した翌々日、基宗は焼亡の現場に出向くことにした。自身が生まれて初めて目の当たりにした大火事と、その結果を峯丸が知りたがっていることも感じとっていた。柳原散所の知り合いが生きているかどうかは判然としないが、用意できるだけの食糧を担いで家をでた。
 下京を中心にまわるにせよ油売りの仕事は幾日か控えることにしていた。火事と油は切っても切れぬ夫婦仲のようなもの。たとえ灯火の不始末が原因でなくとも、出火したあとは、被害が及ばなかった地域であっても微妙に売れ行きが落ちるのだ。ましてこのような大火の後である。
 もちろん焦土を目の当たりにしたからといってこれからの商いの筋道が立つはずもないが、罹災してない場所に商いに出向いた折に様子を語ることができる。家屋を喪い、死した者に対しては不謹慎ではあるが、油を売る接ぎ穂に役に立つ。灯油の扱いに対する注意にも熱が入るというものだ。火を粗略に扱えばどのようになるかを峯丸にきっちり教え込むつもりでもあった。
 とはいえ父は子に甘い。そっと差しだされた手をしっかり握ってやり、峯丸の歩調に合わせて歩いてやる。武士の意地といったものはとうに消え去っていたから、熱心に学問を教えはしても、武張った事柄とは無縁であった。子煩悩の父丸出しである。峯丸は基宗にぴたり身を寄せて満面の笑みだ。
 峯丸は基宗からみても内向的なのか大胆なのかよくわからないようなところがあった。基本的には内省がまさっており、あまり出しゃばらない。けれど必要とあらば(もの)()じせずに遣り合うことも(いと)わない。子供とは思えぬ理詰めなところがあり、けれど相手にそれを悟られる前に情の豊かな面をあらわにして籠絡してしまう。
 ほとんど喧嘩をしないが、するとなれば、ありとあらゆる手段を講じて勝つまでやめない。相手を卑怯卑劣な罠に陥れても罪悪感とは無縁で平然としている。諫めるべきか許容すべきか悩ましいところだが、乱世を生き抜くためにも角を()めて牛を殺すことがないようにと基宗は割り切りはじめていた。言うまでもなく、ありすけ大夫(だゆう)が峯丸を肯定してくれたことも大きく影響していた。
「摘み枯らす、とも言うしな」
 父の独白が自分に関することであることを察知した峯丸が控えめに見あげると、基宗は握った手にぎゅっと力を込めた。
「思うがままに生きよ」
 ありすけ大夫が見抜いたとおり峯丸には尋常ならざる表裏がある。情に厚い一方で、見切った相手に対する薄情さは顔を背けたくなるほどだ。安易に外にださぬ賢明さはあるにせよ、好悪もじつに烈しい。
 けれど峯丸は基宗に全幅の信頼をおき、裏切ることがない。それどころか基宗に対しては滅私の気配さえある。居屋周辺の清掃や居室の整頓ぶりは村でも有名なほどだが、そのすべては峯丸の心遣いだ。油桶を担ぐことこそできぬが、いまでは油の準備から客のあしらい、銭のやりとりまで峯丸がほとんどしてくれる。基宗が命じてさせているのではない。峯丸の自発である。
 また自身が嘲弄されても見事な笑みで遣り過ごして意に介さぬ一方で、商いの上であっても基宗を侮辱する者があれば、普段の愛想や怜悧さは即座に消え、顔色を白くして挑みかかる。近くに刃物でもあれば相手を刺しかねぬ勢いである。
 乳飲み子だったころの記憶があるはずもないが、父が命がけで己を守り育てたことを肌で感じとっているのだ。
 この世界に、父と子のふたりだけ──。
 だから峯丸が手を差しだせば(うるさ)がらずに即座に握ってやる。なにか口にすれば、(しか)と耳を傾けてやる。意見を求められれば本音を飾らずに告げてやる。抛っておいてほしいのがわかれば、さりげなく身を引いて様子を見守る。子供扱いせずに叮嚀(ていねい)に接することを常に心がけていた。
 基宗は気付いていた。父といるときの峯丸の頰には(まこと)の和らぎがあり、気負いの欠片もないが、父以外の者といるときの頰笑みは絶妙に(こしら)えられた虚構であることを。
 それが嬉しくてたまらぬ基宗であったが、父に対する敬愛のあまり敬語を用いかねぬ峯丸に、あえてぞんざいな口をきくように育てている近頃である。そうしたからといって、他人にも粗雑な口をきいてしまうほど間抜けな子ではない。基宗にとって峯丸は幼い我が子である一方で、大切な伍伴としての側面が強くなってきていた。
 声聞師村の中まで焦げ臭かったが、村をでて四つ辻を左に折れたとたんに別の臭気で息苦しくなった。鼻をつまむのは(はばか)られたので口で息をしながら、峯丸は眼前に拡がる惨状に目を見開いた。基宗が咳払いして耳打ちしてきた。
「焼け野原とはよく言ったものよ。目を遮るものがなにもない」
 さらに小声で付け加える。
「それにしても、なんとも中途半端な荼毘(だび)だな。あちこち烟って、これも野辺の(けぶり)というのだろうか」
 北小路──今出川通の所々にそれは積みあげられていた。峯丸には言葉がなかった。彼方まで見通せる黒焦げの大地に残されたものに茫然としていた。半ば炭化した焼死体の山が信じ難かった。初めのうちは燻した藁人形のように見えたが、収縮してぱっくり裂けた部分から覗けるのは血の色をした肉や黄ばんだ脂身で、しかも極小ではあるが早くも(うじ)が大量にわいていた。季節が季節だけに腐敗も進んで、火事のさなかに男たちが口にしていた鳥や塩鮭の焼けた匂いなどとは似ても似つかぬ刺激臭が目に沁みる。
「父」
「もどるか」
「──見たい」
 そうか、と呟き、基宗は口中に湧きあがってきた厭な唾を控えめに吐く。勢いよく吐くと、あわせて嘔吐してしまいかねなかった。だいじょうぶかと峯丸を窺うと、さすがに唇をへの字に歪ませて微妙に耐える顔つきである。腐肉の臭いには、本能に働きかけて嘔吐を催させる(おぞま)しきなにものかが仕込まれているのではないか。こうなると焼け焦げた柱の臭いは芳香である。
 基宗とて最末端の足軽の扱いではあったが幾度か戦の修羅場を体験してきた。ゆえに無造作に転がる死に感傷をちりばめるような愚はおかさないが、さすがに我が子にこれを見せてよいものかと逡巡してはいた。
 されど、これこそが生と死の実相である。死に様は様々であろうが、基宗も峯丸も、誰もかもが逃れられぬ死というものが結晶した世界である。
 死をありのままに見つめることができぬ者が、粛然と生を全うできようか──。
 基宗の心がもっともらしい言葉を刻んだのもこのあたりまでだった。惨状に打ちのめされてなにも考えられなくなり、父と子はなにやら義務感のようなものに突き動かされて北小路であったと思われる焼け野原を黙々と進んだ。

 

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