• 古く蝮をくちばみといった。毒を持つその長虫は、親の腹を食い破って生まれてくるという。戦国時代、非情なまでの下剋上を成し遂げ、「美濃の蝮」と恐れられた乱世の巨魁・斎藤道三。その血と策謀の生涯を、父子の宿命とともに描き出す、花村萬月渾身の新時代小説。


第4回 


 諸々の思いは、時間がたってからふとした拍子に胸中に湧きあがるものなのだ。いまはやたらと見通しのよくなってしまった黒焦げの世界と複雑至極な悪臭の渦中にあり、感慨を覚える余裕もない。
 公家たちは焼け野原に腑抜けになって立ち尽くしている者も多かったが、戦で生死の境を(くぐ)りぬけてきた武家はこういった厄災にも立ち直りが早い。町人たちも諦念まじりの開き直りをみせ、嘆息まじりではあっても焼け跡を片付けはじめ、さらには建物その他の再建まで見越してあれこれ相談し、指図している姿が目についた。
 累々たる死屍には陰々滅々たる気分だが、それでも人は慣れる。復興の気負いにあふれた場に出くわせば、死の腐敗臭もふしぎに遠退く。空が青い。基宗と峯丸は足早に相国寺を目指した。
 足利(あしかが)義満(よしみつ)開基の相国寺は上京に途轍もない広さの寺域を誇っていた。さらに金閣寺や銀閣寺を山外(たっ)(ちゅう)にもつといえば、その規模の大きさが知れよう。ただし、焼けるために建てられたかの大寺である。出火、兵火、幾たびも全焼し、再建されてきはしたが、応仁の乱で焼き討ちされて全てが焼失し、以来手つかずになっていた。だから今回の大火では柳原散所の住民が逃げ込んでいるのではないかと判じたのである。
「七重大塔が残っておれば、よい目印になるのだがな」
 基宗のぼやき声に、峯丸は目に見えぬ塔を見あげるがごとく顔を中天にむけた。現存する東寺五重塔の倍近い高さを誇った相国寺七重大塔は、三百六十尺もの日本最高が災いしたか落雷によって三度焼失し、いまでは昔語りの中だけの代物となっていた。ともあれ、ここまできれいさっぱり焼け野原になってしまうと基宗の言うとおり目印がなく、どこを歩いているのかじつに心許ない。
「父上」
「どうした」
「これでは鳥など影もかたちも残らない」
「──焼き鳥か」
 苦笑しつつ、焦げた地面に膝をつき、峯丸に竹筒の水を飲ませる。峯丸は(のど)を鳴らしたが、すべて飲みきることはせずに基宗を見つめた。基宗はもう一本用意してきた竹筒を示す。峯丸の額の汗を手の甲で拭ってやる。その手がぎこちなく止まった。
 峯丸は父の唇が『ふじ』と動くのを見てとった。声にならぬ声だった。父の視線を追って怪訝そうにそっと振りかえった。老女と共に十五人ほどの侍女と七人の家僕に指図して焼け跡の始末をしている女と目が合った。焼失した屋敷の(あるじ)と思われる男の姿はないが、焼け落ちた瓦の紋や建具と思われる質実剛健な金具などから勘案すれば、それ相応の武家と思われる。
 芸能の村であるから当然といえば当然であるが、声聞師の村には美女がたくさんいる。そんな環境で育った峯丸であっても目を見開くほどの美相であった。
 機微に聡い峯丸は父と女を一瞥し、単なる知り合いではないことを直感し、だからこそ逆に表情を消した。なんら悟るところがないといった顔つきである。
 それに気付いた基宗は素早く思案した。以前であれば無様に狼狽(うろた)えたところだが、峯丸との二人だけの生活で鍛えられた。下肚に力を込めてゆっくり立ちあがり、さりげなく息を整えると、峯丸の背に手をやって促しつつ(ふじ)に近づいていく。
 ごく平静をよそおってこの場を行き過ぎるという選択もあったが、峯丸と藤の視線が絡んでしまったのだ。前夫と我が子に気付いた藤の息を詰めた貌を、峯丸も目の当たりにしてしまっているのである。ここで素知らぬ顔をして遣り過ごしても、峯丸は絶対に何事か気付いてしまっているのだ。このような場で再会してしまったことは定めである。安直なごまかしや逃げは避けねばならぬ。万感の思いを込めて深々と頭をさげる。
「その節は、まことに御世話になりました」
 老女が基宗と峯丸、そして藤に探る視線を投げ、あらためて藤と峯丸を等分に見つめ、その顔貌の類似からすべてを見通した眼差しで、抑制をきかせて短く問う。
(ちな)みは」
 藤が口をひらこうとした瞬間、基宗がにこやかに応えた。
「油売りにてございます。奥方様には以前、大層()(ひい)()にしていただいておりました。さすがにこの大火のあとに油を売り歩くこともできませぬがゆえ、息男を連れ、知人が息災かおとなうところでございます」
 老女の読みどおりであれば、さぞや情が揺れているであろうに、その口調といい、物腰といい、目の色といい、小憎らしいほどに落ち着き払っている。しかも惚れぼれするような美男だ。渋みさえ感じさせる。
 諸々を考え合わせている老女の口許に苦笑のような微笑のような、笑みにまで至らぬ皺が刻まれた。様子を窺っている侍女たちを後片付けにもどるよう軽く叱責して遠ざける。ふたたび基宗と藤を交互に見やって、美男美女が交わればこんな童が生まれる──と得心し、その視線を峯丸に据えた。
 臆することなくすっと峯丸は頭をさげ、顔をあげたときは満面の笑みですべてを覆い隠していた。誘われて老女も笑んでしまい、若干の困惑をにじませた。単なる愛想のよい美童ではないことを見抜いたのだ。
 動揺しているのは藤である。その唇がわななきはじめ、見るみるうちに瞳が潤みはじめた。それをちらと横目で一瞥し、藤を向かぬまま老女は幽かに首を左右に振った。あわせて基宗もごく控えめに頷いた。藤は奥歯を噛みしめて峯丸を喰いいるように見つめ、()りあがる情をかろうじて抑えこんだ。基宗が柔らかな声で告げた。
「覚えておらぬであろうが、ごく幼きころ、峯丸はこの御方にずいぶんかわいがっていただいたのだ」
 すると峯丸はすべてをのみこんで笑みを崩さぬまま、言ってのけた。
「奥方様のこと、覚えておらぬことは大層心苦しいことでございますが、言われてみれば胸のあたりがふわりとあたたかく、しかも切なくなってまいりました」
 俯き加減になって藤が視線をそらした。首筋や肩を強ばらせて慟哭(どうこく)に耐える。老女が眉間に縦皺を刻む。峯丸の言葉は、出来過ぎである。本音なのか。それともこの場を取り繕う体裁のよい噓であるか。鋭い眼差しを峯丸に注ぐ。その視線に気付いた峯丸は老女の瞳の奥にすうっと這入り込むような視線を投げかえし、物問いたげな藤に真顔をむけた。
「物心ついたときから、父と二人暮らしでございます」
 老女に疑念を抱かれたので顔つきを変え、話を父にすりかえたのだが、藤はぎこちなく頷いた。
「父上は大層よくしてくださいます。日々学問を教えてくださること、それがやや重荷ではございますが」
「──御父上は厳しいですか」
「はい。毎日欠かさず、早朝より昼近くまでありとあらゆる学問を学んでおります。油売りはそのあとでございます。学んでいるさなかにだらけると、いささか怖い父上でございます」
 自分にあれこれしたように、過剰な押しつけをしているのではないかと険しい眼差しで基宗を一瞥する藤に気付かぬふりをして、峯丸は頰をゆるませて巧みに執り成す。
「とはいえ、峯丸はずいぶん甘やかされております。じつは、いまだに父上の腕枕で眠っております。父の腕でないとうまく眠れないのです」
 基宗は腕枕云々がいささか照れくさかったのか、老女の言いつけも上の空でじりじりと輪をせばめてきていた皆の視線を遮るかのように、顔に手をやった。指先に煤がついていたのだろう、汗の浮いた頰に意外な強靱さの黒い線が三本、引かれた。侍女たちが基宗にうっとりした眼差しを投げる。

 

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