• 古く蝮をくちばみといった。毒を持つその長虫は、親の腹を食い破って生まれてくるという。戦国時代、非情なまでの下剋上を成し遂げ、「美濃の蝮」と恐れられた乱世の巨魁・斎藤道三。その血と策謀の生涯を、父子の宿命とともに描き出す、花村萬月渾身の新時代小説。


第4回 


 峯丸を取り込むにはどうしたらよいか。油売りを継がせるならば、銭の勘定ができればよいだけだ。勉学に集中する必要もない。だが毎日欠かさず、早朝より昼近くまでありとあらゆる学問を学ばされていると美童は言っていた。すなわち油売りは我が子の栄達を望んでいるに決まっている。ただし安売りはしないだろう。いま、この子供に欠けているものは、なにか。
「峯丸と申したか。武芸の(たしな)みは」
「ございませぬ」
 老女は峯丸を覗きこむようにしながら基宗をさりげなく窺う。
「いまは御不在じゃが、この家の主、相良政豊(まさとよ)様は将軍家御馬廻奉公衆にして武人として名高き御方」
 いったん息を継いで、峯丸を目で示しながら基宗に言う。
(いち)(じょう)(だに)朝倉(あさくら)家総大将、朝倉宗滴(そうてき)殿が仰有(おっしゃ)られたそうな」
 目で基宗が先を促す。老女は峯丸を愛おしげに見やり、囁く。
「──武者は犬ともいえ、畜生ともいえ、勝つことが本にて候」
 基宗の頰がすっと白くなった。老女はさらに基宗の耳の奥に言葉を押し込む。
「生き死には綺麗事ではすまされぬ。この童ならば、宗滴殿の御言葉を鮮やかに具現体現できるであろう」
 老女はもう基宗を見ない。峯丸に猫撫で声をかける。
「御屋形様に頼んで、武芸を教わるというのは、どうじゃ」
 諸々の遣り取りを遠国の言葉のように聞いていた藤であったが、一気に背筋がのびた。武芸を教わる──すなわち峯丸が藤のもとにやってくるということである。その貌が一息に色づいた。
 御屋形様は、子ができぬ理由が己にあることを悟っている。まだ母上には内密にしておいてくれと前置きして、ちかごろは養子を考えていると藤に打ち明けた。なんのことはない、老母も養子を迎える算段をしていたのである。
 なによりも、この家の主は、じつはこの老母であった。御屋形様は老母が命じれば、なんでもそのとおりにする。老母とそっくりの感性の持ち主であるから豪胆にして繊細、即座に藤の子であると悟り、老母と同様、峯丸に入れ込むであろう。
 峯丸は幽かな困惑をみせ、そっと父を振りかえった。基宗が大きく頷いてやると、峯丸は小さく頷いた。燃え殻を踏みしめ、あらためて老女に正対した。
「父上からもお許しがでました。弓矢執る身の修練、胸が躍る思いでございます。されど峯丸は常に父と一緒にいとうございます。父上の手伝いがしたいのです」
「──断るというのかえ」
「せっかくの御厚意、胸に沁みいる思いでございます。けれど甘ったれの峯丸は、いつだって父と一緒にいたいのです」
 老女はひどく気落ちし、藤は俯いた。基宗が控えめに咳払いした。
「峯丸」
「はい」
「そろそろ父から離れなさい」
「はい」
「せっかく御教示してくださると仰有っているのだ。ありがたくお受けするように」
「はい」
「よいな」
「はい」
 峯丸はいきなり父にすがりついた。
「父上」
「うん」
「峯丸は父から離れねばならぬのか」
「通えと言っているのだ。御教示を受けて、父のもとにもどってくればよい」
 峯丸は涙ぐみかけていた。
「これから先も、峯丸は父の腕枕で眠れるのか」
「もちろんだ。峯丸の重みがなくなったら、父のほうが眠れぬよ」
「わかった。ならば通うということで、お世話になることにする」
 老女は峯丸がほしくてたまらない。悧発な峯丸ならば油売りよりも武家の跡取りのほうを選ぶであろうという目論見が崩れかけたこともあり、とにかく繫がりをつけようと基宗が口にするすべての条件を呑んだ。
 この家の主は火災に乗じて志賀(しが)越道(ごえみち)などから京に這入り込もうとする盗賊その他を見張るため、出火直後から配下をともなって神楽(かぐら)(おか)陣城(じんしろ)に詰めているという。鹿(しし)(たに)に山荘を所有しているので、焼け落ちた屋敷が再建なるまではそちらで暮らすとのことである。なるべく早う鹿ヶ谷を訪ねてこよ──と老女が身を乗りだしたが、基宗は柔らかな笑みではぐらかした。
 なにぶん、この有様であるから、すべては一段落してから──ということで父子は老女と奥方に深々と頭をさげて辞去し、相国寺にむかった。
 寺域には北小路など比較にならぬほど大量の焼死体が運び込まれたあげく、見あげるほどに山をなし、黒焦げに無数の黒点──蠅がたかって蠢きつつせわしない羽音をたて、一角では燃え残りの柱などを集めて腐敗がひどい生焼けから先に荼毘に付していた。屍体の脂に火がつくと、立ちあがる焰はなぜか青白い。地獄絵そのままであった。
 柳原散所は土蔵などがないだけに完全に焼け落ちていて、見事なまでの焦土の更地であった。父子は口許を押さえてまとわりつく蠅を追い払いつつ、焰が這いまわった西の際である烏丸(からすま)あたりまで知人の消息を尋ね歩いたが徒労に終わった。
 落胆した基宗は道すがら出会った老僧に背負ってきた糧食をあずけた。幾多の戦乱もあり上京はよく燃えたが、これほどの大火は久々であった──との老僧の言葉を受け、暮れかかるころ基宗と峯丸は新在(しんざい)()の辻を折れ、地上の地獄と裏腹に妙に長閑な鴉の声を背に声聞師村にもどることにした。
 帰り道、川風がとどくあたりまできて、基宗はひょいと膝を屈めた。臀にまわした手で峯丸を促す。久々におんぶしてもらった峯丸は、きつくきつく父にしがみつき、首筋に頰を押しあてた。父と子は母のことを一切口にしなかった。

   *

 この明応の大火から復興した上京は、七十三年後、こんどは織田(おだ)信長(のぶなが)の手により二条御所を残してことごとく焼き尽くされた。惣町としての上京は商工業者が数多く集まって形成されていた下京とちがって武家や公家、そして寺社勢力が結集していた。衰えが顕著になってきていた足利()将軍家の唯一の実質的支配下にあったと言い換えてもいい。だから将軍義昭が傀儡(かいらい)になるのを拒んだとき、織田信長は恫喝のため躊躇わずに上京を焼き払ったのである。ちなみに信長は焼き討ちの前に朝廷と綿密に交渉して、上京の町民を御所に避難させていた。

 

 

〈次回は8月20日(月)頃に更新予定です。〉

 

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