• 古く蝮をくちばみといった。毒を持つその長虫は、親の腹を食い破って生まれてくるという。戦国時代、非情なまでの下剋上を成し遂げ、「美濃の蝮」と恐れられた乱世の巨魁・斎藤道三。その血と策謀の生涯を、父子の宿命とともに描き出す、花村萬月渾身の新時代小説。


第6回 


 許可状および印券を所有していれば、行きたい場所に行ける。これがどれほどの特権であるか、まさに行きたいときに行きたいところに行ける現代の日本人からは想像がつかぬことであろう。
 このころの人々の移動を妨げていた最大最悪の関門が関所であった。
 関所は律令時代に治安維持のために制度化して成立し、通行人や通過荷物の検査のために要路および国境に設けて脱出や侵入に備えた関門である。
 けれど()(ざと)い者が、治安維持の大義名分のもとに、関所が金銭収奪施設として見事に機能することに気付いた。単に人物や荷物の検査をするのではなく、ついでに通行する人や物から関銭と称する通行税や物品税を徴収する。そもそも関所は、国境その他の要路に設置されるのであるから通行人も物の移動も大量である。莫大な税収となる。
 要は、餓鬼大将がここは通さぬ、ここから先に行きたいならば幾らかおいていけ──というのに似た、けれど餓鬼大将とは比較にならぬ暴力装置的システマチックさを背景にした合法的恐喝のようなことを目論みはじめたのである。
 通行に金を取るということは、じつは関所の権威付けにも働く。関所というものは難儀なもの。厭なもの。面倒なもの。できれば近づきたくないもの──。民草が忌避する気持ちをもつことは治安上大切なことである。しかもどのみち移動を諦めた土着の百姓以外は否応なしに関所を抜けねばならぬのだから、関銭は必ず入ってくるのである。すばらしき一石二鳥であった。
 それに気付いた権力側は、本来の通行税から際限なく範囲を拡大していく。寺社などの造営料捻出のための造営関、天皇の日常品などを扱う内蔵(くら)(りょう)の租税の不足分を得るための率分関など、人々が移動通行せねばならぬのをよいことに、あえて交通量の多いところを狙って本来の関所の目的から離れた多くの関所を設け、金銭を要求することが当然のように罷りとおるようになった。
 ところが世が乱れ、幕府の力が衰えてくると、それを真似て自らが関わっている街道筋などに勝手に関所を設けてしまう経済関とでもいうべきものがあらわれてきた。
 結果、関所の運営は朝廷、幕府、社寺、土豪から離れてあらゆる階層に拡がっていく。海賊が航行中の船舶を急襲して関銭を要求する水上関など、その最たるものだ。これが室町期には完全に利権と化して、関所があちこちに濫立した。たとえば東大寺領の(ひょう)()関では年間に二千貫文もの収益があった。
 日野(ひの)(とみ)()は京の七口に内裏修理用の関を設置した。ところが内裏修理は名目にすぎず、七口を出入りする者たちの商売物すべてに関銭を課し、しかもその税収はすべて富子の収入となったため、()(だい)(どころ)の強慾な遣り口に土民たちが一斉蜂起して土一揆をおこした。ところが少したって、逆にそれに目をつけた山科(やましな)七郷の村人が結託して関所を設置してしまうという身分制度上、本来ならばあり得ないことまでおこった。
 とにかく都の周辺は関所が多かった。京の七口に設置された七口の関は当然として、京から奈良に至る街道筋、伊勢神宮に詣る膨大な人々が行き交う伊勢街道、琵琶湖を発源として京都盆地からその西の端で木津川と桂川を併せ、大坂平野を北東から南西に流れて大阪湾に注ぐ淀川流域など目も当てられぬほどの関所が濫立した。
 濫立といってもぴんとこないかもしれないので具体的な数字をあげよう。ルイス・フロイスは伊勢神宮参拝にむかう人の多さに驚嘆し、人々の群れを巡礼と書き記した。
 その大量の参拝者を当て込んで伊勢街道の四日市から桑名までのたかだか十数キロの距離に呆れたことに関所が六十余り、さらに伊勢神宮の皇大(こうたい)神宮と豊受(とようけ)大神宮の中間に設けられた()(くう)関の年収は東大寺領兵庫関を上回る三千貫文ほどもあった。
 また淀川の流域に至っては、なんと四百もの関所があった。往来の烈しいところを狙うとはいえ、京と大坂を行き来しようとすれば地形云々とはかけ離れた人災とでもいうべき難事が待ち構えていたのであった。
 十数キロの距離を進むのに六十以上の関所を抜けねばならず、そのたびに威圧的な、けれど形式にすぎぬ検査を受け、関銭を奪われることを想像してほしい。その煩わしさと金銭的負担、さらに時間の無駄は、まさに常軌を逸した異常事態であった。
 これではまともな移動流通など不可能で、室町幕府はたびたび新関停止令を発布し、取り締まったが、弱体化した幕府の施策に実効はなかった。
 その一方で、大山崎の油神人のように関所の通行料免除など諸々の特権をもった一部の組織が存在した。この者たちが他を押しのけて儲けの多い流通を一手に担い、伸張していったわけだが、京大坂間を四百もの関所で足止めされ、時間と関銭を奪われる他商人に対して、フリーパスなのだから圧倒的な優位に立てるのは理の当然であり、過所と称される朝廷や幕府から附与された関所通行の自由許可書を得た者の特権は、金銭では購えぬ特殊特別の途方もない利権であった。
 しかも、この利権から派生する利益の一端をおこぼれとして落ちめの朝廷や幕府が当てにするという顚倒がおきていて、大山崎の油神人はいよいよ手厚く保護されて富を搔きあつめていく。
 判紙祝儀の会合にて許可状と印券を手にすればまったく違った世界に立つことができると昂奮する基宗の心情もあながち的外れとはいえぬどころか、途轍もない権力をものにするための足がかりとして通行の自由は、なににも代えがたいものであった。
 この無法な関所の林立および油座などの座の不公正な特権に終止符を打つには圧倒的な権力、すなわち織田(おだ)信長(のぶなが)の登場を待たねばならぬし、さらに威力と実効性がある関所廃止令による完全な経済関撤廃は、豊臣秀吉(とよとみひでよし)の天下掌握までかかってしまうこととなる。逆にいえば関所の濫立は、まさに乱世の象徴であった。
 基宗は通行の自由を得た己のあれこれを、美濃にまで足を延ばす姿を想い描いて恍惚としていたが、大理石の火鉢のなかで赤く(おこ)っていた炭がその表面に白い覆いをかぶりはじめたころ、さすがに待たされすぎていると気付き、訝りはじめた。
 そこを狙い澄ましたように、ちいさな咳払いが聞こえた。
 居住まいを正した基宗の前に入ってきたのは、小男だった。基宗の背丈の半分ほどにも充たない。頭、胴、手足、すべてのつくりが等分に小さくて、縮尺された大人のようだった。
 (あるじ)だという。奈良屋の主人がこのような小さな男だとは思ってもいなかった。しかも横に潰れた蟹のような(かお)をして、刻まれた皺が深く、抜け落ちてしまったらしいまばらな眉の奥の目が見事に丸い。
 けれど声聞師の村で暮らしていることもあり、異形の者もまた人なりという気持ちが偽りなく基宗にはあった。人の善し悪しは見てくれ外見ではなく、付き合ってはじめてわかるものである。
 その一方で見目麗しき女人が大好きではある。だが美貌が当人に幸せをもたらすかどうかは微妙なものがあるということも漠然とではあるが悟ってしまっている。
 綺麗な女が好きだが、人は見てくれではない。調子がよいといわれようが、基宗の気負わぬ気持ちであった。だから奈良屋主人に対した基宗はごく自然体であった。
 そこに妻女が入ってきた。その姿から一目で使用人ではなく妻女だとわかった。基宗は目を丸くした。歳のころは五十代だろう。主に似つかわしくない美しい女だった。笑みが泛んだ。奈良屋がさぐる眼差しで基宗を見やった。
「どうですかな」
 問いかけられて、基宗は並んで座る夫婦を見つめ、悪戯っぽくかえした。
「ひいなの人形、昨今流行りの座雛のようでございます。ただし」
「ただし」
「はい。ただし、老いたるひいなでございます。ずいぶん仲がようございますな」
 妻女が見あげるようにして言う。
「揃いもそろって斯様にこづくりな夫婦もめずらしいとお思いでしょう」
「はい」
 と、基宗は返して、小さな小さな夫婦を真っ直ぐ見つめた。多少見おろすようになってしまうのは、現実の背丈の関係から致し方のないことである。
「娘がおりまする」
「男の子ができませんでした」
「跡継ぎがおりませぬ」
「私は娘がいとおしくてならず、跡継ぎのことなど、どうでもよいと」
 交互に口をひらく夫婦を基宗は黙って見つめつつ、目顔で(うけが)った。奈良屋が膝をのりだした。
「商人ですから、単刀直入に申しましょう。娘が、な」
「はい」
「基宗殿を見初めたのだ」
 意外な言葉に、基宗は自身の顔を指し示した。奈良屋が頷いた。
 妻女が声がけすると、ずいぶん間をおいて娘が入ってきた。俯き加減のまま袂で顔を隠してしまっている。どうやらこの娘の羞じらいのせいでずいぶん待たされたようだ。基宗は夫婦と娘を交互に見やった。機先を制するかのように奈良屋が言った。
「娘の背丈は並でしょう。多少は小柄だが、これ、このとおり、育ちました」
 基宗は笑んで、失礼を承知でそっと上体を屈め、斜めから娘の顔を覗きこんだ。
「いかがです」
「御父上に似なくてよかった」
 妻女が咎める声をあげた。
「その物の言い様、なんと()(しつけ)な」
「されど奈良屋様も頷いておられます」
 夫の(かお)(かたち)のことで怒る妻──。なんともよいものであった。そっと付け加える。
「先ほども申しあげましたが、御夫婦の、その仲のよきこと、じつに羨ましゅうございます」
 自身を顧みた、万感の思いを込めた言葉であった。奈良屋の笑みが深くなった。妻女は基宗を睨みつけている。挑むように言葉を投げてきた。
「不躾には不躾で返しましょう。妻に逃げられたとのこと。(そく)は初様の御世話になっておるとのこと」
()(よう)でございます」
 峯丸が初の世話になっているというのは微妙だが、逆らわずにおこうと決めた。だいたい初の描いている絵が見えた。奈良屋の娘と一緒になってしまえば、峯丸は相良家のものになるといったところであろう。
 だが峯丸はわたさぬ。当分、相良家に預けてやって武芸一般の修行をさせる。峯丸の先々に資するよう奈良屋の身代をいただいてやる。基宗には我が子が父を裏切ることがないという絶対の自負と自信があった。相良の家で峯丸の素養を涵養していただいて、経済的裏付けを奈良屋で成す。そんな悪巧みをめぐらす一方で、極限まで追い詰めてしまった藤の(やつ)れきった青白い打ちひしがれた横顔が泛ぶ。短く息をつくと、率直に語った。

 

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