• 古く蝮をくちばみといった。毒を持つその長虫は、親の腹を食い破って生まれてくるという。戦国時代、非情なまでの下剋上を成し遂げ、「美濃の蝮」と恐れられた乱世の巨魁・斎藤道三。その血と策謀の生涯を、父子の宿命とともに描き出す、花村萬月渾身の新時代小説。


第6回 


「美濃の守護、土岐家を一言でいえば、家督争いの絶えぬ家柄である。とにかく美濃支配は不安定。五年ほど前か、土岐家相続をめぐり、守護代の斎藤利国(さいとうとしくに)と小守護代である石丸利光(いしまるとしみつ)が争った」
 東山からの一陣の風が川面を伝って河原を抜け、萌えはじめた青草がいっせいに頭を垂れ、まだ小さな淡い緑色の飛蝗(ばった)が四方に飛翔した。
「美濃を支配しているはずの守護土岐氏の権力は衰え、守護代の斎藤利国がのさばって、じつに守護の後継を勝手に決めるほどにまで増長していた。すなわち斎藤利国は自分が選んだ守護を傀儡(かいらい)に据えて美濃を支配しようと目論んでいたのだ。それに不満を抱いた小守護代の石丸利光は美濃守護である土岐成頼の四男土岐元頼(もとより)を立てて、斎藤利国と争った。船田合戦である」
 頭上を舞っていた鳶も獲物の消滅とともに飛び去っていた。峯丸は父の腕をきつく握ったままである。
「話が入り組んでいる。俺がなにを語っているかわかるか」
「わかりまする。それに、きっかけさえ摑めば、峯丸は自身で学ぶこともできます」
 子の力強い言葉に笑みで貌を輝かせ、基宗は峯丸の手を掌で覆って、続けた。
「この合戦は斎藤利国が勝った。で、敗れた石丸利光は自身の城を焼いて南近江(おうみ)六角(ろっかく)氏の許へ逃れたわけだが、翌年には勢いに乗った斎藤利国が六角氏討伐に遠征した」
「追討でございますね」
「うむ。ところが斎藤利国、近江にて六角氏に大敗北、斎藤一族は多数戦死、利国自身も死んだ」
 峯丸が子供らしくない苦笑いを泛べた。言いたいことを言えと基宗が促す。
「はい。なにやらすべてが馬鹿正直に見えてなりませぬ」
「それだ。伊勢新九郎殿のような狡知といってはなんだが、この乱世を駆け抜けるための智慧に大きく欠けて、まさに美濃の有様、馬鹿がつく正直。慾が慾のままに投げだされ、いまや収拾がつかぬ」
 峯丸が父を見あげて大きく頷く。基宗は頷き返し、峯丸の耳の奥に、ひとことひとことを区切るようにして吹き込んだ。
「俺は、将来のおまえを、当てにして、父として美濃に先乗りし、ひとつひとつ叮嚀(ていねい)に、しかし深く、強く(くさび)を、楔を打ち込んでおこうと決意した」
「美濃を、どうなさるのです」
「もちろん、美濃をもらう」
「美濃をもらう」
「むろん松波()(こんの)(しょう)(げん)基宗の代では、難しいだろう。充分に吟味したが、俺は楔を打ち込む役である。で──」
「で」
「うむ。で、峯丸は俺が打ち込んだ楔を足がかりに美濃にのぼる。美濃の頂上に立つ。すなわち」
「すなわち」
「すなわち、親子二代で美濃をものにする」
 基宗が首を折るようにして峯丸の耳許に顔を寄せて訊く。
「誇大な妄想であるか」
「いえ。この峯丸、必ずや父上の打ち込んでくださった楔を足がかりに、美濃の頂点に立ってみせます。けれど──」
「うん」
「父上と離れとうない」
「うん」
「峯丸はずっと、ずっと父上と一緒にいるつもりだった」
「うん」
「父上が奈良屋に婿入りするのは、この峯丸のためなのだな」
「そうだ。皆まで言わせるな」
「わかった。(こら)える。峯丸は怺える。父上によろこんでいただけるために、怺える」
「誰にも明かすな」
「もちろんでございます」
「気が触れたと思われるのがおちだからな」
「父上と峯丸だけの秘密でございますね」
「然様。俺が生きているうちに、美濃で楽をさせてくれ」
「わかった。必ずや。だが、父上」
「なんだ」
「父上が決して思いつきで物を言っているのではないことはよくわかっている。けれど、奈良屋はどうする」
「足がかりのためならば、奈良屋の身代など知ったことではない」
「そう言うと思った。淺茅殿が」
「ん、淺茅」
「淺茅殿がな、凄い笑いを泛べて基宗様は奈良屋を食い潰して伸し上がるおつもりと」
「俺は淺茅に惚れ込んでおる」
「淺茅殿はこの峯丸にようない悪戯をする」
「──そうか。すると峯丸は、俺と恋敵であるな」
 父の破顔に、峯丸は渋面をつくる。
「淺茅殿は父上が奈良屋の娘のことで目を細めたりすると、てきめん峯丸に対する悪さの度合いを──」
「厭なら、やめるように申しつけておく」
「よい。淺茅殿に触れられて、父上を思う」
「淺茅は手放さぬがゆえ、これからも内密に伝えたきことあらば、淺茅に申し伝えよ」
 峯丸は返事をしなかった。小刻みにしゃくりあげはじめた。基宗は峯丸の首に手をかけてぐいと引き寄せ、膝に押しつけた。峯丸の背を撫で、啜り泣きを聞きながら、鴨の流れを静かに見守る。父と子の二代にわたる美濃国盗りの端緒であった。

 

 

〈以下次号〉

 

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