• 「ローマ法大全」まで読破して「ナポレオン法典」を制定した
    ナポレオン・ボナパルトは、
    流刑の船中でも勉強していたという。
    盲目の国学者・塙保己一(はなわ・ほきいち)は、音読してもらった6万冊の本を記憶し、
    死ぬ間際まで『群書類従(ぐんしょるいじゅう)』や『史料』の編纂にあたった。
    こうした学ぶ意欲はどこから出てくるのか。
    どうすれば意欲を持てるのか。
    先進国のなかで学習意欲がきわめて低いといわれる
    日本の社会人、学生たちに向けて、「学ぶことの大切さ」を
    企業経営者から学長に転身した“哲人経営者”が語る。


第2回 学びたいときに学べない……

               


 

文科省ルールとリカレント教育の矛盾

 学校教育法などの法令を読んでいて印象的だったことのひとつは、大学運営には想像以上に制約が多いということでした。

 ひとつ例を挙げましょう。
 いま、政府はしきりに社会人が学び直しをするリカレント教育(生涯教育)をうたっています。「リカレント」とは循環、反復という意味で、広辞苑では「生涯を通じて教育の機会を保障すべきであるとする教育観に基づいて行われる成人教育」と説明しています。

 1970年代にこのリカレント教育を提唱したスウェーデンの経済学者ゴスタ・レーンの構想は、僕が教育機関のひとつの理想型だと思っている「アル=アズハル大学の三信条」に通じるものがあり、本当に素晴らしいと思います。

 アズハル大学とは、西暦970年にエジプトのカイロに創立された世界最古の大学のひとつ。イスラム研究の中心教育機関として、いまでも圧倒的な影響力を持っていますが、この大学が「入学随時、受講随時、卒業随時」を実践しているのです。

 つまり、「勉強したいと思ったら来ればいい」「勉強したい科目だけ学べばいい」「十分に勉強したと思ったら社会に出て行けばいい」ということで、これが「アズハルの三信条」と呼ばれているものです。

 

イラスト:吉田しんこ  

 

 アズハル大学ほどではないにしろ、欧米では以前からリカレント教育が進んでいます。たとえばスウェーデンでは社会人教育や学習サークルを通じた民衆教育が根付いているし、アメリカには地域住民のためにつくられた2年制の公立大学(コミュニティ・カレッジ)があります。

 これに対して日本では、リカレント教育を進める土壌が、まだまだ整っていないといわざるをえません。そのいちばんの問題点は、長時間労働にあります。「メシ、フロ、ネル」の生活を続けていたら、学ぶ時間など取れるはずがありません。
 加えて、日本で専門的な内容を随時学べる場をつくろうとしても、実現できるのは大学の公開講座が関の山で、アズハル大学のような環境にするのは夢物語です。

 その原因のひとつは、文部科学省が各大学に厳格な定員管理を定めていること。本来なら、大学側が学力や適性などで学生を選抜し、定員±2割程度の幅のなかで、結果として定員に満たなければ仕方がない、逆に定員を超えてもOK、という姿勢で臨むべきでしょう。しかし、ほとんどの大学は、経営上の要請もあって、なんとか定員を埋めようとします。

 すると、学期の途中で「学びたい」という人がやってきても、受け入れる枠が残っていないため、その人の学ぶ意欲は満たされないのです。いったん学期が始まると、途中から授業に参加できるような柔軟な運用はできません。

 また大学は、たとえば「学部学生なら8年間」など、大学に在籍できる最長の修業年数を定めています。
 大学で学んで、いったん休んで仕事。そしてまた大学に戻り、長期にわたって特定の分野の授業を受けたり、好きな教授の講義だけ聴く――ということは、現在の日本の大学の学生にとっては、非常に難しいといわざるをえません。大学側は「学生に網羅的に勉強をさせ、修業年限を定めて、なるべく早く卒業させる」という前提でカリキュラムを組んでいるからです。

「アズハルの三信条」――入学随時、受講随時、卒業随時――のひとつとして実現できていない日本の大学で、リカレント教育を導入するには、まだまだいくつものハードルを越えなければいけないようです。

 ちなみに「一定の年数までしか修業できない」というルールは、単位取得の簡単さにつながり、ひいては諸外国に比べて大学のレベルが低い、といわれる一因にもなっています。それについては、次回以降の連載で触れましょう。

 

 また、教育システムだけではなく、社会システムにも課題があります。

 日本で生涯学習というと「働きながら学ぶ」とか、「趣味の延長で学ぶ」といった、なんとなく補助的なイメージがあります。しかし欧米では、キャリアアップのために仕事を辞め、大学などで学んで高度な知識を身につけ、また社会に戻るという「行ったり来たり」が一般的です。

 それこそがリカレント(循環、反復)なのですが、日本ではまだまだ雇用の流動化が進んでおらず、「自己研鑽のための休職」という概念がほとんど根付いていません。企業がお金を出して、社員にMBAを取得させるようなケースはありますが、非常にレアなケースといっていいでしょう。

 

日本の大学には多様性が足りない

 こうした諸々のルールや日本独自の就職環境が存在する結果、日本の大学では致命的な現象が起きています。
 ダイバーシティ(多様性)の乏しさです。

 日本の学生は19~22歳が中心で、1、2年浪人もしくは留年しても24歳くらいで卒業してしまいます。したがって25歳以上で入学する学生の割合はわずか2.5%しかありません。これに対してOECDの平均では、25歳以上で入学する学生の割合が16.6%に達しています。海外ではいったん社会に出てから大学に入る人が珍しくないからです。

 つまり、日本の大学は社会経験のない若者だらけ。同じような世代の人ばかりが集まる環境と、さまざまな背景を持つ幅広い世代が集まる環境――。どちらが多様性に富み、その結果、多くの学びを得られるかはいうまでもないでしょう。

 

 

 とはいえ、これが日本の大学の現実です。今後どうすれば大学のレベルが上がり、リカレント教育を実現することができるのか、一所懸命勉強してその糸口を探していきたいと思います。

 

※ この連載は、毎月10日、25日ごろ更新します。
 第3回は7月25日に公開する予定です。