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第10回 地獄絵 其の一 記憶
地獄草紙 雨炎火石 国宝 平安時代末期 東京国立博物館蔵
地獄草紙 雨炎火石 国宝 平安時代末期 東京国立博物館蔵 Image:TNM Image Archives 岡山市の安住院(あんじゅういん)に伝わった絵巻であることから「安住院本」と呼ばれる。図版は「雨炎火石(うえんかせき)」の場面で、旅人に酒を飲ませて、金品を奪った罪人が堕ちる地獄で、地には灼熱の川、空からは焼石が降り注ぐ。

「地獄の釜のふたをあけないように生きてきた」と老人は、沈黙の後に、重い口を開いた。

第二次世界大戦中、戦地で敵軍の攻撃から逃れるように、島の中を逃げ回っていた彼は、同僚とはぐれて、さまよい歩いていた。あたりは真っ暗で月明かりもない夜中だった。敵に出くわさないか、砲弾が飛んできやしないかと、恐怖に怯(おび)えながら歩いているうちに、あまりに喉が渇いて、水たまりの水をすくって飲んだ。それから、疲れ果てて、近くの木陰で眠ってしまった。朝になり目を覚ますと、暗い中ですくって飲んだ水は、血に染まっており、どす黒い赤色だったという。

「あのときは、お天道さんが恨めしかった。照らさないでくれ、と思った。もっともっと、言えないこと、恥ずかしいこと……たくさんある」と口をつぐんだ。

もうひとりの老人が、話し出した。

「駅前の空き地は、戦時中は死体が山積みになっていた。思い出すだけでも恐ろしい。いまでも、近くを通るとあの悪臭がする。そんなわけないのに。体中が汚れるような感じがするよ。近々、マンションが建つって。いや、恐ろしい。失礼、……葬式の後に、とんだ話になったなあ」

次から次と、地獄の釜のふたは開いた。彼らにとって、忘れ去りたいが、忘れることができない。そして、忘れてはならない記憶である。それらを語らないことで、地獄を封じて生きてきたのであろう。興味半分で聞いていた人たちも、あまりに強烈な体験話に表情がこわばった。

帰宅してからも、思い出すと頭の芯が熱くなり、疲労と興奮が同時に襲ってきた。

真っ赤に燃え上がる火や、流れる血。積み重なる屍(しかばね)。

「地獄草紙」に描かれた、煮えたぎる川や、もだえ苦しむ人々の姿が浮かぶ。

 

現存する「地獄草紙」のうち、安住院本(東京国立博物館所蔵)と呼ばれる絵巻の、元となった経典「正法念処経(しょうぼうねんじょきょう)」は、現世での〈罪〉と、地獄で受ける〈罰〉が説かれている。八大地獄と、さらに多くの小地獄があり、その罪状も実に細かい。〈生〉と〈死〉の時空を超えて、死後消滅するはずの肉体が、地獄で終わりなき責め苦に遭う。経文を、漢字と仮名に読み下して詞書(ことばがき)とし、それぞれに対応する絵がある。「八大地獄」第四番「叫喚地獄(きょうかんじごく)」の十六小地獄のうち、四場面のみが現存する。いずれも飲酒にまつわる罪を犯した者が行く地獄で、泣き叫ぶ、痛々しい姿が描かれている。

また原家本で伝わる奈良国立博物館所蔵の「地獄草紙」は、八大地獄と十六小地獄からなる「起世経(きせきょう)」を元に描かれている。詞書と、絵からなる六場面、絵のみの一場面の、計七場面がある。詞書はいずれも〈また別所あり〉から始まり、十六小地獄をあらわすが、安住院本とは、元になる経典が違うために場面が異なる。

いずれも平安時代末、後白河法皇が六道に関する絵巻を大量につくらせ、蓮華王院(三十三間堂)に納めたものが、時を経て離れ離れになり、伝わったものと思われる。

このころ、多くの地獄絵がつくられたのは、保元、平治、治承・寿永の乱など、戦が続いたことが、影響している。

「法の死」である「末法思想」が広まる不安と恐怖の中、現実世界と重なる、六道輪廻(りんね)を説いた経典を選び、字が読めない人たちにも、説くことができるように、絵巻として残そうとしたのだろう。

(つづく)