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第11回 地獄絵 其の二 恐怖
地獄草紙 函量所 国宝 平安時代末期 奈良国立博物館蔵
地獄草紙 函量所 国宝 平安時代末期 奈良国立博物館蔵 写真提供:奈良国立博物館 撮影:佐々木香輔 東京都新宿区東大久保の大聖院(だいしょういん)に伝わり、後に実業家の原三渓(はらさんけい)が所蔵し、戦後に国有となる。図版は「函量所(かんりょうしょ)」の場面で、計量をごまかして不当な利益を得たものが堕ちる地獄。素手で熱く煮えたぎる鉄を量らされる。

「人間が賢くなって、仏教を頼ってみな極楽へ行ってしまうので、地獄は飢餓になってしまった」

極楽往生を約束する信仰の流行で、地獄に堕(お)ちる罪人が少なくなり、業を煮やした閻魔(えんま)大王が、あの世の門といわれる六道の辻へと、死者を迎えに行く。地獄にふさわしいと思える博奕(ばくち)打ちを見つけて連れてくるが、結局は博奕に負けて、浄土へ送りとどけるはめになる。

狂言「博奕十王(ばくちじゅうおう)」の「極楽往生を約束する宗教」は、平安時代から鎌倉時代に流行(はや)った浄土信仰をさす。当麻曼荼羅(たいままんだら)などにあらわされた、九品往生(くほんおうじょう)の最下位「下品下生(げぼんげしょう)」は、現代では極悪犯にあたるのだが、地獄の釜のふたがあく直前に「南無阿弥陀仏」を唱えれば、極楽往生できるのだから、当然地獄へ行く者は激減する。

日本の浄土信仰の基礎となった『往生要集』は、浄土教の観点により、複数の経典や論書から編集されたもので、寛和元年(九八五年)に比叡山・恵心院(えしんいん)の僧侶・源信によりつくられた。

物語に起承転結があるように、『往生要集』にも、人々の心を誘導する工夫が凝らされている。冒頭は、「正法念処経(しょうぼうねんじょきょう)」などから引用された「地獄」についてで、地獄は六道輪廻(りんね)の一番下に位置し、罪を犯して堕ちたものは、罰としてさまざまな責め苦に遭う。恐ろしい地獄の詳細の後は、極楽浄土の世界が広がり、人々は地下世界の闇から、一気に光の満ち溢(あふ)れた極楽へと駆けのぼる。穢(けが)れたこの世から離れたいと思う厭離穢土(えんりえど)と、極楽浄土を願い求める欣求浄土(ごんぐじょうど)が浮かび上がる。そして、極楽浄土に生まれ変わる方法として、ひたすら往生を願って日々念仏を唱え、観想などの修行を重ねることを説いている。

布教のため、「極楽」と「地獄」は絵画としてもさかんに描かれた。壮大な楼閣、中央には阿弥陀如来が座し、飛天が音楽を奏で、蓮の上では童子が踊る。究極的な美しさと、幸福をあらわした阿弥陀如来観想図に対して、地獄絵と呼ばれるものは、どのようにして、醜さと、終わりなき恐怖をあらわしたのだろうか。

地獄の「罰」は、見る者からは、微妙に生と死の間として感じ取られる。なぜなら、死によって失われるはずの肉体は、死後も延々と痛みを感じる姿として描かれるからだ。下方にあるとされる地獄は、地下室か、土中なのか、いずれでもない暗黒の「闇」に覆われた場所として描かれる。平安時代の「地獄草紙」では、背景は黒、グレー、茶系で、人物の周辺を濃く描いた濃淡により、湿っぽく穢れた場所をあらわす。人間はすべて、一糸まとわぬ姿、つまり何も防御するものがない状況で責められる。血色は悪く、やせた皮膚の表面は、張りを失い、髪に艶はなく乱れている。目玉はほとんど描かれず、暗くて周りがよく見えない「闇」の恐怖を、罪人の立場から表現している。

背景と人物のモノトーンに、ひときわ映えるのが「赤」で描かれた「血」と「炎」だ。

 

ほとんどの場面で人物は「血」を流している。表情が「苦しみ」という内面をあらわすのに対し、「血」は直接的な痛みに通じ、滴る血はやや粘り気を含み、見る者に不快感を与える。「火」は責めの主道具で、猛火に直接焼かれるばかりでなく、火を噴く猛獣、焼石が炎となって落ちてくるなど、さまざまな炎の表現が頻繁にあらわれる。「地獄草紙」が描かれた平安時代は、戦争の炎がたちあがり、焼死する人々、飢餓に苦しむ表情や、腐乱する死体などを、目のあたりにしたであろう。現実も地獄なり。それらが絵師を通して、読むことや聞くことでは得られない、目に見えない臭気や湿った空気、息づかいなどの、真に迫る表現に、つながったのではないか。

(つづく)