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第12回 地獄絵 其の三 絵師の魂
六道絵(ろくどうえ) 江戸時代 東京・品川 長徳寺蔵
六道絵(ろくどうえ) 江戸時代 東京・品川 長徳寺蔵 写真提供:品川区立品川歴史館 平安時代の源信著『往生要集』に基づく場面をベースとして、鎌倉時代以降の閻魔大王や業秤(ごうのはかり)の登場、室町〜江戸時代に畜生道に奇怪な生物をあらわすなど、一枚の絵から古代、中世、近世と、古式を継承し、新しいアレンジを加えた様子が見て取れる。

ある美術館の展示会場、二人の女性の会話。

A「怖いわぁ」

B「見て、見て。血。血だらけや」

A「描いた人、うまいなあ。よう、描けてる」

B「あんた、いつから美術評論家になったん」

A「だって、国宝やで。立派な美術品やん」

B「うわっ、えげつな。親が見てる前で子供がいじめられてる」

A「仏の教えやから、しょうがない」

B「R指定や。もう、行こ。きれいなもん見に来たんやろ」

A「そうやったな。でも、もうちょっと見たいわ、国宝やもん。よう見んと。ほら、この怪獣、ひょうきんな顔してる」

B「怪獣ちゃう、獄卒(ごくそつ)やん。目がみんな、上向いてる」

A「ほんま。どっちが罪人か、わからへんなぁ」

B「夢に出てきそう。地獄はいややわ」

A「死後やから、先の話。もうちょっと見ていこか?」

B「どっかで、ありそうな事件。この世も、あの世も地獄や……」

A「大丈夫? 気分が滅入(めい)るから、帰ろ」

 

いまから千年前の宮中で、似たような会話があったかは定かではない。

毎年十二月、一年間の罪を償う儀式、御仏名(おぶつみょう)には「地獄変御屏風(じごくへんごびょうぶ)」が置かれ、人々に地獄の恐怖を見せることで、反省と信心を促した。

 

御仏名のまたの日、地獄絵の御屏風取りわたして宮に御覧ぜさせ奉(たてまつ)らせたまふ。ゆゆしういみじきことかぎりなし。「これ見よこれ見よ」とおほせらるれど、「さらに見侍らじ」とて、ゆゆしさにこへやにかくれふしぬ。

 

儀式の翌日、中宮の元に運ばれた「地獄変御屏風」を、清少納言が目にした様子が『枕草子』に書かれており、「見ろ、見ろ」と言われるが、気味悪く感じ、あまりの恐ろしさに部屋に隠れて伏した、とある。経典を絵画で視覚的にあらわすことで、恐怖を与える役割だった地獄絵。絵師にとって、力量の見せどころであり、視覚的なものを肉体に感じるがごとく怖がる人々の反応に、芸術家としての喜びを感じていたと思われる。

前回までにあげた、平安時代の「地獄草紙」の二つは、いずれも地獄で罪人を責めさいなむ、「獄卒」などが登場するが、安住院本は人の苦しむ様子が中心で、肉体に受ける残酷さや痛みが際立つ。見る人々は自身が、天から「罰」を受けることに重ね合わせ、継続的にじわじわとさいなまれる恐怖を感じる。一方、原家本は、責める側の獄卒や、鶏地獄の鶏などが特徴的に大きく、罪人は無個性で小さく描かれる。そこには天からの「罰」よりも、責める側のサディスティックな感覚とともに、弱肉強食の絶望感がある。

 

弘高地獄変の屏風を書きけるに、楼の上より鉾(ほこ)をさしおろして、人をさしたる鬼を書きたりけるが、殊に魂入りて見えけるを、みづからいひけるは、「おそらくわが運命つきぬ」と、果たしていく程もなくうせにけり。

 

平安時代から鎌倉時代の説話を集めた『古今著聞集(ここんちょもんじゅう)』には、宮廷絵師・巨勢弘高(こせのひろたか)が「地獄変御屏風」を描いた様子と、称賛と自負があらわされている。魂を入れて地獄を描いた弘高は、自身の死が近いのだろうと暗示する。地獄を見ようとする絵師は、自ら地獄に身を投じる思いで描いたのだろう。罪人に、また時には責める側となった、そのまなざしは、見る者の心を誘導する。

(つづく)