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第13回 地獄絵 其の四 観心
熊野観心十界曼荼羅 江戸時代 兵庫県立歴史博物館蔵
熊野観心十界曼荼羅 江戸時代 兵庫県立歴史博物館蔵 一幅の絵画に、この世の浄土としての熊野三山の霊験と、地獄・極楽の仕組みをあらわした。熊野信仰の布教のために、熊野比丘尼と呼ばれる女性が各地に持ち歩いたとされる。彼女たちは、この曼荼羅の「絵解き」を行いながら、熊野への参詣を促し、寄付を勧めた。画面の上方に「人生の坂道」といわれる人の一生と、「心」の字を中心とした十界が描かれる。

受けがたき 人の姿に 浮かび出(い)でて こりずやたれも 又沈むべき『新古今和歌集』

 

西行法師が、六道輪廻(りんね)について詠んだ歌だが、六道の地獄とは死後に堕(お)ちる地獄か、現世か、それとも人間の精神状態をあらわすのだろうか。

「地獄」といえば、閻魔(えんま)大王や閻魔を含む十王が極楽往生、六道輪廻の行き先を審判する図を思い浮かべる。彫刻では鎌倉・円応寺の「十王像」や、絵画では国宝、聖衆来迎寺本(しょうじゅらいこうじぼん)「六道絵(ろくどうえ)」、東京・長徳寺に伝わる「六道絵」、またユニークなものに埼玉・圓福寺の「木彫閻魔王宮と八大地獄図」がある。

しかし、平安時代の『往生要集』には十王らは登場せず、視線はむしろ「現世」に向けられていた。「地獄」の恐怖により「厭離穢土(えんりえど)」の思想を募らせ、「極楽浄土」への信仰を高めるため、また「道徳」を促すものとして説かれてきた。やがて絵画に描かれるようになり、『往生要集』の六道の概念に十王による「審判」を加えることで、「絵解き」はわかりやすくなり、人々の意識に、死後の地獄が方向づけられるようになった。

聖衆来迎寺に伝わる「六道絵」は、源信が『往生要集』を編纂(へんさん)した地、比叡山横川の霊山院(りょうぜんいん)で鎌倉時代十三世紀後半に、制作された。全体の色調や山林の景色は、制作時期に大陸より伝わった「宗画(そうが)」を思わせ、人物の表現などには「大和絵」の手法が見られる。貴族的な優美さとは裏腹に、内容は壮絶で、地獄の場面において、人物もそれぞれ細部まで描かれ、死人のようには見えない豊かな表情をしている。地獄道(じごくどう)五幅、餓鬼道(がきどう)、畜生道(ちくしょうどう)、修羅道(しゅらどう)、天道(てんどう)が各一幅、人間道(にんげんどう)四幅、念仏による往生を説く幅が二幅──の十五幅からなる大作で、すべてを壁面に設置すると、やや上方から景色を眺めるように俯瞰(ふかん)することができる。洗練された構図は距離感を生み、それは極楽に行く途中にかえりみる現世であり、仏の視点から見下ろす、人間社会の縮図のようでもある。

一方、江戸時代、十九世紀に描かれた長徳寺の「六道絵」は、古い時代の六道絵を受け継ぎながらも、流れる感性は聖衆来迎寺本とは、かなり異なって見える。「地獄」の場面は陰鬱な題材でありながら、なんとも明るく、ダイナミックな印象を受ける。絵画の主役は、閻魔大王と体罰の執行役の獄卒(ごくそつ)らだ。大王たちは、強面(こわもて)だが親しみやすくもある。罪人である人間は、責めの受け手としての苦しみを、飄々(ひょうひょう)と演じているかのように、簡素ながらも筆致巧みに描かれる。聖衆来迎寺本が、現世と変わらぬ景色や建物とともに人物をあらわし、人の世の出来事のように描かれているのに対して、黒を基調とした背景は、宇宙や異空間を思わせ、現実の生々しさは感じられない。正面から迫る構図は、臨場感がありながら幻想的な印象を受ける。

六道輪廻は現世の穢(けが)れた世界を、目に見えない心の状態や空間イメージとしてとらえたもので、上から下へ、「天道」、「人間道」、「修羅道」、「畜生道」、「餓鬼道」、「地獄道」の六段階に分けられる。さらに「声聞(しょうもん)」、「縁覚(えんがく)」、「菩薩(ぼさつ)」と、悟りを開いた「仏界」の世界を加えて十界とする。

兵庫県立歴史博物館所蔵の「熊野観心十界曼荼羅」は、十界とその地獄の八大地獄を、人の一生とともに一枚の絵にあらわしたもので、熊野比丘尼と呼ばれる尼僧が、諸国をめぐりながら絵解きした際に持ち歩いたとされている。絵の上方、中心部には「心」という文字が大きく書かれている。これは「観心」の名のごとく、自身の心を観察する修行をさす。

 

仏の教え給える事あり。「心の師とは成るとも、心を師とすることなかれ」『発心集』

 

鴨長明(かものちょうめい)が十三世紀に編纂した仏教説話集『発心集』の序文には、心は「風に吹かれる草」や「水に映る月」のようなもので、不安定である。そのような心を師として思うままにせず、仏の教えにより、心の師とならなくてはならない、という内容が書かれている。

「熊野観心十界曼荼羅」の上部、人生をあらわす橋の下の「心」は、おそらく仏の目前に差し出されているのだろう。心は六道輪廻を繰り返す、手放すべき煩悩でもある。

 

ひかりさせば さめぬかなへの 湯なれども はちすの池と なるめるものを

 

「阿弥陀如来(太陽神)の光に任せて、煩悩を気にせずに過ごせば、地獄の釜の湯も、光により清い蓮池となる」。西行が地獄絵を見てつくった歌の一つ。

日本では、古くは自然信仰の太陽、天照大御神、天道思想、そして大日如来と、太陽信仰の歴史が脈々と続いてきた。太陽はいつも行動や心を見ており、「果報」と「罰」の概念を与えつつ、心の在り方とそれに伴う行動を支えてきた。

思えば、「お天道様が見ている」「お天道様に恥ずかしい」などという言葉が、日常に使われなくなって久しい。