第15回 醜と美
檀林皇后の九相図
檀林皇后の九相図 江戸時代 京都 西福寺蔵 絵巻を四等分にして境界に雲を配して縦に並べる構図は、聖徳太子や親鸞(しんらん)聖人の絵伝を思わせる。上段の右は檀林皇后の遺書の場面。「風葬として、亡骸の変相を絵にしなさい」と遺(のこ)したといわれている。左は臨終の場面で、美貌の皇后が横たわっており、二段目以降にその美しさが変容する様が、九相図として描かれている。浄土宗の寺であることからも、おそらく地獄絵などとともに、絵解きをすることにより、女性の信仰心を説いたのであろう。

口下手な友人による、喪主の挨拶が、とても流暢(りゅうちょう)だったので印象に残っている。
「皆様、お忙しい中、父の葬儀にご出席いただきありがとうございました。この教会は、常日頃、父がお世話になっておりまして、T神父様には並々ならぬご配慮をいただき……花の種類、生け方、椅子の配置など、父がすでにエンディングノートに図解入りで記載していたもので、すべてが父の思い通りでございます。また、特に父が心配しておりましたのは、わたくしの喪主の挨拶だそうで、お恥ずかしいのですが、とうとう原稿まで用意しておりました。申し訳ございません。これが少し長いのですが、故人の遺志を尊重して今しばらくご辛抱いただけたらと思います。思えば二十年前この街に……」

最近、本屋や文房具店で「エンディングノート」のコーナーを見かけるようになった。エンディングノートは、自身の死後の希望を、残した家族などに告げるために、さまざまなことを書き留めるためのものだ。ある青年が正月に実家に戻った際、健在な父親が書いたエンディングノートを家族で見る機会があった。そこには、死後は墓はいらないので、毎年花見をする桜の木の下に散骨してほしいと書かれており、お墓参りが花見になるとは、実に洒落(しゃれ)たアイディアだと感心したらしい。

桜の木といえば、聖衆来迎寺(しょうじゅらいこうじ)蔵の「六道絵」の中の「人道不浄相」には、桜の木に下に横たわる、死後間もない女性の死体が描かれている。美しく咲き散る桜の花びらが、死体に降り注ぎ、下方に向かって秋は紅葉、冬は枯野へと季節は移りかわる。散骨とは違い、死体は生身のまま放置され、腐敗し朽ちて、鳥獣の餌となり白骨化する。その変化は、前回触れた「九相図巻(くそうずかん)」と同様だが、この図では大和絵を思わせる優雅な筆致により、滅びゆく死体の「醜」と、草木の「美」を対照させ、時の移ろいを感じさせることで、「諸行無常」の感を強くあらわそうとしている。

九相図は宗教のみならず、絵画や文学にも影響を与えるとともに、影響を受けてつくられたそれらが、さらに九相図に変化を及ぼすこともあった。
『宇治拾遺物語』の中で、男が妻を捨てて美しい女にうつつを抜かし、病死したその女に接吻(せっぷん)しようとしたら、口の悪臭で我に返る話がある。このような例のように、九相観から影響を受けた話に「女」が登場するようになったことが、九相図に女体を描く一因とも考えられている。

実在した人物をモデルに描いた九相図では、京都市安楽寺伝来の「小野小町九相図」や京都市如意山補陀洛寺(にょいさんふだらくじ)の「九相詩絵巻」が知られている。平安時代の小野小町は、絶世の美女だったが、晩年は美貌も衰えて没落したことから、九相図に描かれた。このように、生きている姿の「美」と死後の「醜」を対比させたものは、修行僧に「異性」としての肉体への執着を捨てるように促すためであった。

同じく平安時代の檀林皇后(だんりんこうごう)が、鳥獣の飢えを満たすために、自身の遺体を路傍に放置するように望み、身をもって「諸行無常」を人々に知らせようとした逸話がある。「不浄」とされる女性が、信仰心を貫きあらわすためには、自らの肉体への執着を絶ち、犠牲となることが必要だったのだろう。京都市西福寺(さいふくじ)の「檀林皇后の九相図」は、江戸時代に描かれたもので、上部には、檀林皇后が生前の美しい姿で臨終を迎える場面が、物語絵のように配置され、下部は伝統的な九相図として皇后の死体が描かれている。

本来は、肉体の不浄を観想する九相観だが、死体が腐敗していく強烈な「醜」に触発され、絵画や文学では、美しい容姿、自然の草木、時には崇高な心などの「美」を登場させた。死を境にして、グロテスクとエロティシズムの間に揺れ動く「美」は「諸行無常」の繊細な感性を漂わせながら、中世以降、現代にいたるまでの美術、文学、芸能などのさまざまな芸術に織り込まれていった。