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第17回 手放したくないもの 其の二
高麗茶碗  李朝時代・18世紀
刀 名物中務正宗(めいぶつなかつかさまさむね) (金象嵌銘 正宗本阿[きんぎんぞうがんめい まさむねほんあ]〈花押〉/本多中務[ほんだなかつかさ]所持)国宝 鎌倉時代 文化庁蔵 正宗は歴史上最も著名な刀工で、鎌倉時代末期から南北朝時代初期に活躍した。刃と地肌の境に現れる金属粒子「沸(にえ)」を重要視し、刃文や地鉄(じがね)の美しさを追求する相州伝といわれる作風を完成させた。この刀は桃山時代の刃剣鑑定家である本阿弥光徳(ほんあみこうとく)が正宗と鑑定し、中務大輔(なかつかさたいふ)を称した本多忠勝が所持し、のち徳川家康、水戸徳川家を経て徳川将軍家に伝来した。

「最期まで手放したくない一点は何か」の問いに、武士ならば即座に「刀」と答えたであろう。
一九六二年に公開された映画『切腹』は、長年にわたり尊ばれてきた「サムライ精神」に疑問を投げかけた。貧困のあまりに家族を守るために刀を手放し、竹を刀に見せかけた切れない竹光で苦しみながら切腹する若い武士の壮絶な死、後半は仲代達矢演じる義父の回想と復讐劇(ふくしゅうげき)が繰り広げられる。そこには剣劇としての爽快感はなく、後味の悪さが残る。
刀を見ると、時折この映画を思い出し、人とモノの関係について考えさせられる。

国内外で刀剣の展示は人気を博している。美術館の担当者に聞くと、以前は来訪客の九割以上が男性だったが、ゲームやアニメに日本刀が登場するようになり、最近は男性ファンに加えて、若い女性で展示会場はにぎわっているらしい。なかには、サムライや、キャラクターへの憧れをきっかけに、美術品としての刀剣の魅力に引き込まれていく方も多いと伺う。

鞘(さや)、柄(つか)、鍔(つば)などの刀装具のない状態で展示される刀には、装飾から離れたミニマルアートのような美しさがある。最初に目につく刃先の形状や反りの大きさには、戦闘スタイルの変遷が見られる。奈良時代、平安初期には甲冑(かっちゅう)を切るために反りのない直刀が使われ、鎌倉時代にかけては、騎馬戦に適した大きな反りと厚みのある太刀になり、その後は突き刺すための、反りの浅いものが好まれるようになる。刀は命を守るために、武器としての性能を求められる一方、刀工や研ぎ師の巧みな技術により、おのずと美を備えるようになった。それらを手にする人々にも美しさに反応する感性が育ったに違いない。
刀は武士の命ともいわれるように、護身や殺生の道具でありつつ、自身を投影することで「生」を高めるものであった。潔い「死」を凜(りん)とした「生」とし、相手を苦しみ少なく死なせることを、武士の情けとした。そして、刀を磨くことを、自己の研鑽(けんさん)に反映させた。

明治時代に欧米から伝わった美術品の考え方は、研究者のみではなく、一般の感覚としても広まった。それは仏像を信仰対象というよりも彫刻として、刀を戦闘の道具としてではなく美術工芸品として、美術館などで鑑賞することを主流としている。名称、素材、時代、寸法、伝来などを「比較」「分類」し、時には技術的な観点からの見どころなども指南する。美術品を収集、研究する上で必要なことではあるが、精神史を探ることをしなければ、美術鑑賞は狭い範囲の情報の共有で終わってしまうだろう。
刀剣の、鍛錬され磨かれた地鉄(じがね)の肌合いや、沸(にえ)、匂(におい)と呼ばれる、その実に微妙な粒子の変化に美を見出(みいだ)してきた背景には、刀が「生」と「死」を分かつ刃物であることを踏まえた、言葉では言いあらわせない繊細な感性が働いているように思う。「死」を連想させるものを嫌わずに「武器が、なぜ美術品なのか」という疑問の先に、日本の独自性や、美意識の広大さを感じることができるのではないだろうか。