第2回薫り
常滑三筋壺 平安時代
常滑三筋壺 平安時代 初期常滑窯を代表する壺で、卵形の胴部、薄く外反する口縁部を造形し胴の部分に二重線で三本の線が彫られていることから三筋壺(さんきんこ)と呼ばれている。経塚、神社、寺院から出土することが多く、経典や副葬品を納めるなどの宗教的な目的でつくられた。焼成中に薪材から生じた自然の灰釉(かいゆう/自然釉)が器面の色彩を豊かにし、野趣を醸し出している。

「社長! いらっしゃいましたよ」

「シゲちゃん。とりあえず応接間に通して。すぐに行くから」とご主人の声が聞こえた。

早足に廊下を歩く音が近づく。私はコートを脱ぎ右腕に引っ掛け、両手で風呂敷包みをしっかりと握り直した。足音が急にゆっくりとした調子に変わると、廊下の角からお手伝いのシゲさんがあらわれた。

「お待たせしてすみません」。急いで駆けつけたからか、エプロンの胸当てが大きな呼吸とともに膨らんでみえた。応接間に通されるとすすめられるままに、ソファの端に腰をかけた。

「大きなお屋敷で大変ですね」と言うと、シゲさんは

「だから声が大きくなってしまうのですかねぇ」と苦笑いをしながら、奥から聞こえる話し声を気にしていた。

ご主人と奥様の声が聞こえていた。とぎれとぎれに聞こえてくる会話から、奥様が手作りの造花を壺に生けたのをご主人が気に入らなくてもめている様子がとれた。

シゲさんは、それらの声から私の気をそらすように、やや大きめな声で話し始めた。天気から始まり、電車は混んでいなかったか、東京はにぎやかだろう、仕事のことや、近隣の農作物について。一瞬途切れた話の隙間に割り込むように、奥様の声が響いた。

「私は自分のつくった花を見せびらかしたくて生けているわけではないのですよ。私だって自然の花のほうが美しいと思っています。だからこそ、むやみに庭の花を切って生けることはないと言っているのです」

「そんなに言うならないほうがましだから、下げてくれ」とご主人のひと声。

すかさず、「社長さんは、いつまでも散らない花は風情がないというのです。奥様は庭で花を大事に育てておりまして……」とシゲさんが言い訳のようにささやいた。

扉をあけてご主人が入ってきて、平静を装う声で

「お待たせしてすみません。早速見せていただけますか」と言った。

続けて奥様が入ってきて「どうも」と硬い表情で会釈をした。

(タイミング、悪かったかしら)

私は少し緊張しながら、風呂敷包みをほどいた。ご主人と奥様は、まだ開いていない桐箱をのぞき込むように首をのばし、身をのり出してきた。箱のふたをあけて、中に包んである布ごとテーブルの上に出し、そっと開いて見せた。

一瞬、二人のゆったりとした息を感じ、心地よい緊張感が漂った。横たわる仏像を立てて見せると、ご主人は近づいて細部に目を配り、奥様は離れてじっと眺めた。お盆を持って入ってきたシゲさんが「あっ、壊れている」と驚いた。その表情がおかしくて、ご主人と奥様が、引きずっていたものを解くように笑い声をあげた。

平安時代の木彫の観音像は両手肘から先、両足が欠損している。

「よく残ったなあ。手足がないのは気にならないよ。むしろ時代を経た感じがいい」とご主人がつぶやく。

「ないほうが、味わいがあるということですか?」とシゲさんが目を丸くした。

「手足があってもなくても、出会いということですよ」と奥様が言うと、シゲさんはますます不思議そうに首を傾げた。ご主人は振り返り、奥様の顔を見て微笑んだ。応接間から別室へ、観音像を移動して眺めることになった。部屋に入ると入口の椅子に生花と見間違うような桔梗の造花が無造作に置かれており、棚には、つい先ほどまで夫婦げんかに巻き込まれていたと思われる壺があった。それは十二世紀の常滑焼(とこなめやき)で、胴の部分に三本の線が彫られていることから三筋壺(さんきんこ)と呼ばれている。経塚、神社、墳墓、寺院から出土することが多く、経典や遺骨を納めるなどの宗教的な目的でつくられたのだろう。

壺の隣に同時代につくられた観音像を並べると、部屋の空気が変わるように感じた。

「平安だね」とご主人がつぶやき、奥様と私はうなずいた。

「ますます、この部屋はお寺さんのようになってきました」と奥様は微笑んで、造花を手に取り部屋を出た。

観音像は、その頭頂から衣の裾までの優美な線の中に凜とした佇まいを感じさせていた。制作された当初は瓔珞(ようらく)などの装飾もあったのであろうが、今は残らず彩色が少し見られる程度だ。常滑壺は、釉薬が流れる赤味ある肌合いの野趣に一瞬目を奪われるが、中世以降の穀物の貯蔵などに使われた豪快な壺とは違った、静粛さを秘めている。縦長を意識した形や、三本の線がそれぞれ二重に彫られた繊細さは同時代に盛んにつくられた銅製経筒(きょうづつ)を思わせる。時代が持つ共通の薫りとでも言おうか。貴族文化が栄える一方で、飢餓や天災に見舞われた平安時代に、この観音や壺は、何らかのかたちで人々の祈りを背負っていたのであろう。

私は帰りの電車の中、シゲさんが持たせてくれたおにぎりをほおばりながら、常滑の三筋壺にはどんな花が似合うだろうと想像していた。藪椿か、梅かなどと考えているうちに眠りに誘われて、気がつくと上野駅に着いていた。

その後、何度か三筋壺を入手する機会があり、そのたびに花を生けてみたが「三筋壺に花はいらない」と思い始めた。うまく生けられない言い訳のように聞こえるかもしれないが、それ以前に、花を生けることによってそれらの壺や花が生かされているように感じないのだ。花を外した瞬間に、すっきりとした気持ちになる。そのような器には視覚的な花の美しさよりも、目に見えぬ薫りを感じたい。

ある日、シゲさんからの電話で、ご主人が亡くなったことを知らされた。数年の闘病期間中、訪ねることがなかったが、葬儀から数か月が過ぎた頃に再度連絡が来た。この日、光の加減か、気持ちのせいなのか、久しぶりに見る観音像のまぶたが腫れぼったく感じられた。三筋壺に花はなかった。奥様は「どの花を生けてもしっくりこない壺で、このままで充分な感じがしてきました。この線が須弥山(しゅみせん)のようで。宇宙ですね」と言うと、ゆったりとした趣で仏壇を開き、線香を立てた。一瞬、清浄な薫りが漂った。窓の外で秋草が風に揺れていた。