第3回 幽玄
痩女 江戸時代 東京・国立能楽堂蔵
痩女 江戸時代 東京・国立能楽堂蔵 刀目(かたなめ)を残した仕上げ、ゆがんで見える紅に特徴がある。人間の顔でありながら、宗教的な印象を受ける面。
泥眼 江戸時代 東京・国立能楽堂蔵
泥眼 江戸時代 東京・国立能楽堂蔵 目と歯に金泥を施し、死者の霊気を感じさせる。髪の毛の乱れた表現が激しさをあらわしている。大野出目家5代、出目洞水の朱書がある。
痩男 江戸時代 東京・国立能楽堂蔵
痩男 江戸時代 東京・国立能楽堂蔵 黄土色の肌、白目は朱色に充血し、眼球には「鳩目」と呼ばれる金具が入れられている。深い苦しみをあらわした面。京都の能面師、宮田筑後の焼印がある。

「言うことを聞かぬと、お能を見せますぞえ」とは、むかし公卿の子供のお仕置きに使われた言葉で、能は子供にとって退屈なものというたとえらしいが、おそらくそればかりではなく、仮面をつけて演じる姿を見ることに、居心地の悪い怖さを子供たちは感じたのであろう。

娘が幼い頃、帰宅して扉をあけるなり火がついたように泣き出した。私は古い女の能面を入手したばかりで、その美しさに満足しながら部屋に飾って眺めているところだった。能面を見て、幽霊があらわれたかのように、たいへん怯えていたので「これはお芝居に使うお面で怖くないのよ。ほら。誰もいないでしょ」と、慌てて面を裏返すなどしてなだめた。数日後、遊びに来た近所の子供も、能面を見るなり叫び声をあげて目をそらしたので、娘が特別怖がりの性格だったわけではなかったようだ。その後、能を頻繁に見に行き、娘と一緒にお稽古に通った時期もあった。謡(うたい)の練習をしていると、その独特な節のせいか猫が嫌がって部屋から出ていくのは不思議だった。

美術品を観るという脳でモノを見ていると、美しいとかよくできているなどと考えがちだが、先入観のない子供が「怖い」と感じるそれが「美しい」よりも能面の魅力の本質をあらわしているのではないか。能面の顔は生身の人間から遠ざかる神秘性を持ち、人間の顔の要素を備えながらも、それは神や死者をあらわすことが多い。古来、仮面をつけて舞い演じることは神事芸能で、面をつけること、もしくは面そのものに神が憑依することを意味した。

神は五穀豊穣をもたらすありがたい存在でもあるが、天災をもたらす恐ろしさも併せ持つとされてきた。それゆえに、人々は畏敬を持って奉ってきたのだ。

平安時代末から鎌倉時代にかけての面は神、もしくは神をあらわす翁が中心だった。しだいに老人の男があらわれ、その後、幽玄な男の面がつくられる。多くが仏師たちの手によるものだったことも影響してか、それらは少なからず神仏に通じる気品を残していた。能の華とされる若い女の面は男面よりも遅れて成立したが、まさに神像彫刻の顔面を切り取ったように見えるものがある。

能は神事芸能から舞台芸術としての発展を遂げ、観阿弥、世阿弥などの優れた能役者があらわれて、さまざまな能曲が発表される中で、画期的な変化があった。それは神と生きている人間の存在に加えて死者の登場が浮き彫りにされたことだ。死者があらわれて語り部となる夢幻能(むげんのう)や武将の幽霊があらわれる修羅能(しゅらのう)では、肉体を失った霊が演者にのり移る。従来の憑依性に死を重ねることで時間や場所、空間、そして性別、肉体を超越する演出を生み出したのだ。

さて、能面において死者はどのように表現されたのか。見えないはずの世界を彷彿させ、霊魂の行きかう場所へいざなうために、能面は重要な役割を担う。世阿弥の時代には登場人物に合わせて面をつくることはなく、特に女の面はまだ多くを有していなかった。世阿弥以降、種類は増えたが、いくつかの特定の人物をあらわす例を除いて固有の人物をあらわさない。つまり、一つの面が複数の演目で使用されている。

たとえば、泥眼(でいがん)と呼ばれる女の面は仏教の「龍女伝説」に由来して、死後、悟りにより成仏する「海士(あま)」や「当麻(たえま)」の演目などで使われている。目に金泥が施されており、力強く光ることにより生身の人間とは一線を画している。白目の部分に金泥や金具を入れることは特別な霊気を持った存在に対して使われる技法である。

また、死者があらわれて語り部となる夢幻能では、「死ぬこと」「死ぬ瞬間」に見る肉体の消滅よりも、魂が浮遊することの苦しみ、つまりは成仏できないことに重きをおき、生前に成し遂げられなかったことへの未練や恨み、また過去の出来事などが語られる。その中で死者が女の姿であらわれる際に使われる面に、痩女がある。眼球は通常の面と同じように胡粉(ごふん)のままで金泥は施されていない。頬の肉がなくなり極端にくぼんで、目は陥没して生気を失いうつむいている。怨霊として浮かばれない苦しみに成仏を願うという役どころが似合う。この面に残る気高さは人間の霊でありながら、根底には女神の面影を残す宗教的な要素をあらわしている。

痩女に対して男の姿であらわす際に使われる痩男の面は黄土に彩色され、地獄に落ちた罪人をあらわすがごとく、哀れな風貌である。しかし、痩女と違うところは眼球に「鳩目(はとめ)」と呼ばれる金具が入れられていることだ。これは武将の精霊の面にも見られるが、地獄と人間界をさまよっている境遇をあらわす。また、死人の霊魂が収まり切れずに、感情をあらわにした表情の面に鬼面がある。渡来してきた善神をあらわす場合もあるが、死霊がパワーアップした場合にも使われる。

飛出(とびで)と呼ばれる目玉の大きく飛び出た面は、目と口をかっと見開いており、長年の苦労の蓄積を感じさせる痩女、痩男の面とは違う、激昂した瞬間の表情をとらえている。同じ冥途からの霊でも、痩女、痩男はやや陰気で、怨念を内にこめた静かさで「背筋がぞくぞくする」のに対し、突然「出たぁ〜」と驚かされる違いであろうか。見た瞬間に息が止まるような緊迫感を感じさせる。

能は「死」を取り込むことによって、宗教色を残しつつ、芸術性を昇華させた。静と動を常に持ち、とどまることなく、またあからさまにうごくことなく抑制の中にエネルギッシュな感情を秘める。怖くて美しい幽玄の世界は、まるで、死を生きているかのようだ。