第4回 臨終の夢
阿弥陀三尊来迎図 (部分)鎌倉時代
阿弥陀三尊来迎図 (部分)鎌倉時代 金色の阿弥陀如来と勢至・観音菩薩が西方浄土から降臨する、典型的な三尊来迎図。截金(きりかね)が精緻に用いられた優品は、身分の高いものが絵師に描かせたもの。
阿弥陀如来来迎図版画 鎌倉時代
阿弥陀如来来迎図版画 鎌倉時代 比叡山・聖衆来迎寺(しょうじゅらいこうじ)で刷られた来迎図は、あまりに多くの人が求めたために、版木が摩耗している。
阿弥陀三尊来迎図版画 室町〜江戸時代
阿弥陀三尊来迎図版画 室町〜江戸時代 庶民の自宅に掛けられた、小さな紙に摺られた三尊来迎図。紙の表具に素朴な軸先。質素ながらも大切にされた様子がうかがえる。

頭の中で鈴のような音が響いている。

私はいま、どこにいるのだろうか。

金色の阿弥陀如来が両脇に観音菩薩と勢至菩薩を従え、その後ろから菩薩たちが各々の楽器を奏でながら舞うように降りてくる。

ああ、どこかで見た絵だ。いや、動いているように見える。

子供が小さな手を合わせて祈っている。

きっと、ジョバンニだ。

「列車は来ないよ」と話しかけるが、声が出ない。

「ハレルヤ、ハレルヤ」とジョバンニがつぶやく。

「違う、違う。ナムアミダブツ」

と、思ったところで目が覚めた。

人は、前日に見たことや経験したことを、夢の中で繰り返すという。

そういえば、昨日手にした来迎図(らいごうず)。右下の傷んだ絹地の奥に、幼い子供が手を合わせて、阿弥陀如来の降臨を待っている姿が見える。ふと宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を思い浮かべていたら、早速、夢に主人公ジョバンニがあらわれた。

来迎図は幻想的な物語を感じさせる魅力ある構図だが、その名の通り「お迎え」をあらわしたもので、臨終の際に枕元の壁に掛け、阿弥陀如来の手に糸をつけ死を迎える人に握らせた。この場合の乗り物は列車ではなく雲で、観音菩薩が差し出す蓮座の上が指定席だ。死者も見送るものたちも、ひたすら「南無阿弥陀仏」を念じ、阿弥陀如来がおさめる西方浄土へ旅立つことを願った。

阿弥陀三尊来迎図は阿弥陀如来を中心に観音菩薩と勢至菩薩を従える。阿弥陀如来のみの独尊像や、三尊に加えて十五菩薩、十九菩薩、二十五菩薩の場合もある。画面の中に、願生(がんしょう)者が祈る姿が描かれる場合があり、これらは特定の人物の死のために製作されたことがうかがえる。老年の男や僧侶が多く、時には尼の姿をした女性の場合もあるが、子供が描かれることは極端に少ない。おそらく幼くして亡くなった、身分の高い方のためにつくられたのだろう。

平安時代中期から鎌倉前期にかけて浄土信仰が広まり、極楽浄土や往生をあらわす仏画が描かれた。その中でも、個人の死に直接的に関わった来迎図は、数多くつくられたという。

知恩院に伝わる国宝の「阿弥陀二十五菩薩来迎図」は雲のたなびきを長く描くことでスピードを感じさせる来迎図で、早来迎(はやらいごう)と呼ばれる。生前の行いや法縁において定められた九種類の階梯で、最も信仰の深い「上品上生(じょうぼんじょうしょう)」をあらわした。「死後一日から七日の瞬く間に仏国に生まれ、さまざまな仏につかえて予言を授けられ神秘的な力を得る」という経典に基づき、超特急で迎えに来る様子を描いたと思われる。

浄土信仰の絵画は中国から渡ってきた仏画を踏襲する場合が多いが、その中で、「山越来迎図(やまごしらいごうず)」は、経典に沿いながらも、日本古来の信仰と風土を受け、画面には自然との調和が見られる。京都の金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)に伝わるものは、巨大な阿弥陀三尊が正面向きに山から顔をあらわすように描かれている。これは観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)の十三の観想方法の中の「無量寿仏(阿弥陀仏)は大きさが無限で人間が把握できる間隔を超えている。自由自在な超自然的な能力があり自由自在に変化出現する。虚空いっぱいとなれば、一丈六寸、または八尺となってあらわれる。姿はいずれも金色である」に由来する。大陸では太陽は地平線から昇り沈むが、日本では太陽は山から昇り、端に沈んでいくので、光背は、太陽のイメージとして描かれている。また、京都国立博物館の国宝「山越阿弥陀図」はゆったりとした山間から三尊の上半身が描かれ、従来の斜め向きを残している。禅林寺に伝わる同じく国宝の「山越阿弥陀図」は、山からあらわれる三尊は正面を向いており、背後に海が描かれ、月、草木など、仏画の中に大和絵の技法を取り入れた、日本的な優美さがうかがえる。

来迎図は大きな寺院や美術館にあるような立派なものばかりではなく、小さな寺や庶民のためにもつくられた。時には、阿弥陀如来の毛髪部分に往生者の人毛を施したものや、阿弥陀の手元に臨終儀礼に使用した五色の糸が残るなど、仏と往生者の一体感が見られるものもある。

室町時代以降は、肉筆に加え、版画や版画に彩色を施したものもつくられた。小さな版画に竹櫛ほどの軸がついたものや、何度も摺ることで版木が摩耗したために、仏たちが影のように見える「乱れ版」と呼ばれる版画も残っている。後世に眺めると暗闇から仏があらわれてくるようで、質素ながらも独特な魅力がある。観無量寿経では「一度地獄に落ちたものも猛火に焼かれる寸前に救われる。もしくは臨終間際に苦しんでいる中で観想の余裕のない人は、南無阿弥陀仏と称(とな)えよ」など、幅広く誰もが往生できる方法を説いている。

来迎図は、「美」をもって「救い」「許し」「やすらぎ」をもたらし、多くの人々の臨終の夢を助けた。