第5回道の観想
春日宮曼荼羅 重要文化財 鎌倉時代 奈良市南市町自治会蔵
春日宮曼荼羅 重要文化財 鎌倉時代 奈良市南市町自治会蔵 写真提供:奈良国立博物館 撮影:佐々木香輔 奈良の地形をとらえた、自然景観の中に、建築物、鹿、桜や梅などの草木、人物などが繊細に描かれ、上部中央には本地仏が並ぶ。現存する春日宮曼荼羅としては古い作で、最も大きい。幻想的な構図や描写は、聖地をあらわすにふさわしい。

美術品を一分間観察した後、目を閉じて、仏画であれば描かれている仏像の頭、目の形、輪郭や衣、持物(じもつ)など、上から順番に思い出す。学者のM氏が実践していたことで、試してみてはどうかと勧められた。

当時、古美術商を始めたばかりだったので、このことは、古美術品を短時間で把握するのに、役に立つように思えた。業界では「交換会」と呼ばれる古美術の市があり、瞬時に判断して競り落とさなければならないことがあるからだ。このことを自身の中で、古美術を見る「訓練」と思って実践した。

その後、何度かM氏の勉強会に足を運んだ。仏教美術の研究家で僧籍にあったM氏は「美術品として見るのでは、仏教美術はわからない」と言った。「この仏画は、もっと近くに寄って、かがんで見たほうがいい」などと、当時の状況に近づいて見ることの大切さを説いた。

それから十年以上が経過し、M氏が他界したと伺ったとき、なぜか例の「訓練」について、ふと不思議に思った。私は勝手に古美術品を短時間でとらえる、集中力の「訓練」だと思っていたが、実は違うのではないか。M氏は博物館で名品をじっくり手に取り研究できる立場だったのだから、このような「訓練」は不要だったはずである。M氏の「美術的ではなく、宗教的観点、当時に返ってみる」という原則を思い出した。なるほど、一度見たものを、目を閉じて思い描いてみることは、本来の仏像や仏画の役割に即した見方なのだ。当時は、現代のように美術館やお寺でさまざまな作品を見ることはなく、縁のある寺の仏像や仏画を見て、それを瞼(まぶた)に入れて持ち帰ったであろう。禅宗はこの偶像の助けなしに悟ろうとするが、多くの仏教は、目に見えないもの、形無きものを自己に観想するために、美を助けとした。

その場を立ち去った後も、目を閉じて、幾度となく思い浮かべたい、と思うものはおのずと限られてくる。

時折、思うのは春日宮曼荼羅(かすがみやまんだら)に描かれた道だ。鳥居をくぐり、桜を眺め神苑の緑と金の霞の中を歩いていく。春日社と興福寺の先には御蓋山(みかさやま)が見える。御蓋山は「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」と奈良時代に詠(うた)われており、清浄な地である浄土として描かれている。また絵としては描かれないが、その下には地獄があると想定された。山の上空には、鏡をあらわしたとされる円相の中に、文殊菩薩、釈迦如来、薬師如来、地蔵菩薩、十一面観音の本地仏が描かれている。神道は人間の死後の世界を説かないが、中世になると日本の神々は本来、仏教の尊像(本地)が日本での姿であらわれたもの(垂迹)であるとする本地垂迹(ほんじすいじゃく)の思想から、聖なる地を浄土とみなしたという。具体的な地をさすことから現世浄土の意味合いが強いが、そこに死の存在がないわけではない。道の描かれた絵は、その上に自身を置いて感じることができる。春日曼荼羅を思い、その道を歩むことは、日本の宗教観や美意識の中に身を投じることだ。

「生」と「死」の関係を、道を用いることで、わかりやすく印象的な構図であらわしたものに「二河白道図(にがびゃくどうず)」がある。唐の善導(ぜんどう)の観無量寿仏経疏の中の説を法然や親鸞がその著書で説いたため、浄土信仰諸派で用いられるようになった。

西岸にあらわされる極楽と東岸の現世の間には水と火の二つの河があり、その間に白い道が伸びている。水の河は、欲に流されるたとえで、貪欲や執着を、火の河は燃えさかることから、怒りや憎しみをあらわしている。衆生は悪のたとえの盗賊や猛獣の群れから逃れ、現世から白道を渡って極楽浄土を目指そうとしている。東岸では釈迦が「逝け」と言い、西岸からは阿弥陀如来の呼ぶ声がする。衆生は迷うことなく、清浄な心の象徴である白道を渡り、極楽往生をとげる。現存する代表的なものでは奈良国立博物館、香雪美術館、清凉寺(せいりょうじ)、光明寺などがあり、それぞれの配置や細部の描き方などは異なり工夫が施されている。

道は歩むもので、「意志」を持って進むイメージがあり、人生や芸事にたとえられる場合がある。道の描かれた浄土図は、来迎図(らいごうず)の往生者のように手を合わせながら阿弥陀如来のお迎えを待つのとは違い、自身の足で死に向かうことをあらわす。優雅な画面の中に描かれた道は細く、静かな時間と、強さを感じさせる。時折、この滝の糸のように、簡素で美しい道を観想すると、心が落ち着き、この道が古代の道とつながっているかのように思えるのだ。

二河白道図 重要文化財 鎌倉時代 奈良国立博物館蔵
二河白道図 重要文化財 鎌倉時代 奈良国立博物館蔵 写真提供:奈良国立博物館 撮影:森村欣司 「二河白道図」とは、唐の高僧・善導によって『観無量寿仏経疏』に書かれたたとえで、日本に伝わり、法然や親鸞が、著書でそれを引用したために、浄土教系の各宗派で絵画化されるようになった。図を示して説明することで、浄土教への信心を促した。濃厚な色彩に截金(きりかね)を用い、細密に描かれている。