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第6回現実と真実 其の一
当麻曼荼羅(部分:三尊段)版彩色 室町〜江戸時代 当麻曼荼羅(部分:宝地段・舞楽会)版彩色 室町〜江戸時代
当麻曼荼羅(部分:三尊段、宝地段・舞楽会)版彩色 室町〜江戸時代 当麻曼荼羅の構図は「観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)」や唐代の「観経四帖疏(かんぎょうしじょうしょ)」を絵画にあらわしたもので、「極楽浄土の観想」を中心に描かれている。古くから当麻寺に伝わる当麻曼荼羅は画面四方が四メートル近くもあり、絹糸を使った織物でできている。十二世紀以降、普及を目的としてこれを原本とし、多くの当麻曼荼羅が転写され、寺の規模によってさまざまな大きさや版彩色のものがつくられた。本作品は版画に彩色を施し、墨書きで指示が描かれていることから、おそらく仏画の指示書のような役割をしていたのではないかと思われる。現存する版画の中でも、特に巨大な画面で、版画技術も高度である。

ある日、友人の通夜の後、飲みすぎた男は知らない路地に迷い込んでしまった。

来た道に戻ろうと振り返ると、雨戸の閉まった長屋の先に、寺のような建物があり「浄土旅行社」と書かれた、古びた看板が見える。

友人が生前に「浄土旅行社」について話していたことを思い出した。そのときは、治療薬のせいでうなされているのだろうと思っていたが、友人の言っていたことは本当だったのだ。

様子をうかがおうと、扉を開いた。中はお堂のように広くて薄暗く、白い着物を着た女がひとり座り、男を見て微笑んでいる。

 

男「すみません。こちらで死後の旅を扱っていると伺ったのですが」

女「はい、さようでございます」

男「さようでござい……丁寧な日本語をお使いですね。失礼ですが、あなた鼻筋がスッとして、お父様かお母様はインドの方ですか?」

女「ええ、インドで生まれた後、中国、朝鮮におりました。……今は日本人です」

男「そうですか、日本人と結婚されたとか?」

女「ええ……まあ」

男「ところで、天国行きをお願いしたいのですが」

女「申し訳ございません。私どもでは天国行きは扱っておりません。代わりに極楽浄土行きはいかがですか?」

男「極楽? それはどっちのほうだね」

女「インドからですと西のほうですが、日本からですと、ほら、あの山の向こうの空になります」と、女は窓から見える、月明かりに照らされた山のほうを指さした。

男「随分、遠そうですね」

女「ええ、十万億土先といわれておりますが、すぐでございます。ご予定はおありですか?」

男「いや、まだまだやらなければならないことや、やりたいことも残っているので、先のことなのだが……。いや、そのはずだが」

女「九通りのコースがございまして。ご出発までお時間があるのでしたら、上品上生(じょうぼんじょうしょう)ですと、七日間で極楽浄土に生まれ変わることが可能でございます」

男「でも、それって費用が高いのでしょ」

女「いえ、費用がかかるというよりも、いろいろと心がけがございまして、たとえば、大乗経典を読誦(どくじゅ)する。仏・法・僧・戒・捨・天を念じるなど……」

男「あーダメダメ、時間がないから。面倒なのは苦手だ。もっと簡単なのがいい」

女「申し訳ございません。お客様のほうでコースをお選びいただくことはできないのでございます」

男「えっ? そうすると、行いの悪い奴(やつ)は、乗車拒否されることもあるのかい? もしくは、途中でドンと地獄に突き落とされるとか」

女「いいえ、私どもではすべての方に、極楽浄土行きを提供しております。なにか、ご心配でも?」

男「いや、昔ちょっとだけ悪いことをして……」

女「大丈夫でございます。万が一地獄の入口まで行かれても、釜のふたが開く瞬間に『南無阿弥陀仏』を唱えれば、三尊、いや場合によっては一尊かもしれませんが……まあ、誰かが必ずお迎えにあがります」

男「やっぱり心配だなあ。とりあえずパンフレットをいただけますか?」

女「パンフレットはないのですが、よろしければ、こちらをご覧ください」

 

女は壁にかかった、当麻曼荼羅(たいままんだら)と呼ばれる大きな絵を指さした。

四メートル四方はあるだろうか。その前に立つと、まず壮麗な楼閣に圧倒され、多数の菩薩に囲まれる観音・勢至菩薩の間に堂々と坐(ざ)した阿弥陀如来に対面する。少し落ち着いて周辺を見渡すと、典雅な天人(てんにん)の姿。美しい楽器や花などが飛び交い、舟を浮かべた蓮池中の舞台で童子が舞踊や音楽を楽しんでいる。

 

「これが、阿弥陀如来の極楽浄土でございます!」

女の声が高揚しているように感じた。

 

極楽浄土図の三方をとりまき、フィルムのコマのように区切られた中に絵が描かれている。女は、左縦並びのコマの説話「王舎城(おうしゃじょう)の悲劇」を、慣れた口調で話し始めた。

男が少し飽きて、立ち去ろうとすると、女は「これからが大事なのです。よくお聞きください」と引き留め、右に描かれた、浄土の観想方法を説いた後、下部に描かれた九つのコース「九品往生(くほんおうじょう)」を説明した。

 

男は友人はどのコースで往生したのだろう≠ニ思った自分がおかしくなり、

所詮(しょせん)、作り話だ≠ニ心の中でつぶやいた。その瞬間、目の前の曼荼羅は消えた。

女はゆっくりとお辞儀をすると、最後に冷静な声でささやいた。

「くれぐれも、南無阿弥陀仏とおっしゃるのを、お忘れにならないように」

 

夜中の一時を過ぎていた。

男がタクシーを探しに大通りに出ると、車が猛スピードでカーブを曲がり、男が立つ歩道をめがけて突っ込んできた。

「南無阿弥陀仏!」

男は叫んだ。

当麻曼荼羅(部分:九品往生)版彩色 室町〜江戸時代
当麻曼荼羅(部分:九品往生)版彩色 室町〜江戸時代 当麻曼荼羅の下部に右よりコマ送りに、極楽往生の階位を九つであらわしている。上品・中品・下品の分類に、それぞれ上生・中生・下生がある。右は最も高いランクの「上品上生」で、阿弥陀如来とたくさんの菩薩が迎えに来る。左に進むに従い、お迎えや見送る人たちの数も少なくなっていく。今日、日常的に使われる「上品」「下品」の語源といわれている。

(つづく)