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第9回 二つの仏国土 其の二
阿弥陀如来坐像摺仏(部分:浄瑠璃寺伝来) 平安時代(11〜12世紀) 木版
阿弥陀如来坐像摺仏(部分:浄瑠璃寺伝来) 平安時代(11〜12世紀) 木版 浄瑠璃寺の本堂に安置される、阿弥陀如来坐像の胎内に納められた版画。1枚の版木に百体の阿弥陀如来を彫り、和紙に摺った「摺仏」。他に十二体を1枚の版木に彫って押した「印仏」がある。阿弥陀如来の異なる表情と、連続の面白さ、和紙の上に墨摺りされた味わいが魅力。

あの世では、四季折々の草木が同時に花をつけるとされるが、この世の浄土では、春は馬酔木(あせび)や山茱萸(さんしゅゆ)、夏は紫陽花(あじさい)、杜若(かきつばた)、秋は紅葉の下に、萩(はぎ)がたおやかに咲く。冬は水面に風が吹く中、千両や万両が赤い実をつけ、時の移ろいを感じさせる。

浄土式庭園を残す京都府木津川市の浄瑠璃寺は、何度も訪れたくなる寺の一つだ。中心に掘られた池をはさんで、西側を彼岸に、西方浄土の阿弥陀如来の本堂(九体阿弥陀堂)があり、東側を此岸(しがん/現世)とし、薬師如来が国宝の三重塔に安置されている。建立当初は、薬師如来を本尊としていたが、その後に阿弥陀如来を迎え、人々は薬師如来に現世での救済を祈り、死後に阿弥陀如来の来迎を願った。

本堂の阿弥陀像は平安時代の九体仏(くたいぶつ)として唯一現存するとされ、横並びに座した九体が、自然光を受けて金色に輝く様子は、言葉を失う神々しさ。九体の像は、先の回で述べた「感無量寿経(かんむりょうじゅきょう)」にある九品往生(くほんおうじょう)の、それぞれの往生の段階により、迎えに来る阿弥陀が違うことをあらわす。当時は、本堂の対岸から、池にうつる阿弥陀如来の姿を拝んだと思われる。池が鏡となり、あの世とこの世の、仏国土をつないでいた。

水面に、月や景色をうつして眺める美意識は、金閣寺、銀閣寺や桂離宮などにも見られ、日本の建築の中で、長く受け継がれてきた。「浄土」は土を浄化すると書く。清浄な水は土を清め、土にみがかれた水は、仏や人の体内を通り、澄んだ水面は、人の心のうちを浄化した。

ある日、本堂に参拝後、池の周りを回ると、ふと忘れ去られたような、折れた古木が目についた。おそらく、神木であったに違いない。風か雷に打たれたなどで折れたのであろう。すでに、蘖(ひこばえ)を見ない、古木の先には、かつて森があった形跡がみられ、古くから霊性を宿した土地であったことがうかがえる。

浄瑠璃寺のある、当尾(とうの)の里と呼ばれる一帯は、平安時代に、寺に属さない念仏聖(ねんぶつひじり)たちが、世俗を離れて草庵(そうあん)を築いた。釈迦の教えが及ばない時代が来る、と予言する末法思想が、災害や世の乱れと重なり、現世を穢(けが)れとする厭離穢土(おんりえど)が広まった。人々の心に不安がつのる。念仏を唱えて、死後、極楽浄土に生まれ変わろうとする信仰が高まり、現世にも阿弥陀如来の仏国土を築こうと、多くの寺院が建立された。

浄瑠璃寺の阿弥陀如来の胎内に納めた、阿弥陀如来像の版画が、後世に取り出され、現在は美術館や個人の蒐集、古美術店で、目にすることができる。奉納された摺仏(しゅうぶつ)は、大きな像内に隙間なく詰まっていたとされ、当時の人々の願いが、いかに切実であったかを物語っている。

浄土信仰の霊地として栄えたこの土地も、現在残るのは浄瑠璃寺と岩船寺(がんせんじ)と聞く。鎌倉時代の石仏群が、道行く人たちを静かに見守っている。

近年、寺院が観光や文化財保護の見地から、美術館のように整えられる場合があり、文化財は守られても、そこに流れる当時の宗教心を垣間見ることや、体感することができなくなってきた。

浄瑠璃寺の浄土式庭園を眺めていると、当時の人たちが、死を内包しつつ、平和な環境を求め、現世の仏国土を求めていたことが、肌に伝わってくる。

人々は死にたかったのではない、生きたかったのだ。

「盛(さか)んでなく、すたれるでもなく存在すること」の尊さを感じさせる。