ぼくのヨット、ミカ号の全長は37フィート(約11・4メートル)で、マリヅル号は82フィート(約25メートル)である。全長だけで比べれば二倍強であるが、これをもって、マリヅル号はミカ号の二倍の大きさであると判断してはいけない。全長が倍になれば、全幅、全高ともに倍となる。したがって、船の容積を出すためには2の三乗が必要で、マリヅル号はミカ号の約8倍の大きさとなるのだ。実際マリヅル号のトン数は約60トン。ミカ号は約8トン弱なので、計算は合う。

 ヨットを所有していると言うと、必ず「わー、すごい。何人乗り?」と訊かれる。船の定員から大きさを判断したいのだろうが、定員の数と大きさは比例しない。日本船籍の場合、プレジャーボートの定員は12名から15名以内と決まっているからだ。船の大きさはほぼ全長のみで決まる。

 マリーナ等に出かけ、桟橋に係留されたヨットを見た方は多いだろうが、キャビンの中にまで入られた方の人数となると、ぐっと減ると思う。ぼく自身、寄港地で出会った方から、「中を見せて」と請われ、心よく案内してあげると、「外から見るよりもずっと大きいですね」と驚かれることがある。実際、ヨットのキャビンは、空間を効率よく使って、機能的かつ無駄がない。

 マリヅル号の場合、コンパニオンウェイを抜けてデッキから中に入ると、まず大きなサロンがある。さらに階段を降りたところが、ダイニングとキッチン。前方には二段ベッドつきの個室がふたつ並び、後方にはダブルベッドをしつらえた船長室、船の中央部分には広大なオーナーズ・ルームといった配置だ。すべての個室にはトイレ・シャワールームがつく。家にたとえれば4LDKといったところか。

 マリヅル号ほどの大きさとなれば、数か月に及ぶ大洋横断も難なくこなす。しかも快適に。エアコン、冷凍庫、冷蔵庫、電子レンジ、オーブン……、なんでも揃っている。実際、マリヅル号は、ぼくの夢である太平洋横断を、四年前に実現させている。

 マリヅル号のおおよそをイメージしていただけただろうか。「大船に乗った気分」の大船とは、まさにマリヅル号のことであり、淡路島を出てトカラ列島を往復するくらいちょろいもの……、と、そんな甘い期待を抱いて、われわれは七月一六日午後六時、洲本サントピアマリーナを出港した。

 初日からオーバーナイトである。晴れてさえいれば、夜の海は快適だ。灯台や他の船の航海灯がはっきりとした目印となるため、昼間より航行しやすい場合もある。

 紀伊水道を抜け、室戸から足摺方面に針路を向けると、艇速はぐっと落ちてくる。日本列島の太平洋岸を北上する黒潮に逆らうことになるからだ。黒潮の流速は約二、三ノット(時速五キロ程度)であり、流れに乗るか、逆らうか、では船のスピードが大きく変わる。ちなみ、突出した岬に黒潮がぶつかるあたりが、航海の難所と呼ばれる海域である。南から順に、佐多岬、足摺岬、室戸岬、潮岬、石廊崎など。特に潮岬沖は潮波がひどく、べた凪のときでも海面がうねっているときが多い。これが時化たりすると、他の海域と比べて二倍三倍の波が立つので、警戒が必要となる。ぼくは何度も、潮岬で怖い思いをしている。

 黒潮に逆らいつつも順調に航海は進んで、土佐清水、宮崎に寄港しながら、七月十九日午後三時三十分、われわれは最初の目的地である鹿児島県、山川港に到着した。ここに二連泊してクルーたちはゆっくりと休息を取り、水、燃料、食料などを補給して態勢を整え、二十一日の朝、オーバーナイトでトカラ列島の悪石島沖に向かうという計画である。

 南側に深く曲った湾の奥にある山川港はまさに自然の良港、砂蒸しで有名な指宿温泉と隣接しているため、観光にもこと欠かない。

 港に入った左手に漁協があり、その前の岸壁には豪華なクルーザーが既に数艇係留されていた。彼らもまた皆既日食を見にいく途中に寄港したとみて間違いなさそうだ。さらに奥にもヨットが数艇係留されている。だが、思ったほど数は多くない。ぼくが予想したのは、薩摩半島最南端の港町に隙間なく係留されたボートやヨットの風景だった。

 一方、陸上はどうなっているのだろうか。さっそく上陸してみることにした。

 どうやら、指宿から山川にかけて、宿はほぼ満室のようである。宿の人間に理由を訊いてみると、連休を利用して皆既日食ツアーの客が押し寄せているとのこと。トカラ列島までの交通手段を持たない人が、せめて皆既帯の近くの陸地から世紀の天体ショーを見ようというわけである。

 この選択はまったく正しいと思う。トカラ列島までの旅費が数十万円規模に高騰している上、滞在者の宿泊環境は快適と言いがたい。ぼくはこれまでに二度、悪石島に上陸したことがあるので、収容人員を超えた場合の島の状況が、ある程度予想できてしまう。リゾートホテルの類いは存在しない。高額な旅行代金を払い、テント等の簡易な宿泊環境に耐えたとして、当日に見事な皆既日食を見られればまだしも、もし悪天候に見舞われでもしたら、目も当てられない。リスクがあまりに高すぎる。

 しかし、皆既帯から少し離れているとはいえ、温泉や砂蒸し、豪華なリゾートホテルが揃う指宿なら、たとえ皆既日食が見られなかったとしても、「ま、いいか」と滞在に満足できるはずである。

 今回のクルーズにおけるぼくのスタンスも、似たようなものである。過酷な航海に耐え、無理に無理を重ねた末、天候の吉凶に賭けるわけにはいかない。「楽しいクルーズの余録として皆既日食が見られて、ラッキー」となるのが一番だ。

 とはいえ、山川に滞在中、ぼくは天気図ばかり眺めていた。週間天気予報はあまりよくない。九州南部に前線が停滞して雨だという。しかしぼくの予報は違った。屋久島あたりまで張り出した前線を抜けて南の海域に下れば、そこは高気圧に覆われているはず……、またも甘い期待を抱いたわけである。

 結果から先に言おう。みなさんよくご存じの通り、七月二十二日当日、トカラ列島から屋久島あたりの海域は時化模様で、残念ながら皆既日食は見られなかった。

 

 強い南風に阻まれ、マリヅル号は悪石島まで足を延ばすことができず、屋久島沖での観測を余儀なくされた。

 当日の午前、雲に覆われた空に切れ目はなかった。雲の切れ目から薄日でも差していれば、船の機動力を使ってそこに向かっただろうが、見渡す限り一面の曇天である。

 屋久島のブランケ(島影となって風浪ともに静かな海域)に入ると、ぼくはヨットのデッキ後方に陣取って、皆既食が始まる十時五十六分を待った。

 月に隠れゆく太陽を直に見られないとなれば、せめて曇天の皆既日食をこの目にしっかりと焼き付けるだけだ。

 屋久島沖で食が始まったのは九時三十七分であるが、太陽がわずか欠けた程度では、曇り空の下にさしたる影響は現われない。

 ただ、空を覆う雲には濃淡があって、見上げていると、様々なモノの形に見えてくる。魚、帽子、人の横顔……、屋久島の中央にそびえる宮之浦岳を背景としたあたりには、皆既食が始まる前兆のように、黒々と蠢く龍の形が出現した。

 皆既食が始まる直前頃から、にわかに周囲が暗くなっていった。暗くなっていくスピードはまさに未体験のもの、水平線に太陽が沈んで夕暮れが深まるのとはスケールが異なり、秒を刻むごと一気呵成に闇が濃くなるといった感じた。

 午前十時五十八分。皆既食が最大になったとき、周囲はほぼ完全な闇となり、宮之浦港の入り口に立つ灯台に明かりが点る。波間を渡る風がわずかに冷たくなり、そのせいかどうか、二の腕のあたりに鳥肌が立った。これが陸であったなら、草木は不自然な方向にそよぎ、動物たちは異変を嗅ぎつけて一斉に声をあげたことだろう。はたして海中の魚たちにこの神秘がわかるかどうか……、海面を破って飛び跳ねる魚は一匹もいなかった。

 午前十一時。皆既食が終わると、周囲は急速に明るさを取り戻してゆく。あたかも、一旦滅んだ宇宙が再生し、命を吹き込まれていくかのようだ。その瞬間、たとえ曇っていても構わない、今、ここにいられる幸福を実感した。

 曇天の昼間に五分に満たない即席の夜を提供してくれた皆既日食は、宇宙に対する興味をさらにかきたててくれた。

 来年はイースターで皆既日食が見られるという。

モアイ像で知られるイースターは、チリから二千キロ以上離れた、南太平洋の東の果てにある。あまりに遠い。しかし、「来年はイースターまでのクルーズを計画しよう」と、マリヅル号のオーナーに持ち掛けるつもりである。

 次回こそは、晴れた日の皆既日食を体験したいところだ。

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プロフィール
鈴木光司(ずずき・こうじ)

1957年5月13日生まれ。静岡県出身。デビュー作「楽園」で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞。「リング」「らせん」は映画化され大ヒット。またアメリカでも「ザ・リング」としてリメイクされジャパニーズ・ホラー・ブームを巻き起こす。その他映画化された作品多数。2008年に長編「エッジ」を刊行。最近はトイレットペーパーにホラー小説を書き下ろすというアイデア商品もヒット。