INDEX

第1回 ボールペン市場、激震

第2回 傍流が生んだ画期的発明

第3回 奇跡の1週間

第4回 筆記具までの遠い道のり

第5回 千賀物語

第6回 メモリータイプの開発

第7回 筆記具への挑戦

第8回 3つの幸運

第9回  “消せるボールペン”、商品化へ

第10回  ヨーロッパ先行販売で大ヒット

第11回 消せるボールペンの系譜

第12回 伊東屋でのデモ販売

第13回 発売から8年、シリーズ累計10億本を売り上げる大ヒット商品に

著者プロフィール

ノンフィクション作家。ジャーナリスト。
著書に『IT起業家10人の10年』『開高健名言辞典〜漂えど沈ます』『ビッグコミック創刊物語』『長靴を履いた開高健』『電網創世記』『孫正義インターネット財閥経営』『シリコンバレーの日本人起業家たち』などがある。
日本ペンクラブ言論表現委員会委員。開高健記念会会員。


滝田誠一郎

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第13回 発売から8年、シリーズ累計10億本を売り上げる大ヒット商品に

確かな手応え
『フリクションボール』を初めて手にしたとき、伊東屋の店頭で行われたデモ販売の様子を目の当たりにしたとき、古謝くらい興奮し、熱く燃えた人間はほかにいなかったかもしれない。先にも紹介した彼のメモ(2007年1月18日付)を読むと、そう思わせられる。

《まだ見ぬ途方もない可能性がそこには広がっている。そして、カテゴリーが一つ増える。「フリクション」というカテゴリーが矢野経済の統計に追加されるのだ。「ゲルインキ」と皆が言うように、「フリクション」は存在するようになる》《我々はこれで世界を変える。前代未聞の売上げを作る。筆記シーンを塗り替える》《フリクションを生み出したPILOTを、あらためて愛して欲しい》《フリクションが生まれた。我々も変わらなくては。だってフリクションは、世界を変えるのだから》(矢野経済研究所の統計ではボールペンは油性ボールペンと水性ボールペン[ゲルインクを含む]とに分類されている。)

 ずいぶんと大げさすぎるようにも思えるが、数年後に世界市場でシリーズ累計10億本を超える爆発的販売実績をあげることを考えると、この日記はさながら《予言の書》にさえ思えてくるというものだ。

 当時、パイロットコーポレーションの営業企画部筆記具企画課に属していた古謝は、このメモを書いた直後に「フリクション・マニュアル」と名付けたA4用紙6枚からなる資料を作成している。資料には“社外秘?の判が押され、2007年1月30日の日付が記されている。『フリクションボール』の特長、ターゲットと想定される使い方、フリクションインキの消える仕組みと開発の歴史などがそこに記されている。

《普段のノート書き、書類への書き込み、パズルブックへの使用など用途は無限大』『その脅威の「消え」は、人々のライフスタイルを変えるほどのインパクトとパワーを持っています》等々、誤字(脅威×↓驚異○)も含めて、ここにも古謝の熱い思いがあふれている。

「初めて『フリクションボール』を手にしたときから、“これは世界を変える”と思っていましたし、フリクションインキは油性、水性、ゲルインキに次ぐ第4のインキになるくらいのインパクトがあると思っていたので、その思いを他の社員とも共有したいということで営業社員向けに資料を作りました。パイロットの営業社員たちはもちろん以前からメタモインキについては知っていましたが、それが主に人形などの玩具に使われていたので、筆記具用ではなくて玩具用のインキだという認識が強かった。そうではないんだということを理解してもらう必要もありましたから。国内営業の担当者が集まる会議で、この資料に沿って『フリクションボール』のプレゼンをしました」(古謝)


ターゲットを大人に据える
『フリクションボール』の国内販売が決まって以降、古謝に負けるとも劣らぬ情熱を持った企画部門の面々が知恵を絞ってひねり出したアイデアをもとに、営業担当者らの声を吸い上げ、そこに経営的判断を加味して『フリクションボール』の販売戦略が練り上げられていく。

『フリクションボール』の販売戦略は、従来のボールペンの販売戦略とはかなり趣が異なっている。ヨーロッパにおける『フリクションボール』のそれとも一線を画すものだった。一言で言うならば「大人」をターゲットにした販売戦略、ビジネス・ユースに重点を置いた販売戦略が練られた。

 ボールペンに限らず筆記具業界には女子中高生に受けるとヒットするというセオリーがある。彼女たちは文房具に対する感度が非常に高く、ペンケースがはち切れんばかりに色とりどりのボールペンやサインペンを詰め込んでいたりするヘビーユーザーでもある。仲間内での情報発信力も旺盛であることから、女子中高生は筆記具の販売戦略を練る上ではきわめて重要なターゲットになっている。

 むろん、その層をターゲットから外したわけではないが、仕事でボールペンを使う「大人」を重要なターゲットに加え、どちらかといえばそちらに重心を移したところが『フリクションボール』の販売戦略の大きな特徴である。

 なぜ「大人」だったのかといえば、それは2001年に発売した消せるボールペン『ディーインキ』の苦い経験が反映されてのこと。『ディーインキ』の発売当時のプレスリリースには“辞書・教科書・地図などへの書き込みができ?とか、“色鉛筆に代わる筆記具としても活用頂けます”とか、“世界初インキいろえんぴつ、消しゴムで消せる”とか、女子中高生を意識したと思われる文言が並んでいる。狙いは的中して女子中高生中心に初年度2000万本の売上げを記録するヒット商品になったが、それは一過性のものだった。移り気な女子中高生を主なターゲットにしていたことが災いし、しかも“消せる”機能が不完全だったので筆記具としては実用的ではないというレッテルを貼られたために、『ディーインキ』の売上げは2年目になると急激に落ち込み、市場に定着することはなかった。

 こうした経験から、大人を主なターゲットにした販売戦略が浮上してくるのである。違いのわかる大人を対象にし、『フリクションボール』が従来の物理的に消せるボールペンとは一線を画すものだということを明確に訴求することが、販売戦略を考えるうえでの重要なポイントだった。

 さらに言うならば『ディーインキ』に改良を加えて2005年に売り出した消せるボールペン『イーゲル』との差別化、市場での棲み分けを図るためにも、大人をターゲットにしたビジネス路線を打ち出す必要があった。

 ちなみに、この当時に作成された社内資料では、『フリクションボール』のターゲットと想定される使い方が以下のようにまとめられている。

●学生の学習に

(普段のノート書きに)フリクションなら黒板の書き写しもラクラク。カラフルに書いて、間違えてもすぐに修正ができます。
(教科書のチェックに)重要な箇所、覚えたい箇所はフリクションライン(『フリクションボール』に先駆けて2006年11月に国内で発売された消せるラインマーカー)でチェック。覚えたら消してしまいます。ラインマーカーの新しい使い方の提案です。

●ビジネスツールとして

(手帳書きに)手帳にシャープペンシルを使っているビジネスマン。フリクションならカラーで書き分けることができ、芯折れもありません。
(書類の書き込みに)オフィスではさまざまな書類が飛び交っています。会議資料への書き込みはフリクションで。カラーで分かりやすく、訂正も簡単です。
(校正作業にも)フリクションボールなら、しっかり書き込めて修正楽々。

●普段の生活の中で

(パズルブックに)電車の中でパズルにいそしむ中高年の方をよく見かけます。フリクションなら簡単に消せてカスが出ない。パズルブックにはまさにぴったりです。
(地図のチェックに)思い切って、目指す場所までラインを引いてしまいましょう。無事にたどり着いたら消去。これで何度も使用できますね。
(通販雑誌の書き込みに)たくさんの商品の中からお気に入りの商品を選ぶ。これは、楽しいながら大変な作業です。フリクションでカラフルに商品チェック、校正も簡単です。

一般商品の2倍近い価格設定
 女子中高生もターゲットにしつつも、実際に展開された販売戦略は大人向け、ビジネス向けの色合いが濃いものだった。たとえば価格。ボールペンは1本100円から120円前後のものが売れ筋で、それ以上の価格になると売上げがとたんにダウンするのが通例。“消せるボールペン”という付加価値があってもそれは同じで、2001年発売の『ディーインキ』も、2005年発売の『イーゲル』も1本120円で店頭に並んだ。それに対して『フリクションボール』は1本200円という、伊東屋でのデモ販売時と同じ強気の価格が設定された。

 一般的なボールペンに比べて2倍という女子中高生にとっては高い価格設定をしたのは、摩擦熱できれいに消すことができる世界初のボールペンにはそれだけの価値があるという自信の表れであり、その付加価値を理解してくれる人(≒大人)に購入してもらいたいという販売戦略の表れでもある。

 先行販売されたヨーロッパでは好評だったタトゥーをモチーフにしたデザインを、国内販売する際に波紋のような、木目のようなややおとなしいデザインに変更したのも大人の感性を意識してのことと言える。若者をターゲットとして狙い定めていたヨーロッパではタトゥーをモチーフにした“クール”なデザインが好評を博したが、日本ではタトゥー、入れ墨に対するイメージが、とくに大人たちのあいだで良くないため、さらに言えばビジネスの場で使うには似つかわしくないという判断もあって、デザインが変更された。

PRするうえでの葛藤
 テレビCMもまた然り。発売から半年ほどしてから始まったテレビCMは、女優の相武紗季が手に持った『フリクションボール』で街中のあれやこれやを消して歩くというもの。最後は手紙に書いた「失恋しちゃった」という言葉の“失”の字を消して「恋しちゃった」に改め、ニッコリと笑う。画面には〈インキが消えるペン〉の文字と『フリクションボール』のロゴマーク。そこに《消えるペン、フリクション》というナレーションがかぶさる。一見すると女子中高生を狙ったCMのようであり、事実その狙いもあったのは間違いないが、パイロットはこれをテレビ朝日の『報道ステーション』のCM枠で流した。ビジネスマンへの訴求に主眼を置いていたことがうかがえる。

 ちなみに、2008年から翌年にかけて放映された第2弾は、原稿用紙の上に『フリクションボール』で「格差」「後悔」「無駄遣い」「あきらめ」「環境破壊」などの言葉を書き、それを次々に消していくシンプルな作り。《消したいものはなんですか?》《フリクションは熱でインキが透明になるペン》というナレーションが流れる。最後に「失望」の「失」を消して「希望」に書き直し、《だから消える》《そして書ける》というナレーションが入るというもの。女子中高生を狙った作りではないことは明らかだ。

 もっとも、テレビCMをはじめとする広告宣伝戦略を企画・展開するなかで、当初、若干の迷いを感じたこともあったようだ。“魔法のペン”とか“不思議ペン”とか、そういう方向性のほうがキャッチーであり、話題作りになるのではないかという思いが頭をかすめたこともまったくなかったわけではなかった。自分たちがそのような打ち出し方をしなくとも、マスコミがそのように取り上げるだろうことは容易に想像がついた。それならば“魔法のペン”とか“不思議ペン”といったことを積極的に打ち出すのも一策だと考えるのはごく自然なことと言える。

 しかし、マスコミがそういう取り上げ方をするのは仕方ないとして、パイロットとしてはそういうイメージはつけたくないという思いが上回った。打ち出すべき方向性は“不思議”ではなく“便利”であると、そのつど再確認した。マスコミ対応にも神経をとがらせ、取材に応じたときなどに“魔法のペン”とか“不思議ペン”とか、そういう表現は使わないように気をつけた。

 2010年に放映が開始されたテレビCM第3弾は完全にビジネスマンをターゲットにしたものになっている。場面は定例会が終わったばかりのとある会社の会議室。出席者が手帳片手に次回の定例会の日程調整を行っている。「では、次回は水曜日の8時で」「それ、9時にできないか?」「いっそ10時では?」「むしろ火曜日は?」「いや、定例会はなしにしよう」等々のやりとりがあり、そのたびに手帳に予定を書き込んだり、消したり、書き直したりがあって、最後に《ビジネスは、変更が多い。消えるペン、フリクション》というナレーションが流れる。ビジネス上でよくありがちなシーンを描きながら、フリクションボールの特長をわかりやすく訴求することに成功しているCMだ。

 2014年から放映が始まったテレビCM第4弾はそれまでとは趣が異なる。日常生活のなかでフリクションが使われている場面を淡々と描き、そこに次のナレーションがかぶさる。《人は書くことで自分と向き合い、消すことで次のアイデアの居場所を作る。消えるペン、フリクション》

 過去3本のテレビCMを担当した田中万理(パイロットコーポレーション営業企画部営業企画グループ課長代理)は「フリクションの成長に合わせて、認知度の上昇に合わせて内容を変えてきた」と言う。

「発売当時は当然のことながら世の中の人は『フリクションボール』のことをまったく知りませんでした。認知度ゼロ。ですから女優の相武紗季さんを起用することで視聴者の目を引きつけ、そのうえで消せるペンという特長を訴求する作りになっています。

 第2弾も第3弾も消せるペンということを徹底的に訴えかける内容ですが、2014年に始まった第4弾は少し趣向を変えてみました。調査の結果、『フリクションボール』の認知度が60%程度までアップしてきて、発売当初からしたらまるで夢のようなんですが、多くのみなさんに使ってもらえるようになりましたので、第4弾に関しては消せるペンという機能面ではなく、生活のいろいろなシーンでフリクションが便利に使われていることをさりげなく訴求する内容になっています。その意味では第4弾のCMは従来のものに比べてワンステップ上がったような気がします」(田中)

ついに日本でも発売
 話を2007年3月に戻そう。ヨーロッパでの先行発売から遅れること1年2ヵ月、ようやく日本でも『フリクションボール0.7』が発売になる。ヨーロッパで発売されたのと同じキャップ式の0.7ミリで、色は8色(ブラック、レッド、ブルー、グリーン、ピンク、オレンジ、ライトブルー、バイオレット)。店頭小売価格200円。初年度販売目標は2500万本。すでに何度か触れたように、国内市場ではボールペンは年間1000万本売れれば大ヒットと言われるので、初年度2500万本というのはかなり強気の目標ということになる。

 2001年に発売した消せるボールペン『ディーインキ』が女子中高生中心に初年度2000万本売れた実績があること、2006年1月に先行販売したヨーロッパでの売れ行きが絶好調であったこと、2006年11月に銀座の伊東屋で実施したデモ販売で記録的な売上げを記録したこと等々のプラス材料を積み上げると、これくらいの数字は見込めるということだったのだろう。

 この強気の目標を達成するために、大人・ビジネスマンを主なターゲットに据えた販売戦略をとったことは先に触れたとおり。タトゥーをモチーフにしたデザインを改めたことも先に触れたが、このほかにもうひとつ、『フリクションボール』を一過性の商品で終わらせないための戦略が練られた。それが『フリクションボール』のシリーズ化であり、この戦略の下、2007年以降毎年欠かすことなくフリクションシリーズの新商品が数種類ずつ発売され続けている。

 研究・開発面に目を向ければ、フリクションのシリーズ化は新たな挑戦の始まりを意味する。メタモカラーの開発からフリクションインキの開発、そして『フリクションボール』の商品化までを『第1章・フリクションインキ開発物語』として括るとすれば、国内販売が決まってからは『第2章・フリクションボール開発物語』が新たにスタートしたということにほかならない。

 2006年のヨーロッパでの先行発売に合わせて『フリクションボール0.7』の商品化を達成してホッとしたのも束の間、千賀邦行をはじめとするフリクション開発チームの面々はいまも新たな挑戦のまっただ中にいる。

ペン先を細く!
 2007年3月の『フリクションボール0.7』発売から半年後、シリーズ化第1弾の『フリクションボール0.5』が早くも発売になる。ちなみに0.7、0.5はそれぞれ0.7ミリ、0.5ミリの意味で、ボールペンのペン先(チップという)に組み込まれているボールの直径を表している。ボールの直径は、筆記線(書いた線)の幅と完全にイコールではなく、筆記角度や筆圧、紙質などによりばらつきが生じるが、筆記線幅の目安としてボール直径が使われている。

 ISO(国際標準化機構)ならびにJIS(日本工業規格)では、水性インク、ゲルインクの場合は0.55〜0.75ミリ未満が細字用、水性インクは0.55ミリ未満が極細字用、ゲルインクは0.40〜0.55ミリ未満が極細字用、0.40ミリ未満が超極細字用に分類されている。つまり細字用の『フリクションボール0.7』に加えて、新たに極細字用の『フリクションボール0.5』が発売されたということだ。

「世界的に見てアルファベット使用圏では太字が好まれ、漢字使用圏では細字が好まれる。太いと画数の多い漢字を書いたときに細かい部分がつぶれてしまってうまく書けないからです。ですから日本では圧倒的に0.5ミリの顧客満足度が高く、0.7ミリでは日本人には少し太い。国内で販売するのであれば、どうしても0.5ミリが必要だということで、国内販売が決まった直後から準備していました」(千賀)

「0.7ミリだけでは物足りないのは明らかなので、われわれのほうからも開発チームに対して0.5ミリが欲しいというリクエストをしました。そういうやりとりがいろいろあって、そのなかから次々と新しい商品が生まれて今日に至っている」(古謝)

 ペン先に組み込まれているボールの直径を0.7ミリから0.5ミリにすること自体は技術的に難しいことではない。他のボールペンでは当たり前に行われていることだ。しかし、フリクションインキを使っている『フリクションボール』の場合は事情が大きく異なる。ペン先が細くなると出るインクの量が減るため、筆跡が薄くなる。フリクションインキは発色剤の他に顕色剤、変色温度調整剤などの成分を含むため、他のインクに比べて発色強度が弱い(つまり筆跡が薄くなる)。0.5ミリにすればさらに発色強度が弱くなり、ユーザーの満足度が損なわれかねないという問題があった。

「0.5ミリでも十分な色を出すためにフリクションインキの成分を改良した。新たな発色材や顕色材を開発すると同時に、お互いの相性も発色の善し悪しに関係するので、その組み合わせも吟味して9月の発売に間に合わせた」(千賀)

 これ以後、続々とフリクションの新シリーズが商品化されていくことになる。2008年4月には『フリクションボールビズ』(その名のとおりビジネス向けに発売された金属ボディタイプのペン)、同10月に『フリクションライト』(消せる蛍光ペン)、同『フリクションいろえんぴつ』(24色の豊富なカラーバリエーションを揃えたペン。2013年に『フリクションボールえんぴつ』に名称変更)、2009年2月『フリクションポイント04』(超極細0.4ミリタイプ)、2010年3月『フリクションポイントビズ』(『フリクションポイント04』のビジネスタイプ)、同7月『フリクションボールノック』(初のノック式ペン)等々といった具合である。

なぜノック式が遅れたのか
 シリーズ化を図るなかで、エポックメイキングな商品になったのが2010年7月に発売された『フリクションボールノック』(0.5/0.7、税別230円、全3色。後に10色に)だ。2007年の『フリクションボール0.7』の発売以降、キャップ式のペンばかりが相次いで商品化されるなか、やっと登場した記念すべき初のノック式ペンである。

 ボールペンの主流はワンプッシュで芯が出て、ワンプッシュで芯が引っ込むノック式であり、『フリクションボール』のシリーズ化戦略のなかでも当然早い時期からノック式の商品化はテーマのひとつになっていた。消費者からも便利なノック式を求める声は強かった。にもかかわらずノック式の登場を2010年まで待たなければならなかったのは、これまたフリクションインキの特殊性による。

 発色剤、顕色剤、変色温度調整剤を封入したマイクロカプセルからなるフリクションインキは、通常のインクに比べて粒子が大きく、しかも発色が弱いため、発色を良くするためにペン先からインクをたくさん出す必要がある。そのためペン先(チップ)とボールの隙間が通常のボールペンより広くなっている。隙間が広いということは空気に触れやすいということであり、乾燥しやすいということになる。キャップ式であればその欠点をカバーすることができるが、ペン先がむき出しのノック式の場合にはこれが致命的な問題になる。

 この問題を解決するため、パイロットインキの研究開発チームは乾きにくいフリクションインキの開発に取り組んだ。可能性がありそうな物質と物質をフラスコの中で配合したり、配合比を変えてみたり、地道な実験を何度も繰り返したが、乾燥しにくいインクの配合はなかなかできなかった。

 そうしたなか、パイロットコーポレーションが内部形状をボールの曲面にフィットさせた、高精度で内部を乾きにくくしたペン先を開発する。このペン先を『フリクションボール』に使用することでインクの乾燥をある程度防げる目処が立ったが、それだけではまだ不十分だった。

 同じころ、パイロットインキの中筋社長(当時)から「何がなんでも2010年にはノック式を出すぞ」という指示があり、これを受けて千賀は新たに精鋭5人からなるプロジェクトチームを発足させ、心機一転、乾燥に強いフリクションインキの開発に取り組みはじめる。

 このとき、チームは途中から方針を大きく転換し、ひとつの賭に出る。それまで“経験的に、これはありえない” とか、“理論的にこれはありえない”といった理由で除外してきた材料を改めて実験の対象にし、その配合の仕方についても常識や理論にとらわれずに挑戦してみることにしたのである。長年の研究・開発を通して蓄積した常識や理論を、それこそいったん白紙に戻して、乾燥しにくいフリクションインキの開発に取り組んだわけである。過去の成功体験に頼らぬ背水の陣、ある意味リスキーな開発に取り組んだという言い方をしてもいい。

「不安だったが、やるしかなかった」と千賀。結果的には思わぬ配合から乾燥に強いインク開発の道が開け、2010年の年明け早々に乾燥しにくい新生フリクションインキの開発に成功、待望久しいノック式のペン『フリクションボールノック』の商品化が実現するのである。

「新しい発見は、教科書を捨てるところから始まる」
 ある雑誌のインタビューに答えて、千賀は次のように答えている。
「新しい発見は、教科書を捨てるところから始まるということを実感しました。常識にとらわれずに、むしろ常識を捨てる勇気を持てば局面は打開できることを知りました」

 難産だった『フリクションボールノック』の誕生は、フリクションのシリーズ化戦略のなかでもエポック・メイキングな出来事であり、大きなターニング・ポイントだったと関係者は口を揃える。販売数が飛躍的に増え、フリクションシリーズが市場に定着するきっかけとなったからだ。

「ノック式が商品化できたことは大きなターニング・ポイントと言っていいくらい市場に対して強いインパクトを与えることができた。販売数もポンと大きく伸びた」(千賀)

「ノック式の売上げが飛躍的に伸びて、それでフリクションの認知度が一気に上がった。まさにターニング・ポイントになった商品です。ノック式の登場に合わせて、会議のスケジュールがコロコロ変わるテレビCMを流しはじめたのですが、その便利さが伝わったのかなと」(田中)

「キャップ式の商品を出していたときは、使い勝手はあまり良くないけれど消せるのが便利だからということでお客さんが買ってくれていた。消せるボールペンが本当に必要な人だけが買っていた感じでした。しかし、ノック式が出てからは普通のペンとして普通に買って、普通に使っているお客さんが増えた。特殊なボールペンだったものが、一気に一般化した。そういう意味ではまさにターニング・ポイントになった商品です」(古謝)

『フリクションボールノック』の発売以降も、続々とシリーズ商品が市場に投入され続けていく。2010年10月『フリクションカラーズ』(全12色のカラーペン。後に24色に)、2011年12月『フリクションボール3』(黒赤青の3色ペン)、2012年6月『フリクションボール3メタル』(メタルボディの高級3色ペン)、『フリクションボール3ウッド』(ウッドボディの高級3色ペン)等々。

フリクション旋風
  ちなみに2012年5月21日付の『日経MJ』に、同年1〜4月の全国スーパーのボールペンのランキング(来店1000人当たりの販売金額)が載っているが、それを見ると1位から10位までがすべてフリクションシリーズで占められている。12位、14位もフリクションシリーズで、1位から15位までのうちフリクションシリーズがじつに12商品も入っているという驚くべき結果だ。

 1位は『フリクションボールノック0.5黒』、2位は『フリクションボールノック0.7黒』、3位は『フリクションボールノック0.5赤』といった具合。この結果からだけでも、フリクションのシリーズ化戦略が大きな成果をあげたことがよくわかるというものだ。

「次に何を出せばいいのか、毎回頭を悩ませるところだが、新商品は出し続けなければいけない。筆記具というのは文具店や文具コーナーのどこに陳列されるかで売上げが大きく違ってくる。陳列棚のエンドコーナー(陳列棚の両端)が最も消費者にアピールできる場所なのですが、新しい商品はそこに置いてもらうことができても、半年もすると奥の陳列棚に移されてしまうので、常にエンドコーナーを確保するためには少なくとも1年に1回は新商品を出さないといけない。

 フリクションは2007年の国内での販売開始以来、次々とシリーズ商品を出してきましたし、営業も頑張ってくれているので売場のいい場所をずっとキープできている。そのおかげで認知度もアップするし、売上げのアップにもつながっている。ですから今後もずっとフリクションシリーズを出し続けなければいけないと思っている」(千賀)

 独自開発したフリクションインキが可能にした“きれいに消せる”という高付加価値に加え、その魅力を最大限に引き出すことに成功した販売戦略、そしてシリーズ化戦略が功を奏し、フリクションシリーズは日本国内、ヨーロッパにとどまらず、世界の筆記具市場を席巻する大ヒット商品へと育っていく。

 2014年3月末にはフリクションシリーズの世界累計販売本数が実に10億本を突破。初年度200万本も売れれば御の字との思惑で始まったヨーロッパでの先行販売(2006年1月)から8年目の、誰もが予想しなかった大快挙である。


この連載を、大幅に加筆したものが小学館新書『「消せるボールペン 30年の開発物語』として4月1日より発売されています。連載には書かれていなかった、興味深いエピソードがふんだんに登場しますので、ぜひお読みください。