INDEX

第1回 ボールペン市場、激震

第2回 傍流が生んだ画期的発明

第3回 奇跡の1週間

第4回 筆記具までの遠い道のり

第5回 千賀物語

第6回 メモリータイプの開発

第7回 筆記具への挑戦

第8回 3つの幸運

第9回  “消せるボールペン”、商品化へ

第10回  ヨーロッパ先行販売で大ヒット

第11回 消せるボールペンの系譜

第12回 伊東屋でのデモ販売

第13回 発売から8年、シリーズ累計10億本を売り上げる大ヒット商品に
著者プロフィール

ノンフィクション作家。ジャーナリスト。
著書に『IT起業家10人の10年』『開高健名言辞典〜漂えど沈ます』『ビッグコミック創刊物語』『長靴を履いた開高健』『電網創世記』『孫正義インターネット財閥経営』『シリコンバレーの日本人起業家たち』などがある。
日本ペンクラブ言論表現委員会委員。開高健記念会会員。


滝田誠一郎

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第1回 ボールペン市場、激震

「世界で10億本」を販売したお化け商品
2014年、ついに出荷が10億本を超えたフリクションシリーズ
『フリクションボール』というボールペンをご存じだろうか。名前は知らなくとも、すでに使っている人も多いはずだ。あの“消せるボールペン”である。
 見た目は普通のボールペンと変わらない。書き味も変わらない。ところが、専用の“消しゴム”でこするとボールペンであるにもかかわらずきれいに消すことができる。鉛筆で書いた文字を消すのと同じように、いやそれよりもきれいに消すことができる不思議なボールペンである。しかも、消しゴムには特殊なラバーが使われているので消しカスも出ない。前代未聞の革新的なボールペンである。この『フリクションボール』をはじめとする「フリクションシリーズ」がいま世界中で爆発的なヒットを記録しているのである。

 2006年1月にフランスで先行販売され、2007年3月に国内での販売が開始されたフリクションボールは、以後さまざまなシリーズ商品を投入しつつ、発売元のパイロットコーポレーションの予想をはるかに上回る勢いで市場に浸透し、市場を席巻し、驚異的な販売記録を塗り替え続けている。

 人口約6100万人のフランスで、1年強で750万本販売したのを皮切りに、2010年3月には累計3億本、2014年3月についに10億本を突破した。フランスでの先行販売から9年弱で累計10億本ということは、単純計算で1年に1億1000万本強売り上げたことになる。年間500万本売れればヒット、1000万本売れれば大ヒットといわれるボールペン市場において、フリクションボールは“超”の字を3つ4つ重ねても追いつかないくらいの大ヒットを記録し、いまなおその記録を更新し続けているのである。

開発から発売までに30年
 フリクションボールの爆発的な大ヒットはボールペン市場のにも大きな影響を及ぼしている。民間の大手調査会社、矢野経済研究所が2013年11月に発表した『文具・事務用品市場に関する調査結果2013』によれば、2012年度の国内ボールペン市場は前年度比9.0%増の376億円(メーカー出荷金額ベース/推計)。このうち筆記具市場において最大の構成比を占める油性ボールペンは前年度比2.7%増の192億円であるのに対し、水性ボールペンの市場規模は前年度比16.5%増の184億円となっている。この結果を矢野経済研究所では以下のように分析している。

《水性ボールペンは、“消せる”ボールペンや“カラーバリエーションが豊富な替え芯が選べる”ボールペンなどがロングセラーのヒット商品となり拡大を続けている。2012 年度においては“消せる”ボールペンが大きく伸長し、市場規模拡大をした。2013 年度は、引き続き“消せる”ボールペンが好調を維持しており、水性ボールペンの市場規模は、油性ボールペンに匹敵する市場規模に成長するものと予測する。》

 フリクションボールとおなじように消せるボールペンには、三菱鉛筆が2010年に発売した『ユニボール ファントム』があるが、市場ではフリクションボールが圧倒していることからして、矢野経済研究所のレポートが指摘している“消せるボールペン”とはすなわちフリクションボールのことだといってもあながち間違いではないだろう。

渡辺社長は、大ヒットにも手放しでは喜べないと語る  フリクションボールの大ヒットにパイロットコーポレーションの社長もさぞかし気分を良くしていると思いきや、いざインタビューしてみると社長の口をつくのは終始一貫して慎重な言葉ばかりだった。

「創業100周年にあたる2018年までに達成したいと思っていた中期経営計画のなかのいくつかの数字はすでに達成した。円安をはじめとする外的要因とフリクションボールのヒットのおかげです。ただ、私はフリクションボールをいつ消えるかどうかわからないバブルのような商品だと思いなさいと言っている。社内にはしっかり気を引き締めるように指示している」

「フリクションボールはものすごい勢いで売れている。いまやうちの会社の売上げの多くを占めるようになっている。これがなくなったらうちの会社に何が残るのかと心配になるくらい売れている」

「フリクションボールは競合商品がないに等しいので、売る努力をしなくても売れてしまう化け物のような商品。過去、これほど大化けした商品はない。うれしいのはもちろんだが、フリクションボールが売れなくなったとき、フリクションボールに対抗しうる商品が他社から発売されたときのことを考えると、手放しで喜んでばかりはいられない。むしろ不安になる」

 表情も口調もおだやかながら、言葉の端々に「勝って兜の緒を締めよ!」を肝に銘じた真摯な覚悟のようなものがうかがえる。経営者の心構えとしてはかくあるべきものなのだろう。

 グループ会社のパイロットインキがフリクションボールに使われている特殊なインク(メタモカラー)の開発に成功し、特許を出願したのは1975年のこと。以来30年にも及ぶ長い開発の歴史を経て上市されたのがフリクションボールである。筆記具メーカーとしては傍流ともいうべき部署で研究開発が進められ、筆記具とは別の用途での商品化がさまざま図られ、開発担当者たちでさえ長い間筆記具としての応用は頭になかったという意外な開発秘話がそこにある。ある意味、数奇な開発物語といえるかもしれない。