INDEX

第1回 ボールペン市場、激震

第2回 傍流が生んだ画期的発明

第3回 奇跡の1週間

第4回 筆記具までの遠い道のり

第5回 千賀物語

第6回 メモリータイプの開発

第7回 筆記具への挑戦

第8回 3つの幸運

第9回  “消せるボールペン”、商品化へ

第10回  ヨーロッパ先行販売で大ヒット

第11回 消せるボールペンの系譜

第12回 伊東屋でのデモ販売

第13回 発売から8年、シリーズ累計10億本を売り上げる大ヒット商品に
著者プロフィール

ノンフィクション作家。ジャーナリスト。
著書に『IT起業家10人の10年』『開高健名言辞典〜漂えど沈ます』『ビッグコミック創刊物語』『長靴を履いた開高健』『電網創世記』『孫正義インターネット財閥経営』『シリコンバレーの日本人起業家たち』などがある。
日本ペンクラブ言論表現委員会委員。開高健記念会会員。


滝田誠一郎

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第2回 傍流が生んだ画期的発明

メタモカラーの神様
 日本で特許制度が始まって125年目を迎えた2010年、特許庁は記念事業の一環として『現代の発明家から未来の発明家へのメッセージ』と題する冊子を作成した。第一線で活躍する発明家、研究者、開発者たちから次世代を担う子供たちに向けたメッセージ集である。

〈タンパク質の質量分析の脱イオン化法の開発〉で2002年にノーベル化学賞を受賞した田中耕一氏(島津製作所シニアフェロー/田中耕一記念質量分析研究所所長)、2012年に〈成熟細胞が初期化され多能性をもつことの発見(iPS細胞)〉によってノーベル生理学・医学賞を受賞することになる山中伸弥氏(京都大学教授/iPS細胞研究所所長)をはじめ、日本を代表する錚々(そうそう)たる研究者や開発者総勢22名のなかに、メタモカラー(フリクションボールのインクの正体)の開発者で、“メタモカラーの神様”と呼ばれる中筋憲一(なかすじ/のりかず)パイロットコーポレーション常務取締役/パイロットインキ取締役社長(現会長)の名前を見つけることができる。

 このことからだけでも、メタモカラーの開発がいかに独創的かつ画期的であるかがよくわかる、想像できるというものだ。
 詳しくはあとで説明するが、色変化と変色温度を自由自在に設計することができる「メタモカラー」の開発に中筋が成功したのは1975年のこと。“変化する”を意味するラテン語[メタモルフォーゼ]からとってメタモカラーと名付けられた。このメタモカラーを改良、進化させたものが、2006年の販売以来超ド級の大ヒットを記録している消せるボールペン『フリクションボール』に使われているフリクションインキである。

傍流人生
 中筋憲一(1943年生まれ)の開発者人生には常に“傍流”という言葉がつきまとう。傍流であったことが、知らず知らずのうちに主流の開発者、開発テーマに対する反骨心になり、それが中筋の開発者人生を支えるエネルギーになったと見ることができる。

紅葉を見て、色が変わるインクの発想を得たという中筋氏 岐阜大学工学部工業化学科(当時)を卒業した中筋がパイロットインキに入社したのは1966年のこと。地元・東海3県の会社であること、大学で専攻した化学の知識を生かせること、主にこのふたつの条件で企業選択した結果だという。
 入社後、研究部(現・開発部)に配属された中筋に与えられたテーマは、カーボンインクを使わずに伝票や帳票を複写することができるノンカーボン紙の開発だった。

「当時は万年筆のインクの研究開発がメインストリームでしたから、私の開発者人生はスタートから傍流だったわけですよ(笑)」
 中筋はそれでもふて腐れることもなく、与えられたテーマに没頭していく。ところが数年後、すでに製造プラントまで完成していたにもかかわらず、会社はノンカーボン紙からの撤退を決定する。紙の高付加価値化という戦略からノンカーボン紙の開発にしのぎを削っていた製紙会社各社と競合するのは得策ではないと判断したためだ。

「撤退が決まったその日からやるべき仕事がなくなってしまった。当時私は26歳で、部下が3人いましたが、上からはなんの指示もなかったので、自分と部下の明日からの食い扶持(ぶち)を私が何とかしなければならなかった」

 自分たちの食い扶持になる研究テーマを求めて中筋はすぐさま地元名古屋のメーカーを回ったが、研究開発に明け暮れていた26歳の若手社員の求めにまともに応じてくれる会社があるはずもなかった。不慣れな御用聞きは不発に終わるが、もし、このとき食い扶持を得るための手間仕事にありつけていたら、中筋がメタモカラーの開発に取り組むことはなかったかもしれないのだから、人生何が幸いするかわからないものだ。

「あちこちお願いに行ってもまともな仕事がなかったものですから、じゃあ自分で何か新しい仕事を考えようと、そう思った。私もまだ26歳の後半くらいで若かったですから」

紅葉を見てひらめく
 新しい仕事、新しい研究開発のテーマは、机に向かって頭の中で考えを巡らせても、そうそう思い浮かぶものではない。思わぬときに、思わぬヒントを得てフッとひらめくものだ。風呂から溢れる水を見て浮力の原理を発見したアルキメデスや、木から落ちるリンゴを見て万有引力の法則を発見したニュートンのようにだ。

 ちなみに、ふとした偶然をきっかけにひらめきを得、幸運を掴み取る能力のことを英語でセレンディピティ(serendipity)という。歴史に名を残す発明家や研究者たちの多くは優れたセレンディピティの持ち主だといえる。中筋もまた然りだ。彼にとっての“リンゴ”は全国的にもよく知られた香嵐渓(こうらんけい)の紅葉だった。名古屋市内から電車とバスを乗り継いで2時間強、愛知県豊田市足助(あすけ)町にある矢作川支流巴川がつくる渓谷の秋を彩る見事な紅葉である。

「夏の間は緑一色の香嵐渓が11月中旬になると真っ赤に染まる。それを見て『この鮮やかな色の変化を試験管の中でぜひ再現したい、作ってみたい』と、そう思った。それがメタモカラー開発の出発点でした」
 紅葉にヒントを得た中筋はすぐさま色が変化するインクの研究に乗り出す。光で色が変わるインク、湿度で色が変わるインク、熱で色が変わるインク……。中筋にとってそれはわくわくと心躍る研究テーマであったが、しかし、このテーマを掲げたことで中筋は開発者として傍流を歩み続けることにもなるのである。傍流一路の開発者人生がスタートすることになる。

 筆記具に用いるインクは長時間、光に当たろうと空気に触れようと、半永久的に色が変わらないことが最良最善であり、他の開発者たちがそのために心血を注いでいるなかにあって、ただひとり色が変わるインクの研究・開発をテーマにしようというのだから、それも当然というものだ。
 あえて傍流を選んだ中筋の心意気、信念は、若手の研究・開発者には学ぶところが多いはずだ。

「とにかく何か新しいことをやろうと、人がやっていないことをやろうと、その一心でしたね。ですから、言い方を変えると“寂しい出発”をしよう、と。他の人が寄ってたかって取り組んでいる賑(にぎ)やかな、華やかなテーマは、どうせ先行している人が成功するに決まっている。誰も見向きもしないような寂しい出発をしようと、色が変わるインクの研究に取り組むことにしたのです。責任もあんまりない若手社員だからこそそんな冒険もできたのでしょうね」

〈人の行く裏に道あり花の山〉

 これは投資の世界では誰もが知っている金言であるが、中筋が言うところの“寂しい出発”はこの言葉に相通じるところがある。大きな成功を収めようと思ったら、人と同じことをしていたのではいけない。すなわち、リスクテイカーたれ! ということである。