INDEX

第1回 ボールペン市場、激震

第2回 傍流が生んだ画期的発明

第3回 奇跡の1週間

第4回 筆記具までの遠い道のり

第5回 千賀物語

第6回 メモリータイプの開発

第7回 筆記具への挑戦

第8回 3つの幸運

第9回  “消せるボールペン”、商品化へ

第10回  ヨーロッパ先行販売で大ヒット

第11回 消せるボールペンの系譜

第12回 伊東屋でのデモ販売

第13回 発売から8年、シリーズ累計10億本を売り上げる大ヒット商品に
著者プロフィール

ノンフィクション作家。ジャーナリスト。
著書に『IT起業家10人の10年』『開高健名言辞典〜漂えど沈ます』『ビッグコミック創刊物語』『長靴を履いた開高健』『電網創世記』『孫正義インターネット財閥経営』『シリコンバレーの日本人起業家たち』などがある。
日本ペンクラブ言論表現委員会委員。開高健記念会会員。


滝田誠一郎

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第3回 奇跡の1週間

セレンディピティ
 消せるボールペン『フリクションボール』の生みの親である中筋憲一(なかすじ・のりかず/現・パイロットコーポレーション常務取締役/パイロットインキ取締役会長/1943年生まれ)が、温度や光、湿度などで色が変わるインクの開発に着手したのは1970年、中筋が26歳のときのこと。手本になる研究者もいなければ、参考になる論文も皆無に近い状態だったため、研究開発は当然のことながら試行錯誤の連続だった。ところが、わずか1年ほどで温度で色が変わるインク(のちに「メタモカラーと命名)の原理を発見する。この快挙を中筋は“セレンディピティ(serendipity)”という言葉で表現する。

 セレンディピティとは、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力をさす言葉だが、思いもよらずに起きた幸運な出来事や経験といった意味でも使われる。中筋はこの言葉を後者の意味で好んでよく使う。

「あるとき、私が尊敬する上司、それこそ雲の上の存在ともいえる開発の大先輩と社内でばったり出くわして、『お前、いくつになった』と聞かれたので『27歳です』と答えたら、『そろそろ成果を上げてもいい頃だな』と発破をかけられた。その2ヵ月くらいあとですよ、本当にセレンディピティですよ。もう偶然の“あれ”に巡り合ったわけです。どのぐらい実験をやったかわからないですが、たまたま、本当に偶然の“あれ”なんですけれども……」

 すでに40年以上前のことだが、このとき起きたセレンディピティを語る中筋の声には、いまなお興奮冷めやらぬというように熱気がこもる。
 中筋の身に起きたセレンディピティとは、何度も実験を繰り返しているうちにドライヤーの熱(50〜60度)で変色する組成(材料の組み合わせ)を発見したことであり、同時に冷蔵庫内(3〜6度)で変色する組成を発見したことであり、その直後に体温で変色する組成を発見することができたことをさす。

「ドライヤーの熱で変色する組成と冷蔵庫内で変色する組成を発見したあと、ならば体温で変色するにはこの化合物でいいはずと見当をつけた組成を紙に塗り、それを掌にのせたら5本の指の形が浮かび上がった。このときの感激はいまも忘れることができない。その瞬間に変色の原理がわかった。全体図が見えたんです」

 実際にメタモカラーの特許を出願するのは1972年のことだが、5本の指が白く浮かび上がった瞬間からわずか1週間ほどでメタモカラーの基本原理はほぼできあがっていたと中筋は言う。

世の中が透明に見えた
 メタモカラーの基本原理は、ごく単純化していうならば、染料(ロイコ染料)、色が現れる顕色剤、変色温度調整剤をひとつのマイクロカプセルの中に均一に混合し、封入して顔料化したもの――ということになる。

 スーパーのレシートや領収書、感熱式ファクス用紙などの感熱複写や感圧複写に使われるロイコ染料は、それ自体は無色であるが、顕色剤と反応して黒や赤、青など様々に発色する成分(発色剤)である。メタモカラーの最大の特徴はロイコ染料と顕色剤が封入されたカプセルの中に、さらに変色温度調整剤という材料を追加したことである。
 変色温度調整剤の種類を変えることで、インク(マイクロカプセル)が変色する温度を自由に設定することができる。

 たとえば消せるボールペン『フリクションボール』用に開発されたフリクションインキには摂氏65度で働いて、マイナス20度で働かなくなる変色温度調整剤が用いられている。つまり、65度〜マイナス20度の温度であればロイコ染料と顕色剤が結合して発色するが、65度を超える熱を加えると変色温度調整剤が働いてロイコ染料と顕色剤の結合を阻害し、ロイコ染料と顕色剤が解離して無色になり、マイナス20度以下に冷えると変色温度調整剤が働かなくなり、ロイコ染料と顕色剤が結合して発色するという仕組みである。

中筋の名刺の裏には、メタモインキを使ったデザインが施されている。数パターンあるが、これは隅田川の風景。人肌に触れると、花火とスカイツリー、屋形船が鮮やかに浮かび上がる。

 ちなみに変色温度調整剤は、当初は既存の物質を使用していたが、その後は独自に合成して新たな物質を作るようになり、これまでに約1000種類もの変色温度調整剤を作り出してきたという。それらは世の中のどこにも存在しない化合物であり、その詳細はもちろんトップシークレットになっている。

 この基本原理を思いついた1週間を、中筋は「奇跡の1週間」と言う。「本当に特別な1週間」とも言う。「この1週間で一生分の運を使い果たしちゃったみたいな感じ」といって笑ったりもする。

「研究室にはいろいろな材料が山のようにあって、それをいろいろと組み合わせて実験していくなかで、ドライヤーの熱で変色する組成や、冷蔵庫内で変色する組成を発見した。これは理屈じゃないですから。ひたすら実験を繰り返して観察して、それでたまたま発見したのであって、ですから、やっぱり偶然の巡り合わせですよ。運です。本当にセレンディピティです。この1週間は、なんというか、世の中が透明に見えたというか、そんな気分でしたね」

“世の中が透明に見えた”とは面白い表現だ。想像するに、頭の中で思い描いた推理が、次から次へとずばずば的中して確たる原理になり、まるで「すべてお見通しですゾ」というような感覚に浸ることができた幸せな1週間だったという意味ではないだろうか。