INDEX

第1回 ボールペン市場、激震

第2回 傍流が生んだ画期的発明

第3回 奇跡の1週間

第4回 筆記具までの遠い道のり

第5回 千賀物語

第6回 メモリータイプの開発

第7回 筆記具への挑戦

第8回 3つの幸運

第9回  “消せるボールペン”、商品化へ

第10回  ヨーロッパ先行販売で大ヒット

第11回 消せるボールペンの系譜

第12回 伊東屋でのデモ販売

第13回 発売から8年、シリーズ累計10億本を売り上げる大ヒット商品に
著者プロフィール

ノンフィクション作家。ジャーナリスト。
著書に『IT起業家10人の10年』『開高健名言辞典〜漂えど沈ます』『ビッグコミック創刊物語』『長靴を履いた開高健』『電網創世記』『孫正義インターネット財閥経営』『シリコンバレーの日本人起業家たち』などがある。
日本ペンクラブ言論表現委員会委員。開高健記念会会員。


滝田誠一郎

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第4回 筆記具までの遠い道のり

「メタモカラー」の仕組み
 パイロットインキがメタモカラーの特許を出願するのは1972年のこと。パイロットの社史においては、これが消せるボールペン『フリクションボール』の出発点として記録されている。しかし、メタモカラーの開発者である中筋憲一(パイロットコーポレーション常務取締役/パイロットインキ取締役社長)の頭の中にも、経営陣の頭の中にも、メタモカラーを筆記具に使うという発想はこの時点ではまったくなかった。『フリクションボール』について書かれた雑誌記事などのなかには、はじめから筆記具への応用を考えていたと書かれているものが少なくないが、それは事実ではない。

 なぜ、メタモカラーを筆記具に使うという発想がなかったのか? 理由は大きくふたつある。ひとつは技術的な問題。開発当初のメタモカラーは、変色と復色(元の色になること)の温度幅がわずかに数度と非常に狭く、しかもその温度設定も厳密ではなかった。つまり 、放っておくとわずか数度の温度差で徐々に変色したり復色したりしてしまうわけで、筆記具用のインクとして実用化できるようなものではなかった。

 また、メタモカラーは発色剤(ロイコ染料)、顕色剤、変色温度調整剤の3つの成分がカプセルに封入されているため、どうしてもカプセルが大きくならざるを得ない。開発当初のカプセルは直径10〜15ミクロンあり、これだとボールペンの細いペン先に詰まってしまい、インクが出なくなってしまうのである 。

 筆記具用のインクとして実用化するためには変色する温度設定の厳密化、変色温度幅の拡大、そしてカプセルの超小型化──この3つの技術的ハードルを越えなければならないが、変色する温度の厳密化が可能になるのは1988年(「メモリータイプ」の開発。後述)のことであり、変色温度幅を80度前後(マイナス20度〜65度)にまで拡大することに成功し、かつカプセルのサイズを筆記具用インクにも応用できる2〜3ミクロンにまで超小型化することに成功するのは2005年のことである。筆記具への応用が現実味を帯びてくるのはずっと先の話であって、1972年当時の中筋の頭に筆記具への応用という発想がなかったのは当然のこととうなずけるというものだろう。

 もうひとつの理由はインクに対する有史以来の固定観念である。インクは筆跡がいつまでもきれいにくっきりと残るところにその価値があり、光に当たったり空気に触れたりすることで劣化したり、温度によって色が変わったりするのはいいインクではないというのが常識。このため、色が変わることが最大の特徴であるメタモカラーは、その特徴ゆえに筆記具用に適さないインクということになるわけで、それを筆記具に応用しようという発想が出てくるはずがなかったのである。

 この固定観念を打ち破り、ボールペンの新たな用途を切り拓いたからこそ、消せるボールペン『フリクションボール』は画期的であり、爆発的大ヒットにつながったのである。とはいえ、それはメタモカラーの開発から30年後のことだ。

「メモリータイプ」という第二の革命
 メタモカラーの特許を出願した当時、中筋の頭にあったのは印刷用インクとしての新たな商品開発であり市場開拓だった。
 1976年、メタモカラーを使った世界初の商品──『魔法のコップ』が発売される。花咲か爺さんと枯れ木のイラストが描かれた紙コップに冷たい飲み物を注ぐと枯れ木にピンク色の花が咲く、隠れていた動物(ワニ、ゾウ、ロバなど)が現れるといった楽しい仕掛けが施された商品である。

メタモカラーを使った商品の例  同じような仕掛けが施されたグラスや、反対に熱いお湯を注ぐと色が変わって隠れていた絵柄が浮かび上がるマグカップなども、アメリカのメーカーとの共同開発で相次いで商品化されたので、記憶している人も少なくないのではないだろうか。

 1985年には『メルちゃん まほうのフライDEこんがり』を発売し、玩具市場への進出を果たす。衣をつけた白いエビのオモチャを冷水の入ったフライ鍋に入れると、こんがりきつね色に変わる、おままごとにうってつけのオモチャだ。
 実用化が図られたとはいえ、この当時のメタモカラーはまだ開発途上であり、温度変化によって徐々に色が変化し、放っておくとわずかな温度差で徐々に元の色に戻ってしまうようなものだった。紙コップに冷たい飲み物を入れると徐々にピンク色の桜の花が浮かび上がり、そのまま放っておいて飲み物がぬるくなると徐々に消えてしまうという具合だ。専門的な言い方をすれば色の変化を司る変色温度調整剤の感度が鈍く、温度調整幅も狭かったためだ。

 1988年、中筋らはこの10年来の課題を解消する変色温度調整剤を作り出すことに成功し、この変色温度調整剤を組み込んだ新たなメタモカラーを開発する。設定温度になると感度良く反応して瞬時に変色し、常温ではそのままの色を記憶し続けることから、中筋はこれを「メモリータイプ」と名付けた。それと同時に、新しいロイコ染料の開発も進められた。もともと感熱・感圧複写に使われていたロイコ染料は黒色や青色が中心で、カラフルな色はなかった。中筋らは試行錯誤を繰り返しながら、これまでにない新しい構造を追求し、きれいなピンク、スカイブルー、イエローの開発に成功した。

 メモリータイプの登場とカラフルなロイコ染料の開発によって、メタモカラーの用途は飛躍的に広がることになる。

 1988年、アメリカの大手玩具メーカーから『女の子が大好きな“お化粧遊び人形”(メイクアップ人形)を共同で開発したい』との申し出が飛び込んでくる。この申し出に、中筋らは開発したばかりのメモリータイプと新しい色で応えた。すっぴんの人形の顔を冷たい水を含ませた布で撫でると目にはアイシャドー、唇には口紅、頬には頬紅が瞬時に浮かび上がり、お湯を含ませた布でこするとすぐにすっぴんに戻るメイクアップ人形が完成した。中筋自身が「メタモカラーを使った玩具のなかでは最高傑作」と評するこの人形は、全米の女の子たちの間で大人気を博した。

ヒット商品は出したけれど……
 メイクアップ人形のアメリカでのヒットに気をよくしたパイロットインキは1992年に『おふろすきすきメルちゃん』という人形を発売する。湯船につけたり、ドライヤーの温風を当てたりすると茶色の髪がピンク色に変わる人形だ。こちらは日本の女の子の間で大人気を博し、人気に後押しされる形でその後シリーズ展開が図られ、いまや同社の玩具事業の主力製品になっている。

メモリータイプのメタモインキを応用した『メルちゃん』シリーズ  同じく主力製品のひとつである『カラーチェンジ塗装工場』もメモリータイプの特性を生かした製品だ。ミニチュアの700系新幹線が冷水シャワーを浴びると瞬時にドクターイエローに変化する仕掛けはメモリータイプならではだ。

 設定温度になると感度良く反応して瞬時に変色する特長を生かして、大手飲料メーカーがビールやワインのおいしい飲み頃を示すラベルに応用するなど、さまざまな製品の“示温材”としても使われるようになる。飛行機の機内食がきちんと温まっているかどうかが一目でわかるように、メモリータイプで印刷した示温シールを大手航空会社が使っていた時期もある。

 メタモカラーはまた、他社では真似できない唯一無二の技術力とそのオリジナリティが評価され、偽造防止の目的でロス五輪の入場チケットや南米ボリビアの紙幣、ディズニーのキャラクター商品のタグなどに採用されたりもした。指先でこするだけで色が変わるメタモインキを使うことで本物かどうかすぐに見分けがつくため、偽造チケットや偽造紙幣を瞬時に見分けられるというわけだ。

「筆記具には適さないという思い込みがありましたから、メタモカラーの実用化に際して思いつくのは本業の筆記具から掛け離れた商品ばかりでした。それはそれで面白かったですけど」と中筋。

 開発者である中筋自身が国内外の企業を精力的に訪ね歩いてメタモカラーの売り込みを行った結果、メタモカラーはロイヤリティだけでも年間5億円を超える利益を上げるようになる。メタモカラーの市場開拓をするために開発事業部が新設され、メタモカラーを使った玩具事業をより積極的に展開しようということで玩具事業部も誕生した。新規事業としては大成功と言える。しかし、それでもなお中筋自身は傍流意識を払拭することができないでいた。

「おかげさまでメタモカラーはいろいろな企業に使ってもらえるようになり、少しは稼げるようになりましたが、そうはいっても本業である筆記具とは桁違いですから。社内での見方はあくまでも傍流でしたし、私自身もそう思ってました。まだまだ傍流だと」