INDEX

第1回 ボールペン市場、激震

第2回 傍流が生んだ画期的発明

第3回 奇跡の1週間

第4回 筆記具までの遠い道のり

第5回 千賀物語

第6回 メモリータイプの開発

第7回 筆記具への挑戦

第8回 3つの幸運

第9回  “消せるボールペン”、商品化へ

第10回  ヨーロッパ先行販売で大ヒット

第11回 消せるボールペンの系譜

第12回 伊東屋でのデモ販売

第13回 発売から8年、シリーズ累計10億本を売り上げる大ヒット商品に
著者プロフィール

ノンフィクション作家。ジャーナリスト。
著書に『IT起業家10人の10年』『開高健名言辞典〜漂えど沈ます』『ビッグコミック創刊物語』『長靴を履いた開高健』『電網創世記』『孫正義インターネット財閥経営』『シリコンバレーの日本人起業家たち』などがある。
日本ペンクラブ言論表現委員会委員。開高健記念会会員。


滝田誠一郎

twitter

facebook




第6回 メモリータイプの開発

色が変化しない温度の幅を広げる
 千賀邦行(現パイロットコーポレーション湘南開発センター名古屋分室インキ開発グループ部長、パイロットインキ第一開発部長)がパイロットインキに入社した1986年当時、メタモカラーの研究開発は新たな局面にさしかかっていた。のちに千賀の上司となる研究員が、「メモリーの基本原理を発見していたのだ。「メモリー」とは、色が消える温度と、再び発色する温度に一定の幅があり、その範囲内では発色状態と消色状態を自由に選択できる材料である。このメモリー材料を変色温度調整剤としてうまく使うことができれば、温度変化によって徐々に色が変化し、放っておくとわずかな温度差でまた徐々に元に戻ってしまう従来のメタモカラーの欠点が解消され、さまざまな分野への応用、実用化の可能性が格段に大きくなることが期待できる。

 入社直後、手始めに発色剤、顕色剤、変色温度調整剤の3つの物質を封じ込めたカプセルを小型化し、同時に耐久性を向上させるための膜材の研究開発に取り組むよう命じられた千賀も、その半年後にはメモリー材料の研究開発に取り組むことになる。

「私が入社したころは、色が消える温度と元に戻る温度の幅が5度とか7度とか、狭いものが主流でしたが、そのなかで比較的広い変色温度幅を示す材料(メモリー材料)が少しずつ見つかりかけていた時期でした。そして、このメモリー材料の種類を増やそう、メモリー幅をどんどん広げていこうという研究と、逆にこの幅をどんどん縮めて消える温度と戻る温度がほぼ同じという色材(顔料・塗料・印刷インキなどの総称)を目指そうという両方のテーマがあった。私自身に与えられたのは温度の幅を広げるほうのテーマでした」





地味に見える作業が「気持ちよくてたまらない」
 研究開発というのはなんであれそういうものだといえるかもしれないが、日々の作業はきわめて地味なものである。地味な作業を地道に繰り返す、その連続だ。

 Aという物質とBという物質をフラスコの中で反応させてCという化合物を作り出す。できあがったCをカプセルに封入し、変色する温度を測定する。それが終わるとA1とB1を反応させてC1という物質を作って同じことを繰り返す。DとEからFという物質を作り出してさらに同じことをする。その繰り返しであり、連続であり、それが毎日毎日続く。

「はじめのうちは上司の説明を聞いてその指示どおりにやるんですが、何しろ前例のない研究ですから上司の説明が合っていることもあれば、違っていることも結構ある。一応指示どおりにやりますが、自分でも日々創意工夫しながらやっていました。そんなことを1年も繰り返していると、物質の顔を見るだけで、見た目だけで、これを使うと温度幅が広くなるとか狭くなるとか、そういうことがわかるようになってくるんですね。基本的な化学知識と経験の蓄積とで、肉眼で見ただけでわかるようになる。そういうことがわかるようになってくると、化学品というのは連鎖しているので、この物質をこう変えればもう少し低い温度で色が消えるものができるよねとか、そういうことがだいたい頭の中で設計できるようになった。
 設計どおりの結果が出るとすごく楽しいんですね。気持ちよくてたまらない」

 フラスコに入ったいくつかの物質を実際に見せてもらったが、素人目にはどれもこれも白い粉末であり、粒子の大きさの違いくらいはかろうじて確認できるものもあるが、当然のことながらそれ以上のことは何もわからない。“物質の顔”を見ただけで温度幅が広くなるか狭くなるかがわかるなどというのは、千賀が言うとおり「化学知識と経験の蓄積」の賜物なのだろうが、門外漢には神業としか思えないというもの。

 第2開発部の研究開発陣が競って神業を駆使した結果、1988年には約20度まで変色温度幅をコントロールすることができる新たなメタモカラーが開発され、そのなかで千賀もメモリー材料のノウハウを習得していった。

 変色温度幅が20度ということは、たとえば35度以下では黒く発色していたインクが、35度を超えると透明化し、15度以下になると再び黒く発色するということを意味する。一定の温度に達するまでは色が安定していることから、このメタモカラーは“メモリータイプ”と名付けられた。

 変色温度調整剤の研究開発はこの後も地道に続けられ、メモリー実用化開始の約14年後(2002年)には変色温度の幅を80度前後(-20度〜65度)にまで拡大することに成功する。この進化形がすなわち筆記具用メタモカラー『フリクションインキ』であり、消せるボールペン『フリクションボール』の誕生につながるのである。

 これまでにパイロットインキの研究開発者らが独自に作り出した変色温度調整剤──世の中のどこにも存在しない化合物は実に1000種類を超えるという。マイクロカプセルに使う膜材も小型化、耐久性の向上を図る過程で新たな物質が次々と生み出された。その30年におよぶ蓄積があればこそ、メタモカラーを筆記具に応用することが可能になったのである。消せるボールペン『フリクションボール』が大ヒットしているにもかかわらず、他社が同じ市場に参入することさえできずにいる理由はここにある。