INDEX

第1回 ボールペン市場、激震

第2回 傍流が生んだ画期的発明

第3回 奇跡の1週間

第4回 筆記具までの遠い道のり

第5回 千賀物語

第6回 メモリータイプの開発

第7回 筆記具への挑戦

第8回 3つの幸運

第9回  “消せるボールペン”、商品化へ

第10回  ヨーロッパ先行販売で大ヒット

第11回 消せるボールペンの系譜

第12回 伊東屋でのデモ販売

第13回 発売から8年、シリーズ累計10億本を売り上げる大ヒット商品に
著者プロフィール

ノンフィクション作家。ジャーナリスト。
著書に『IT起業家10人の10年』『開高健名言辞典〜漂えど沈ます』『ビッグコミック創刊物語』『長靴を履いた開高健』『電網創世記』『孫正義インターネット財閥経営』『シリコンバレーの日本人起業家たち』などがある。
日本ペンクラブ言論表現委員会委員。開高健記念会会員。


滝田誠一郎

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第9回  “消せるボールペン”、商品化へ

55周年記念事業として商品化が決定
 2004年5月、パイロットコーポレーションはのちに『フリクションボール』と命名されることになる消せるボールペンの商品化を決定し、子会社のパイロットインキに対してその商品化を要請する。

 このタイミングでの商品化要請はパイロットインキにとっては特別な意味を持っていた。パイロット万年筆(現パイロットコーポレーション)の名古屋インキ工場が分社化されてパイロットインキが設立されたのが1950年であり、翌2005年はちょうど設立55周年の節目の年に当たっていたからだ。2002年にパイロットインキの社長に就任した中筋憲一は、自身が社長になって迎える初めての節目の年にパイロットインキの技術力、商品力を内外にアピールしようと考え、開発部隊、そして全社に対して号令一下、会社設立55周年に合わせた記念商品4種の開発・商品化を命じる。本社からも開発要請があった消せるボールペンがそのなかに含まれていたことは言うまでもない。

 ちなみに、残り3つの記念商品はというと、業界初のカートリッジ式万年筆タイプのカラーペン『ペチットワン』、これまた業界で初めてインキ色(10色)と筆記幅(ボール径0.3?/0.4?)を自由に選ぶことができる激細2色ボールペン『ハイテックC コレト』、そしてもうひとつが海外市場向けに商品化された、さながら万年筆のような滑らかな書き味が特長の水性ボールペン『ニューVボールグリップ』。技術力の高さを示すフリクションボールとハイテックCコレト、洗練されたデザインのペチットワンとVボールグリップという2タイプ4種の商品構成である。


千賀に課せられたふたつの命題
 消せるボールペンの商品化プロジェクトのリーダーには2004年に千賀邦行が任命された。メタモカラーの研究開発がしたくて1986年にパイロットインキに入社し、以来20年近くメタモカラーの研究開発だけに専念してきた千賀はまさにうってつけのプロジェクトリーダーだった。

「ずっと携わってきたメタモカラーが55周年記念商品のひとつに選ばれたこと、そのプロジェクトのリーダーを任されたことはとても誇らしく感じました。と同時に、他のメンバーたちと一緒に長い時間かけて育ててきたメタモカラーをいよいよ本格的に筆記具に応用するということと、55周年記念商品の発売が会社設立55周年に間に合わなかったら大変だということでプレッシャーも感じましたし、絶対に失敗は許されないという思いで気持ちが引き締まりました」(千賀)

 千賀に命じられた課題はふたつ。2005年中にヨーロッパ市場で発売するため、2005年の秋までには生産を開始できるようにすること。そしてもうひとつは色のバリエーションを6色揃えることだった。“メタモカラーの申し子”ともいえる千賀にとっても、このふたつの課題を期限内にこなすことはかなりの難題だった。

「商品化の決定から生産開始までが約1年半しかなくて、しかも製品仕様をまとめ上げる研究開発のメンバーは私を含めてインキ担当が3人、メカ担当が1人の計4人だけでしたから、スケジュール的には非常に厳しかった」(千賀)

 メタモカラーを使った筆記具の商品化では2002年に限定発売された『イリュージョン』があり、その経験が随所で役立ちはしたが、マイクロカプセルに含まれる発色剤、顕色剤、変色温度調整剤が『イリュージョン』のそれとは異なることもあって、工業化はすんなりとは進まなかった。

「変色温度幅をマイナス20度から65度まで広げた新たな変色温度調整剤をマイクロカプセルに封入することは、研究室の小さなビーカーのなかではできるんですが、工場の何百キロのタンクで同じことをしようとすると、なかなか思いどおりにはいかない。予期せぬことが起きて設計を見直し、手直しせざるを得なかったことも2回あった」(千賀)

 工場は三重県の津市にあったため、千賀をはじめとするプロジェクトメンバーは頻繁に名古屋と津を往復し、ときには津に泊まり込み、工場の担当者と一緒になって工業化に取り組んだ。何か問題が生じたり、失敗したりすると、それを名古屋の研究室に持ち帰り、ビーカーのなかで再現試験を行い、対策をあれこれ考えては試験を行い、「これでいける!」となったらまた津の工場へ出向いて大きなタンクを使って試験を行う。その繰り返しが1年以上続いた。

“青”を求めて
メタモカラーの説明をする“メタモカラーの申し子”千賀 色のバリエーションを6色揃えること自体は『イリュージョン』をはじめ、これまでのメタモカラー関連商品を開発する過程で、当然経験済みだったが、これもまた思いの外に難航した。『イリュージョン』は当初はブラック→レッド、ブラック→ピンク、ブラック→バイオレット、ブラック→ライトブルー、ブラック→グリーンと変化する5種類が発売され、直後にイエローとオレンジが加わって7色になった。これをそのまま消せるボールペンに転用すれば6色揃えることは造作ないはずだが、千賀らはあえてそれをしなかった。より濃く発色し、それでいてよりきれいに消えるインクを作るため、それまで使ってきた染料とは異なる染料を新たに使ってブラック、レッド、グリーン、ブルー、ライトブルー、バイオレットの6色を揃えることにした。

 長年蓄積してきた知識と経験があるので、どういう染料を使えばより濃く発色するか、よりきれいに消えるかはある程度わかっていたので、当たりをつけた染料を実際に試して、結果を見ながら絞り込む作業自体はさほど難しいことではない。ところが、その過程で難問にぶち当たる。それまでのメタモカラーに使用されてきた従来の青色染料では、きれいに消える青がなかったのだ。きれいに消える青色がないということは、すなわち青系統のすべての色(ブルー、ライトブルー、グリーン、バイオレット)に影響する。

 なぜ青が消えにくいのかということを調べていくうちに、染料の分子構造上の問題だということがわかった。すぐに染料メーカーと一緒になって異なる分子構造の青染料の開発に一から取り組み、ようやくきれいに消える青染料を作り出すことに成功し、カラーバリエーションとして6色をそろえることができた。「青色を完成させるのは本当に苦労した」と千賀は当時を振り返る。

 2005年8月、予定どおりに消せるボールペンの生産が開始される。出荷されたボールペンがヨーロッパに送られ、現地の文具店などの店頭に並ぶのは翌2006年1月のことである。