INDEX

第1回 ボールペン市場、激震

第2回 傍流が生んだ画期的発明

第3回 奇跡の1週間

第4回 筆記具までの遠い道のり

第5回 千賀物語

第6回 メモリータイプの開発

第7回 筆記具への挑戦

第8回 3つの幸運

第9回  “消せるボールペン”、商品化へ

第10回  ヨーロッパ先行販売で大ヒット

第11回 消せるボールペンの系譜

第12回 伊東屋でのデモ販売

第13回 発売から8年、シリーズ累計10億本を売り上げる大ヒット商品に

著者プロフィール

ノンフィクション作家。ジャーナリスト。
著書に『IT起業家10人の10年』『開高健名言辞典〜漂えど沈ます』『ビッグコミック創刊物語』『長靴を履いた開高健』『電網創世記』『孫正義インターネット財閥経営』『シリコンバレーの日本人起業家たち』などがある。
日本ペンクラブ言論表現委員会委員。開高健記念会会員。


滝田誠一郎

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第12回 伊東屋でのデモ販売

デモ販売で記録的な売上げ
 東京・銀座。三越のある4丁目交差点から銀座通りを松屋方面へ歩いて銀座2丁目交差点あたりまでくると、目線を少し上げた先に大きな赤いクリップが見えてくる。文具専門店として名高い伊東屋の本店だ。1904(明治37)年創業の老舗であり、客足の途絶えることがない人気店である。

 2006年11月9日木曜日、伊東屋の店頭にはいつになく大勢の人だかりができていた。店頭から溢れた人々は列をなし、その列がどんどん長くなって隣のビル(現ブルガリ銀座タワー店)を囲むようにしてマロニエ通りにまで延びた。ピーク時には100人近い人の列ができたというから当日の盛況ぶり、熱気や喧騒がうかがえるというものだ。翌日(10日)も翌々日(11日)も、伊東屋の店頭には同じように多くの人が押し寄せ、長い列ができた。伊東屋の長い歴史のなかでも、これほど大勢の人々が3日連続で押し寄せたのはほとんど前代未聞の出来事だった。

 11月9日から11日までの3日間、伊東屋の店頭で行われ、大勢の人を集めていたのは、当時まだ日本では発売されていなかった『フリクションボール』のデモ販売だった。3日分として用意した3000本のうち2500本が初日だけで売れた。大あわてで名古屋のパイロットインキから新幹線で追加分を何度か運ぶことになる。2日目は4000本近くが、3日目も2400本近くが売れた。

 当時まだ国内での販売の目処が立っていなかったこともあって定価も決まっておらず、とりあえずヨーロッパでの販売価格を単純に円に換算して1本税別200円で販売したので、1日目はざっと50万円強、2日目は80万円強、3日目は50万円強、3日間合計で190万円近くを売り上げた計算である。

 通常、文具店の店頭などで行われるボールペンのデモ販売では1日1000本、金額にして10万円を超えると「すごい!」と言われる。ちなみに、パイロットの主力商品のひとつである激細ボールペン『ハイテックC』のデモ販売のときは20〜30万円、消せるボールペン『イーゲル』で1日に20〜25万円だったというから、『フリクションボール』がまさに記録破りの売れ方をしたことがよくわかる。

 伊東屋にとっても『フリクションボール』の売れ行きは記録的なものだった。2日目に記録した80万円強の売上げは、ひとつの商品の1日の売上げとしては1980年代に大人気を博した『プリントゴッコ』(1977年に理想科学工業が発売した家庭用小型印刷器)と1位、2位を競うほどだった。


おそるおそるのテスト・マーケティング
 2006年1月にヨーロッパで先行販売された消せるボールペン『フリクションボール』は発売開始早々に人気に火がつき、1年間で約750万本という爆発的な販売本数を記録する。初年度100万本も売れれば御の字……くらいに考えていた日本サイドの予想の7〜8倍に達するという大ヒット商品になる。しかし、ヨーロッパでの快進撃を目の当たりにしても、だからといって「日本でも売れるはず!」と確信するまでには至らなかった。国内で売れるかどうかは、みな半信半疑だった。

 日本でも売れるはずだと確信することができなかった理由は大きくふたつ考えられる。ひとつは日本にはフランスやドイツのように(教育現場で)ボールペンや万年筆を消して書き直すという“消す文化”がなく、確たる市場が見込めなかったということ。もうひとつは2001年に売り出した消せるボールペン『ディーインキ』が、発売初年度こそ2000万本の大ヒットを記録したものの、その人気は長続きせず、市場に定着することなく終わった苦い経験があったからだ。

 ヨーロッパでいくら爆発的に売れても、それは消す文化があるヨーロッパだからであり、しかもそれだって一過性のものかもしれないという不安をぬぐい去ることができなかっただろうことは容易に想像できる。また前にも触れたが、『ディーインキ』に改良を加えて、より書き味がなめらかで、きれいに消すことができるゲルインクボールペン『イーゲル』を2005年に発売したばかりであり、『イーゲル』と『フリクションボール』が市場を食い合うのは得策ではないという経営判断もあって、『フリクションボール』の国内販売には慎重にならざるをえなかったという事情もある。

 このような状況下で、市場の反応を探る目的で行われたのが伊東屋の店頭でのデモ販売だったわけだ。すなわちテスト・マーケティングである。実際に店頭に立ったのは国内営業を担当していた若手・中堅社員ら5人。入社以来国内営業一筋に13年、当時伊東屋を担当していた竹井紀広(現・パイロットコーポレーション東部支社営業第6課長)もそのひとり。

「上司からは、フランスで『フリクションボール』が売れているから、ちょっとテスト販売をやってくれと言われた記憶があります。より多くのお客さんに“きれいに消せる”ことを実感してもらえ!、体感してもらえ!、という指示でした。普通、デモ販売をするときは商品知識をしっかりと頭に入れ、お客さまにきちんと商品説明ができるようにして臨むのですが、『フリクションボール』の場合は説明よりも何よりも、まずは手に取ってもらって、書いてもらって、消してもらって、“きれいに消せる”ということを実感してもらおう、と。そういう方針でデモ販売に臨みました」(竹井)

「とにかく書いて、消してみてください」
 開店時間の少し前に伊東屋の店頭に陳列台を出し、商品を並べる。パイロットコーポレーション・オブ・ヨーロッパから宣伝用ポスターやPOP広告、商品写真などの画像データを取り寄せ、それを自分たちで加工して作ったポスターを目立つように掲示し、チラシを用意すれば準備万端。しかし、準備を終えた段階でも竹井は「そんなには売れないだろうな」と思っていたという。

「フランスで売れたとはいえ、日本で売れるかどうかは半信半疑でした。3日分で3000本の『フリクションボール』が用意されていたんですが、正直言ってそんなには売れないだろうと思ってました。タトゥーをモチーフにしたデザインが日本では受け入れられないのじゃないかということもありましたし、1本100円のボールペンが主流だった当時に、その倍の200円で売ろうというのですから、よほど優位性のある商品じゃないと厳しいだろうな、と。デモ販売をするまでは“消せる”ということにそれほどの優位性があるとも思えませんでしたし」(竹井)

 半信半疑の不安を抱えたまま、11月9日朝10時半、伊東屋の店頭でのデモ販売が始まった。伊東屋に買い物に来た人たちに向かって、銀座通りを行き交う人たちに向かって、竹井らはいっせいに声を張り上げた。「いらっしゃいませ」「新製品の消せるボールペンです。とにかく書いてみてください」「きれいに消えるので試してみてください」等々。

 出だしこそ反応は鈍かったが、竹井らの声に誘われて実際にボールペンを手にする人がひとり、ふたり現れると、それにつられて3人、4人と陳列台の周りに集まりはじめ、そうなると人が人を呼び込む形で人垣ができ、それを見て「何をやってるんだろう?」とばかりにさらに多くの人が集まりはじめ、じきに行列ができた。その状態が閉店時間まで1日中続いた。

「実際に書いてもらい、消してもらうと、『あ、本当に消える!』とか、『わ、すごい!』とか、ものすごい反応でした。営業をずっとやっていて、こんなにお客さんの反応がいい商品は久しぶりというか、初めて経験するような反応の良さでした」(竹井)

 平日ということもあって行列を作ったのはほとんどが中年の婦人だった。さほどボールペンに興味があるとも、縁があるとも思えない彼女たちが競うようにして『フリクションボール』を買い求めていった。しかも、1本ずつ買うのではなく、1箱(12本入り)、2箱とまとめ買いする人が後を絶たなかった。
「よそでは売ってない新商品ということで、自分で使う分だけでなく、家族やお友だちへのお土産感覚で買っていった方が多かったように思います。おかげで飛ぶように売れました。びっくりするくらい売れた」(竹井)

消えるを変えると、世界が変わる
 予想をはるかに上回る集客と売上げを記録したため、当初の5人ではとても手が足りず、すぐに応援部隊が増派された。当時、商品企画の仕事をしていた古謝将史(現・パイロットコーポレーション営業企画部営業企画グループ主任)も応援要員として駆り出されたひとり。その体験を古謝はメモに次のように書き残している。

《伊東屋の爆発を見たか? 僕は店頭に立って、その熱気を目撃した。まず、店頭で「書いて、消す」デモンストレーションを行う。それだけで周りの人々は目を丸くして、こちらにやってくる。

「これはマジックか?」
「いえいえ、これは種も仕掛けもございます。パイロットの新製品フリクションでございます」

メタモカラーの説明をする“メタモカラーの申し子”千賀  温度変化で筆跡が消えるのだと説明する。みんなは目を白黒させて、こちらの説明に食い入るように聞き耳を立てる。「やってみてください」と僕は声をかける。「うわー! すごい!!」「ほんとうに消える! これください!」

 伊東屋の販売金額、なんと3日間で190万円。これはすべてのジャンルでトップの実績である。》

 古謝はまたこうもメモしている。
《フリクションはすごい。本当にすごい。消えるを変えると、世界が変わるのだ。》

 デモ販売の、予想をはるかに超えた盛況ぶりを目の当たりにした社員たちの鳥肌が立つような昂揚ぶりがうかがえるというものだ。

 パイロットコーポレーションの本社がある京橋2丁目から伊東屋がある銀座2丁目までは距離にして400メートルほどしか離れていないこともあって、経営陣や幹部社員たちの多くもこの驚くべき光景を目の当たりにした。“メタモカラーの神様”中筋はその光景がいまも忘れられないと言う。

「中高年の女性たちがガバッと買っていくのを私はずっと見とったわけですよ。ヨーロッパと同じように学生がメインターゲットだと思っていたのに、中高年ばっかり買っていくのが意外でしたが、飛ぶように売れるというのはこういうことを言うのかと思うくらいに売れた。見事な売れ行きだった。あれはよう忘れないですね」(中筋)

 このデモ販売の結果を受けて『フリクションボール』の国内販売が決まる。デモ販売から4ヵ月後の2007年3月、『フリクションボール』がいよいよ国内で発売になる。