第9回

前回までのあらすじ

一国一城の主になる。なのに、このざまはなんだ――。ムーンヒルホテルで働く俊太は、三階級特進を果たし、経理管理課課長として未払金の回収を担当していた。ある日、社長の月岡を訪ねた彼は、クレジットカードの普及によって、近い将来、自分の仕事がなくなることに気付く。このままでは会社のお荷物になってしまう。忸怩たる思いに駆られた俊太の次なる行動とは……!?

丸山の代わりに部下となった浜島英輔は、面白い男だった。

面白いというのは、愉快という意味ではない。少し変わっているのだ。

未収入金の回収業務は後ろ向きの仕事だ。客との会話は常にカネ。それも支払いを迫る借金取りである。ホテル業界に職を求める理由は様々だろうが、決して王道の仕事ではない。腐っても無理のない話なのだが、浜島はその点が違う。前向きというか、楽観的というか、実に熱心に仕事に取り組む。

浜島は入社三年目の二十五歳。三年間は丁稚といわれる会社社会では、そろそろ独り立ちする時期だが、未収入金の回収ははじめての仕事だ。

そのせいもあってか、浜島は教わることを躊躇しない。問題や疑問が生ずると、すぐに教えを乞うてくるから、関係も密になれば、一緒に酒席を共にする機会も多くなる。

「浜島君、この仕事おもろいか」

ある日、酒席の場で俊太がそう訊ねたところ、返ってきたこたえがまたふるっていた。

「課長、会社の仕事におもろいもなにもないんと違います?お前の仕事はこれやいわれたら、やるしかないやないですか」

浜島は当然のようにこたえると、「それに、自分がムーンヒルホテルに入社できたんは、奇跡みたいなもんなんです。なんせ、同期はみんな名の通った一流大学の出身ばっかりで、自分のようなしょぼい大学出はおらしません。せっかく拾うてもらったんです。一所懸命やらな、ばちが当たるやないですか」

自嘲めいた言葉を口にしながら、屈託のない笑みを顔に浮かべる。

月岡が社長に就任して以来、ムーンヒルホテルはまさに日の出の勢いで事業を拡張していた。起爆剤になったのは、巨大なプールを併設した湘南とスキー場を兼ね備えた新潟のホテルの大成功である。このふたつの事業は、ホテルは宿泊施設という従来の業界の概念を一変させ、滞在しながら余暇を楽しむものへと、新しいホテルの使い方を世に認知させることになった。中でも、最も敏感に反応したのは、若い世代である。大学生やサラリーマンを中心に、シーズン中は連日満室。湘南はプール使用料、スキー場からはリフト代金、夏はテニスコート利用料と、併設する施設からも莫大な収益が上がった。

こうなると、もはや月岡の考えに疑問を呈する者は皆無である。

スキー場を併設したホテルの建設に次々と着手し、開業間近の物件は五軒。計画中は三軒にもなる。

ムーンヒルホテルの評判が高まれば、放っておかないのがテレビ、新聞、雑誌といった報道機関だ。それがまた集客力を高めることにつながるのだから、勢いは増すばかり。結果、ムーンヒルホテルに就職を望む学生が引きも切らずということになったのだ。

浜島は大阪の私立大学の出身である。

もっとも、中卒の俊太には、それが世間でどれほどの評価を受けている学校なのか皆目見当がつかない。

とはいえ、学歴がないばかりに異物として扱われたことを思えば、大学にも序列があり、出身校によって周囲の見る目、時に態度が変わってくるのもあり得る話ではある。まして、三年目という独り立ちをする時期に、未収入金の回収業務への異動だ。しかも上司は中卒の俊太である。「お前には、その程度の仕事、上司がお似合いだ」と、前の部署から追い出されたというのもあながちうがった見方とはいえまい。

そう考えると、なおさら部下となった浜島が可愛くてならない。

自分が月岡に認められ、大卒社員と同等の待遇を与えられたのと同様に、浜島を育て、実力でひとつでも高いポジションに就けるよう、鍛えなければならないと俊太は思うようになっていた。

「ところで課長。うちは結婚式の貸衣装って、どこから仕入れてるんですかね」

浜島が、ふと思いついたように訊ねてきたのは、光子が八ヶ月になろうかという日のことだった。

「それは分からんな。結婚式は、販売企画の仕事やさかいな」

所は浜松町の馴染みの小料理屋である。

俊太はビールが入ったグラスに手を伸ばしながらこたえると、「貸衣装がどないしてん」

問い返した。

「いや、京都で貸衣装屋をやっとる親戚がおりましてね。そろそろ歳やし廃業したいいうてまして、衣装の売却先を探してるんですわ」

「そら、餅屋は餅屋いうやつやで。同業者に話をすれば、まとめて買うてくれるんとちゃうか」

「いや、その親戚いうのが爪が長うて──」

浜島は、苦笑いを浮かべながら頭を掻くと、「同業者やと買い叩かれるに決もうとる。どうせ売るなら、なんぼでもええ値で買うてくれる先がええいうて、それでムーンヒルホテルに勤めてる自分に、なんとかならんかいうてきたんですわ」

ぐいとグラスを傾けた。

「うちの企画部かて同じや思うけどな。衣装いうたって中古やろ。どこへ持っていってもええ値段はつかへんで」

「それが、そうでもないんです」

浜島は真顔でいった。「親戚とこは三代続いた呉服屋やったんですが、洋服が普段着になってもうてからはただでさえ着物の需要が減る一方やったのに、戦争で客足がばったり途絶えてもうたんですわ。それで、高い反物を抱えてもしゃあないちゅうて、貸衣装屋をはじめてみたらこれが大当たりしたんです」

「ええもんが揃うてるいうわけか」

「自前で揃えよう思うたら、とても手が出えへんようなもんがぎょうさんあるんです。花嫁衣装なんちゅうもんを着るのは一回きり。姉妹で使こうても何回も着るもんちゃいますし、どうせ着るなら、着せるなら豪華なもんをと思うのが花嫁衣装いうもんですわ。そやし商売自体はことの外順調で、ごつい儲けてはんのです」

「そない儲かってんなら、なんで廃業すんねん」

「跡取りがいいへんのですわ」

浜島はいった。「息子はふたりとも兵隊に取られて戦死してもうて──」

「そやったら、君がやったらええやん」

俊太は当然の疑問を口にした。

「そこですわ」

浜島は眉を上げ、ほっと小さく息を吐く。「ほんま、爪の長いおっさんなんですわ。やりたいいうなら譲ってもええが、衣装代に暖簾代はしっかり払うてもらういうて、法外なカネを要求してきましてん」

「商売人の鑑やな」

俊太は半ば本気でいうと、「身内でも貰うもんは貰う。立派なもんやで。それに、自分で商売やろ思うたら、身銭を切らな本気にならへんしな。楽して儲かる商売なんて、どこを探したってあらへんで」

グラスを傾け、ビールを一気に飲み干した。

「貸衣装は美味しい商売なんですわ」

浜島は、すかさず空になった俊太のグラスにビールを注ぎ入れる。「結婚式以外にも、七五三、葬式、成人式。主役はもちろん、列席者もやっぱり見栄を張るんですわ。ものによって、料金は違いますけど、ええもんになったら、古着屋で買うたらそこそこのもんが買えるんとちゃうかいうほど高いのに、それでも千客万来。そやし、おっさんも強気で──」

そういう浜島は心底残念そうだ。

「そら、そうやろな。着物が上等なら、帯もそれに相応しいものを揃えなならんやろし、小物かて同じや。それに、ええもんを見てもうたら、どうせ借りるならっちゅう気になるのが人間ちゅうもんやからな」

「実際、貸衣装屋っちゅうのはよくできた商売なんです」

浜島は、自酌でビールをグラスに注ぎ入れると、「たまにしか着いへん上に、一度着てもうたら、洗濯せなならんでしょう。その代金も馬鹿にならんし、しもうている間に虫に食われでもしたら、大枚叩いて買うた衣装がわやになってまいますしね。借りもんならそないな心配はあらへんし、貸衣装屋かて毎回洗濯するわけやない。客が汚しでもすれば、逆に洗濯代を請求すりゃええんですもん、そら儲かりますわ」

「さっきから、儲かる、儲かるいうて、そやしなんで自分でやらへんのやいうてんねん。借金こさえても返せる目処があって、返済が終わればそこから先は丸儲けになるんやったらやったらええやん」

今度は本気で俊太は問うた。

「そこがおっさんの油断ならんところなんですわ」

浜島は、横顔を見せ手をひらひらと振る。「店をたたむ理由は歳のせいばかりやないんです。貸衣装屋の商売もこれから厳しゅうなる。本当の理由は、むしろそっちの方にあるようなんですわ」

「厳しゅうなるって、なんでや」

「ホテルで式を挙げる人が増えとるからですわ」

その言葉を聞いて、俊太はつまみのメザシを口に運んだ手を止めた。

浜島は続ける。

「ひと昔前までは、結婚式は自宅か料理屋でやるもんでしたが、最近じゃホテルいうのは京都も同じなんです。ホテルは貸衣装も含めて、一切合切全部自分ところでやってまうやないですか。客にしたって、ひとつの窓口で全部段取りが済みまっさかい手間がかからんのです。それに、全部やらせてもらえんのなら、値引もできまっしゃろ」

「そうか──。貸衣装専門じゃ、値引はできへんわな」

「中でも、花嫁衣装、それも和服の料金は他のもんに比べて上物やと桁がひとつ違うんです。つまり、それだけ利幅が大きいんです」

「まして、着るのは花嫁だけやし使い回しやもんな。古着が買えるほどの料金が取れるなら、多少値引したってホテルは痛くも痒くもないもんな」

そこで俊太はメザシを齧ると、「確かに、そうなると貸衣装屋の経営は苦しゅうなるな」

口を動かしながらいった。

「そないなこと聞かされたら、そら自分でやろういう気にはなるわけないやないですか。そやし、うちに衣装を買うてもらえんやろかと相談してきたんですわ」

「しかしなあ。衣装をぎょうさん揃えたかて、ホテルの会場は限られとるしな。なんぼ、うちがどんどん新しいホテルを建てとるいうたかて、東京は八軒。新設物件は地方が中心や。回転率が落ちてもうたら、利益が出るどころか、収益率が落ちてまうで」

「ですよねえ……」

浜島も端から結論は見えていたとばかりに同意すると、「そやけど、儲かってる商いを畳むのが、よっぽど悔しかったんやと思うんですわ。わしがあと十年若かったらって、未練がましいことをいうんです」

ふと漏らした。

「十年若かったら、どないするっちゅうねん」

「結婚式場をやるって──」

「結婚式場?」

俊太はグラスを傾けながら、先を促した。

「要は、結婚式場に特化した施設を自前で持って、一切合切やってまうってことです」

「そないなもん、成り立つんか。結婚式いうたら、土曜日の夕方、日曜、祝日に集中すんのやで。平日はガラ空きや。従業員も遊んでまうし──」

「それがおっさんにいわせると、貸衣装屋かて同じやいうんです」

俊太の言葉が終わらぬうちに浜島はいう。「もちろん葬式、七五三と他にも需要はありますけど、そないなもんはたかが知れてます。儲かるのはやっぱり婚礼衣装なんですわ。そこに式場代、料理代、花代、その他諸々。結婚式は新郎新婦にとって一世一代の晴れ舞台。大盤振る舞いする時や。他所に流れてもうてる商いを根こそぎかっつぁらえば、いまよりはるかに大きな儲けがあげられるいうんですわ」

理屈の上ではそうかも知れぬが、問題はすぐに思いつく。

「そやけどな、いまもいうたけど、従業員はどないすんねん。給仕はバイトで事足りるとしても、料理人はそうはいかへんで。それも大人数の宴会料理をこなさなならんいうことになったら、結構な人を雇わな回らへんで」

俊太は、あり得ないとばかりに首を振った。

ところがである。

「仕出しでなんとかなるんちゃうかいうんです」

浜島は突拍子もないことをいい出した。

「仕出し?」

「京都では芸妓や舞妓を呼んで、酒呑みながら踊りを愛でてって、お茶屋遊びする人がぎょうさんいまっしゃろ?そん時は豪華な料理が出されるもんなんですが、それ全部仕出しなんですわ」

神戸で生まれた俊太だが、京都は近くて遠い場所だ。まして、幼少の頃に離れたきり。いまに至るまで、一度も訪ねたことはない。舞妓、芸妓の存在はもちろん知ってはいるが、お茶屋遊びというものがどんなものかは全く知らぬ。お大尽が膳を前にして雅な着物を身にまとった芸妓の舞を、豪勢な料理をつまみながら酒を呑む。その程度のイメージがあるだけだ。

「仕出しいうても弁当みたいなもんなんですが、それを結婚式用に改良して、式場に届けてもろうたらええんやないか。そないいうんです」

浜島は続ける。「お座敷遊びは平日の夜に集中します。日曜日の昼は、料理屋は休みなんです。そやけど、そこにまとまった商いが発生するとなれば、料理屋も乗ってくるいいましてん。全く、どこまで虫がいいんだか。結婚式に仕出しやなんて──」

ついには嘲笑を浮かべながら話す浜島ではあったが、もはや彼の会話も耳に入らない。

かつて結婚式の費用を支払った際に北野と交わした会話が脳裏に浮かんだからだ。

宴会の給仕はバイトがほとんど。料理はあらかじめ下準備をしておき、温める、あるいは少し手を加えて出すだけ。なによりも、結婚式は利幅が大きい商売で、月岡からも宴席の予約確保に力を入れろと厳命が下ったといった。

確かに一聞したところ、突拍子もないようなアイデアではある。だが、ホテルの機能を最大限に利用すれば、京都のお座敷遊びの方式も十分通用するのではないかと俊太は直感した。

「それ……いけるんちゃうか」

俊太は、思わずつぶやいた。

「いけるって何がです?」

「結婚式専用の施設や。十分商売になるかも知れへんで」

「いや、あきませんって」

浜島は、そんな馬鹿なといわんばかりに、顔の前で手を振る。「課長もいったやないですか。結婚式なんて、日曜、祝祭日にやるもんです。平日は誰も使わん施設なんか持とうもんなら──」

「いや、そうでもないかも知れへんで」

閃きが、急速に形となっていく感覚を俊太は覚えた。「物は考えようや。結婚式が利幅の高い商いいうことは、企画部の人もいうとったしな。結婚式場に特化した施設に宴会場を数作れば、その分だけ宴会の数は増える。昼と夕方の二回転なら、宴会の数は倍や。それなら、平日が使われへんでも十分採算が取れるんとちゃうか」

「料理はどないすんです」

「近場のホテルから運ばせればええやん」

俊太は無意識のうちにメザシを口にした。噛みしめるほどに滋味が滲み出し、それが閃きに拍車をかける。

「つまり仕出しや」

俊太は言葉に勢いをつけた。「ホテルの結婚式に出す料理かて、あらかじめ下準備をして、最後の仕上げをすればええだけいう状態にしておくんや。そいつを式場に運び込んで、仕上げるだけなら、料理人かてそれほどの数はいらん。給仕かて、バイトで十分事足りてんねん。日曜、祝祭日に調理場、宴会係から人を割いてもらえば、ホテルと遜色ないサービスができる。ホテル内の宴会場に料理を運ぶか、少し離れた結婚式場まで料理を運ぶか、そんだけの違いで新しい飯の種が生まれんのや」

こんな展開になることを想像だにしていなかったのは明白だ。

浜島は、目を瞬かせながら、呆然とした面持ちで俊太を見ると、

「しかし、どないして──。結婚式場をやるには、会社の合意を取り付けな……」

当然の疑問を口にした。

もちろん策はある。

俊太はそれにこたえることなく、ビールを一気に飲み干すと、

「ええ話を聞かせてもろた。この話がうまいこと通ったら、一番手柄は浜島君、君のものや」

胸の中に燃えがる闘争心の勢いそのままに、グラスをカウンターの上に音をたてて置いた。

「荒木。お前、この小柴の提案をどう思う?率直な意見を聞かせてくれ」

社長室の一角には、九つの椅子が置かれた会議用のテーブルがある。

左右に四つずつある椅子は部下が座るもので、上座の椅子は月岡のものだ。

俊太と正対して座る荒木に向かって月岡が問うたのは、それから半月後のことだった。

三人の前に置かれた書類は、俊太が書いた結婚式場事業の提案書だ。

しかし、ひとりとしてそれを開く者はいない。

仕事の合間を縫って提案書を書き終えたのが四日前。本来ならば宴会全般を担当する販売企画部に上げるのが筋だが、前金の増額への反応で知れたこと、前例主義に凝り固まった荒木が提案に前向きな姿勢を示すとは思えない。

そこで、秘書を通して直接月岡に提出したのだが、どうやら今日までの間に荒木も提案書には十分目を通しているらしい。

「まあ、発想は面白いとは思いますが……」

そうこたえる荒木の顔には不快感が滲み出ている。「しかし、結婚式に特化した施設がビジネスになるかどうかは疑問ですね。小柴課長は、部屋数を増やして一日あたりの件数をこなせば、平日は開店休業状態になっても、十分利益は上がると考えているようですが、それも稼働率が常に一定以上になればの話です。確かに、ムーンヒルホテルで結婚式をというお客さんは激増しており、空きがなくて、泣く泣くお断りしているのが現状ではありますが、それもこれもムーンヒルホテルで式を挙げるというのが、謂わばステータスになっているからです。経営は同じだといっても、場所が違うとなればお客様の反応は全然違ってくると思います」

月岡は反応を示さない。

さあ、どうこたえる?といわんばかりに俊太に視線を向けてきた。

「現場のことは、販売企画部の皆さんが良くご存じなのは承知しとります」

俊太は、そう前置くと反論に出た。「ムーンヒルホテルで式を挙げたい。いまの繁盛もお客さんがそう熱望しているからこそいうのもその通りやと思います。ならば、あえて訊ねたいのですが、うちで結婚式を挙げたいいう新郎新婦をそこまでの気にさせた理由は何でしょう?」

「そりゃあ決まってるじゃないか。社長の戦略の賜物だよ」

荒木は、月岡に目をやると、ここぞとばかりに声に力を込めた。「新潟、湘南でのリゾート型のホテルの開業の大成功は、従来のホテルのイメージを一変させただけじゃなく、新しい余暇の過ごし方を世間に提示することになったんだ。そして、特に若い世代の熱烈な支持を得た。ムーンヒルホテルは時代の最先端を行くホテル。そこに宿泊し、遊ぶのがおしゃれであり、ステータスでもある。結婚式という晴れの舞台もムーンヒルホテルでと考えるようになるのは当たり前というものだ」

「つまり、うちで式を挙げるのがおしゃれ。そんな風潮が出来上がったいうわけですか」

「それ以外に何がある?」

荒木は断言すると、「もちろん、我々もそうしたお客様の期待にこたえるべく、内容、サービスを充実させた結果でもあるがね」

自分たちの普段の努力をさり気なくアピールする。

「その通りやと思います。そやけど、イメージいうんなら、それをもっと高めてやったら、お客さんの満足度はもっと上がるんちゃいますやろか」

「それ、どういうことだ」

荒木は、眉間に浅い皺を浮かべて問い返してきた。

「素人考えですが、式を挙げる当人、特に花嫁さんにとっては、披露宴ちゅうのは一世一代の晴れ舞台。映画中のヒロイン同然の扱いを受ける、最初で最後の場やと思うんです」

「だから、我々もその夢を叶えてさしあげるべく──」

「金屏風に豪勢な花。豪華な料理に美味しい酒。そら、夢のようなひと時やとは思います。そやけど、映画でいうたら全部小道具やないですか」

俊太は荒木の言葉が終わらぬうちにいった。

「小道具?」

「部屋そのものは、何にでも使える宴会場。設えをそれふうに変えただけやないですか」

荒木の顔が強張った。みるみる間に血の気が引いていくのが手に取るように分かったが、俊太は構わず続けた。

「結婚式専用いうことになれば、玄関、披露宴会場、内装や備品もそれ専用に調えられるやないですか。それこそ、夢の舞台、夢の空間が提供できるようになるわけです。しかも、運営しているのはムーンヒルホテル。料理もサービスもホテルと遜色ないとなれば、リゾートホテルの登場が若い人の余暇の過ごし方を一変させたように、新しい結婚式のあり方を世間に提示できるんと違いますやろか」

「そんな簡単にいくか」

荒木は、話にならないとばかりに首を振る。「第一、披露宴会場を何室も持つ施設なんてものを建てようと思ったら、いったい幾らの投資が必要になると思ってんだ。まして、貸衣装のショールーム、商談施設、そこに常駐させる従業員、給仕はバイトを使うとしても、マネージャーを張り付けておかなければならなくなる。それに君は、料理は各ホテルの調理場で下ごしらえしたものを運び込めっていうが、そんなことをしようものなら、調理場にも大きな負荷がかかる。いまの会社組織、仕事の手順、人員配置、シフトを根底から見直さなければならなくなるんだぞ。それで失敗しようものなら──」

そこから先は、提案をあくまでも否定する荒木と、反論する俊太のいい合いとなって、議論は延々と平行線を辿るばかりとなった。

その間、ひと言も発することなく、ただ無表情でふたりの議論に耳を傾けるばかりであった月岡が、突然口を開いたのはその時だ。

「ふたりがいいたいことは良く分かった」

月岡は荒木に視線を向け、「もう帰っていい」

と命じた。

「はっ──」

椅子の上で姿勢を正した荒木が頭を下げ、立ち上がる。

それに続こうとした俊太に向かって、

「小柴。お前は残れ。話がある」

と有無を言わさぬ口調でいった。

一瞬、怪訝な表情を浮かべた荒木だったが、月岡の命に逆らう人間はいやしない。彼が部屋を辞したところで、

「テン。お前、なんでまた、こんなことを言い出したんだ」

月岡は、唐突に訊ねてきた。

ふたりの議論から、月岡がどんな結論を見出したのか、表情からは窺い知ることはできない。

果たして月岡は、この提案をどう受け止めたのか──。

俊太は覚悟を決めて口を開いた。

「実は──」

きっかけは、部下の浜島から相談された貸衣装の買取にあったことを、俊太は正直に話し、さらに続けた。「それに、結婚式関連の未収入金の発生を抑えよう思うて、見積もりの半金を事前にもらえんもんやろかって荒木さんに相談した時にいわれたんです。そないなことしたら、ムーンヒルホテルの敷居が高くなってまう。それで客が減ったらどないすんねん。それを補っても客が増えるいう対案を出さな、検討に値しない。思いつきだけなら誰でもいえるって──」

「ふ~ん。そういうわけか」

月岡は気のない返事をすると、「それで、お前、本気でこんなビジネスがうまくいくと思ってんのか」

顎を突き出し見下すような視線を俊太に向ける。

「そら、そう思うてるから提案書を出したんです。さっき荒木さんにもいいましたけど、ムーンヒルホテルの結婚式は、すぐに予約が埋もうてまうほどの大盛況やないですか。これから先も、適齢期を迎える人口はぎょうさんおりますし、東京で職に就く若い世代も増えてるんです。かといって、ホテルの宴会場を増やすのは簡単にはいきません。そやったら、ホテルとは別に専用の施設を持つ以外に披露宴の受注件数を増やす方法はないやないですか」

「客が押し寄せても、箱がねえことには受けられねえもんな」

「わしは、素人ですさかい、現場のことはよう分からしませんけど、どう考えてもそない無茶をいうてるとは思えへんのです」

はじめて肯定的な言葉を聞いた俊太は、必死に訴えた。「貸衣装の展示スペースや商談ルームかて、何軒も持つ必要はない。ムーンヒルホテルの看板掲げた婚礼専用の窓口を一箇所に纏めて、都内全てのホテル、式場の業務を一括してこなすようにしてまえば、いまよりも人手もいらんようになりますし、仕事も効率的に運ぶようになるとちゃいますやろか。仕事の効率が上がれば、儲けもその分大きゅうなるわけやし、それなら休みの日しか使われへんでも──」

月岡の顔に変化が現れた。

目元が緩んだかと思うと、次の瞬間月岡は目を細め、にっと笑い、

「そこまでいうなら、お前、やってみろ」

唐突にいった。

「えっ……わしがですか?」

「なに驚いてんだ。端からそのつもりだったんだろ?」

「いや、結婚式を担当しているのは販売企画部やないですか。わしは、この仕事については、素人同然で──」

「じゃあ、なんだって販売企画部を通さず、俺に直接この提案書を持ち込んだんだ?」

「それは、少しでも会社の業績向上に──」

「綺麗事いうな」

月岡は、俊太の言葉を遮ると、「どうせ販売企画部に持ち込んだって、けんもほろろ、相手にされないに決まってる。そう思ったんだろ」

お前の考えはお見通しだとばかりに断じた。

図星を指されて俊太は黙った。

「なあ、テンよ」

月岡は、背もたれに預けていた体を起こした。「会社の業績は絶好調。事業も拡大の一途。かつては見向きもしなかった一流大学の学生が、うちに就職したいと押しかけてくるようにもなった。だがな、それが会社にとって喜ばしいことかといえば、必ずしもそうじゃない」

それってどういうことだ。

以外な言葉に、俊太は黙って耳を傾けた。

月岡は続ける。

「一流大学を出たやつは、失敗や挫折を知らない。だから、社会に出ても失敗を恐れる。当然、就職をするにあたっては、知名度もあれば絶対に傾くことのない会社を選ぶ。そして首尾よく就職できると、今度はいかに仕事で失敗しないか。つまり、前例主義に凝り固まってリスクを取ることを極端に避けるようになる。社員がそんな人間ばかりになったら、会社はどうなるよ」

「役所のようになってまうでしょうなあ」

「その通りだ」

月岡は頷くと、「人事にも何度もいってるんだ。履歴書を首からぶら下げて仕事をするわけじゃなし、学校なんかどこでもいい。人を見ろってな。だがな、人事も失敗したくねえんだよ。賢いやつを採っときゃ、当たりもないが外れもない。だから、同じような人間ばかり採用する。かといって、新入社員をいちいち俺が選ぶわけにもいかねえしな──」

悩ましげにため息をついた。

月岡がいわんとしていることは分からないでもない。

しかし、社員の中にそうした雰囲気が蔓延しているのは、必ずしもそこに原因があるわけではない。最大の要因は社内体制にある。なぜなら、新規事業をはじめる、あるいは仕事のやり方、組織の改変と、新しいことをやろうとしても、すべては月岡の同意なくして一歩も前に進まない。それが、ムーンヒルホテルであるからだ。

「でもね、社長。それは、社長の経営の才が、あまりにも優れているせいでもあると思うんです。新規事業がことごとく成功し、業績も右肩上がりで伸び続けとんのです。社長の指示通りにやっとけば間違いはない。そないな気持ちになって当たり前いうもんとちゃいますやろか。第一、自分で何かやりたい思うてる人間なら、そもそもサラリーマンにはならへんでしょう」

俊太は慎重に言葉を選びながら返した。

「お前だって、サラリーマンじゃないか」

「そら、そうですが、わしは社長に引き上げてもろうた上に、義弟の大学進学も叶えてもろた恩があります。社長いうたやないですか。可愛い女房の弟の恩だ。義兄が返す。つまり、いままでにも増して、ムーンヒルホテルのために、俺のために身を粉にして働けって。そやし、わし、どないしたら恩を返せるかと必死に──」

「あのな、テン──」

月岡はいう。「自分で何かやりたい人間は、そもそもサラリーマンにはならんというが、俺はそうは思わない。自分で事業を起こそうと思えばまず元手が要る。小さいとこからこつこつと。そこから事業をはじめるのも大切なことだ。だがな、会社ってとこにはカネがある。才覚ひとつででかいカネ、それも他人のカネと組織を動かして、大きな事業を手がけられる。そして、育て、花を咲かせることができるんだ。つまりサラリーマンだって、実業家になれるんだ。そこに気がつくかどうか。仕事に夢を持てるかどうかで、サラリーマンの人生は大きく変わるんだぞ」

無意識のうちに背筋が伸びた。

ものは考えようとはよくいったものだ。ひとつの職業、置かれた環境を角度を変えて見れば、これほどまでに変わるのかと思った。そして、月岡が部下に何を求めているのかも──。

「いまの会社に、そこに気がついている人間がいると思うか?」

月岡は続ける。「そりゃあ、俺がやれと命じればやるだろうさ。だがな、何をやるにしても俺の指示待ち、いちいちお伺いを立てなきゃ前に進まねえんじゃろくな結果にならねえこたあ目に見えてんだろが」

「いや、それはその道のプロがやればの話で──」

「プロ?」

月岡は、声を張り上げた。「その道のプロだったら、この案をどうして否定すんだ。結婚式は利益が大きい商売であるこたあ、あいつらが一番よく知ってんだ。だったらできない理由をあげるより、どうやったらできるようになるか、そこに知恵をしぼるのが当たり前ってもんだ。それに──」

「それに?」

先を促す俊太に向かって、

「自ら考える力のない人間に仕事を任せたら、広がりってもんが期待できない」

月岡はこたえた。

「広がりいいますと?」

「俺がこの話に乗り気になったのは、もうひとつ理由がある」

月岡は顔の前に人差し指を突き立てた。「事業が拡大すれば従業員が増えるのは当然なんだが、成長が急過ぎてな。仕事内容が重複している部署が増えているのをなんとかせなならんと考えていたんだ。かといって、ホテルはそれぞれの仕事が自己完結するように運営するのが基本だ。組織を見直し、効率を上げようにも限度ってもんがある」

「つまり、いまのムーンヒルホテルには人員、機能共に余裕がある。それをうまいこと再構築すれば効率が上がる。収益性ももっと向上するいわはるわけですね」

「相変わらず察しがいいやつだ」

月岡は目を細めながら、ニヤリと笑うと、「料理の下準備を一括して最寄りのホテルで済ませれば、調理場の稼働率が上がる。貸衣装のショールームを一箇所にまとめれば、空いたスペースを他に転用できるし、余った人間を他の仕事に回せる。もちろん、それを実現しようと思えば、仕事の手順、勤務体制の変更、組織の改変と、いまの会社のあり方すべてを根底から見直さなければならなくなる大変な大仕事だ」

瞳をぎらつかせながら、俊太を見据えた。

「そないな仕事、わしがやれますやろか」

やりたいという気持ちがこみ上げてくる一方で、自分に命を全うできるだけの力量があるのかと、俊太は不安を覚えた。「結婚式場の運営どころか、会社全体を見直すって、わし、未収入金の回収以外やったことあらへんし……」

「だからいいんだ」

ところが、月岡はあっさりとこたえる。「根底から見直すっていってんだ。なまじいまの組織、仕事に通じてるとどうしても現状に引きずられるもんだからな。俺が期待しているのは最適。つまり、理想的な組織、仕事のあり方なんだ。それをこの事業に乗り出すのを機に、考えてみろっていってんだ。だから、白紙でいい。これだという絵を描いてみせろ」

もはやできるかできないかの話ではない。

やるしかない。

俊太は、覚悟を決めると直立不動の姿勢をとり、

「精一杯やらしてもらいます」

声を張り上げ、深く体を折った。

第五章

「ただいま」

帰宅を告げた俊太の声に、奥から「おかえりなさい」と文枝がこたえると同時に、とことこと玄関に向かって駆け寄って来る小さな足音が聞こえた。

「お父さん、お帰りなさい」

光子である。

四歳になった光子は、可愛らしい盛りだ。

光子は、そのままの勢いで、腰をかがめた俊太の胸に飛び込んで来る。

「ええ子にしとったか?お母ちゃんのいうことをよう聞いとったか?」

俊太は光子の小さな体を抱きしめると、耳元で優しく囁いた。

「お昼を食べて、お散歩行って、お昼寝してからお絵描きしたの。字も習ったよ。ひらがなが五つ書けるようになったよ」

「そうか、字が書けるようになったんか。光子は賢い子やなあ」

「随分今日は早いのね。電話のひとつも入れてくれればよかったのに。夕食の支度がまだ──」

遅れて現れた文枝が、困惑した様子でいった。

無理もない。

俊太が提案した結婚式場事業が月岡に認められてすでに三年が経つ。

婚礼専用の施設を持つとなれば、用地の確保、建物の建設、内装と仕事は多岐にわたる。そこに加えて、ムーンヒルホテルの組織の再構築である。ある日は不動産業、ある日は建設業、資金繰りの計算もあれば、組織マネージメントの仕事もある。仕事の内容は、日々めまぐるしく変わる上に、業務量は膨大だ。

朝一番に会社に出かけ、帰って来るのは終電間際。結婚式場は一年前に完成したが、婚礼が集中する週末は陣頭指揮に当たらなければならない。休日返上で、仕事に没頭してきたのだ。

それが、今日は午後六時の帰宅である。

「たまには、こないな日もあってええやろ」

俊太は光子を床の上に立たせると靴を脱いだ。「光子とも長いこと一緒に晩飯を食うてへんし──」

「だから、あなたの食事はこれから支度をしなきゃ──」

「すぐ支度できるもんでええねん。光子のご飯はもうできとんのやろ?今夜はわしが風呂に入れるさかい、その間に支度しとき」

俊太は光子の頭を撫でると、先に立ってキッチンに向かった。

早い時間の帰宅になったのにはわけがある。

嬉しい知らせがあるのだ。

それもふたつ。

文枝に一刻も早く知らせたい。喜びを分かち合いたい。

その一心で、仕事を切り上げたのだ。

だから、俊太の顔はどうしても緩んでしまう。

「あのな、文枝──」

たまらず俊太は振り向きざまにいった。「わし、社長になんねん」

「社長?社長ってなんのこと?」

文枝は理解できないとばかりに、きょとんとした顔をして問い返す。

「ムーンヒル・ウエディングパレスの社長や」

「えええっ……。それ本当のこと?」

文枝はそれでも信じられないとばかりに、呆然とした面持ちでその場で固まった。

「今日、社長に呼ばれてな。いわれてん。ウエディングパレスをムーンヒルホテルの子会社にする。経営はお前に任せるって」

文枝は、しばし沈黙すると、

「どうしてそれを早くいってくれないの。だったら、飛び切りのお料理を用意して、お祝いしなけりゃならないじゃない」

抗議の言葉を口にしながらも、感極まったように目を潤ませた。

俊太は呵々と笑い声をあげると、

「めでたい知らせは、直接顔を見ながら知らせたいやんか。それに、ウエディングパレスが想像以上にうまいこといったんは、文枝の知恵があってのことやし──」

口元を緩ませながら、二度三度と頷いた。

「私の知恵?」

思い当たる節はないとばかりに問い返してくる文枝だったが、その言葉に嘘はない。

結婚式専用の施設を設け、ブライダル事業に本格的に乗り出す。

もちろん、月岡が決断したからには、方針に異を唱える人間は社内に誰ひとりとしていなかった。しかし、その事業を仕切るのが課長、それも未収入金の回収という後ろ向きの仕事の経験しかない俊太であることが明らかになると、社内には不穏な空気が漂いはじめた。まして、計画が明らかになったと同時に、ブライダル事業部が発足し、俊太は部長になった。課長から部長へ、またしても次長を飛び越して二階級の特進である。

もっとも、用地の確保、建物や内装の選定といった、施設に関する部分は、そもそもの発案者である浜島の親戚が処分したがっていた貸衣装を引き取ることを条件に協力を仰いだ上に、月岡と相談しながらであったから、表立って波風が立ったわけではない。

問題は、組織改革である。

貸衣装のショールームが一箇所に統合されれば、都内だけでも八箇所あったホテル内の同様の施設は不要になる。当然、大がかりな部署の統廃合、配置転換が起きるわけだが、こうなると平静ではいられないのが管理職だ。組織の統合はポストの減少につながるからだ。

計画の概要が明らかになるにつれて、「ムーンヒルホテルで式を挙げることに価値があるのであって、別の施設では客の確保が困難だ」、「ホテルと専用施設、どちらでやっても料金が同じなら、客はホテルを選ぶに決まってる。集客は見込めない」といった、懸念を示す声が役員の間からも出るようになったのだ。

結婚式場の予約は、遅くとも一年前には済ませておくのが通例である。

だから、開業日は絶対厳守。一年以上前から現場をその気にさせないことには、予約の確保はおぼつかないのだが、専用施設に客が集まらぬという事態になれば、管理職者にとっては願ったり叶ったり。まして、予約の確保に手を抜いたところで、「客がその気にならない」といってしまえばいいのだから、そうなる公算は極めて高い。

問題解決の糸口を見出せたのは、文枝がいったひと言がきっかけだった。

「だったら、ムーンヒルホテルより、費用を低く設定すればいいじゃない。だって、そうでしょう?ムーンヒルホテルで式を挙げられる人って、よほどのお金持ちよ。ムーンヒルホテルで式を挙げたくとも、おカネが足りなくて諦めている人たちの方が圧倒的に多いはずよ。料金を安くすれば、お料理の内容は多少落ちるでしょうけど、ムーンヒルホテルのコックさんが作ることに変わりはないんだし、サービスは料金で変わるわけじゃないんだもの。敷居を低くしてあげれば、いまよりももっと幅広い客層をつかめるんじゃないかしら」

まさに目から鱗というやつだ。

結婚式は新郎新婦の一世一代の晴れの舞台であると同時に、見栄の張りどころでもある。そして、人の生涯の中でも見栄を張っても許される、数少ない機会だ。だから当人同士はもちろん、親、時には親戚縁者の伝手をたどって社会的に地位のある人間、名の知られた人間に列席してもらうべく血眼になる。

だが、そんなことが可能なのは、世間でも限られた階層の、いわゆる富裕層だ。まして、結婚年齢にある若者の多くは地方から上京し、そのまま東京で職を求めた人間たちだ。ムーンヒルホテルで式を挙げたくても、先立つものがない。夢のひと言で諦めているカップルも数多くいるだろう。

そこに、ムーンヒルホテルの名を冠した割安の式場ができたらどうなるか──。

俊太の提案に、月岡は唸った。

「なるほどなあ。ホテルはグリーン車、専用施設は普通車ってわけか。全席グリーン車の列車を走らせても、満席になるわけねえもんな。客の懐具合に合わせて、常に満席にする運営をした方が儲けもでかくなるってわけか」

「グリーン車でも、普通車でも、ひかり号はひかり号。在来線に比べりゃ料金は高うなりますが、その分快適な移動ができんのです。専用施設の名前から、ホテルいう部分を消してもうたら、差別化もできる思うんです。まして、値段を安うするからサービスが悪うなるいうわけではありません。むしろ、専用施設だけに、ホテルとは違う雰囲気が演出できますし、料理かて作る量が増えれば、仕入れのコストも下げられます。花かて同じですわ。そこで浮いたコストを料金値引きの原資にすれば──」

そうした経緯があって、名づけられたのがムーンヒル・ウエディングパレスだ。

俊太の目論見は当たった。

建設がはじまると同時に、雑誌や新聞に予約開始の広告を打った途端、問い合わせが殺到した。反響の凄まじさは、マスコミの耳目を集める。それが、さらに結婚を控えた世代の関心に拍車をかけた。

大小、十五の会場は、あっという間に予約で埋まり、開業から一年を経たいまとなっても、その勢いは止まるどころか増す一方だ。

「ホテルを建てるより、投資額は少のうて済む。いまは予約を取るより、断る件数の方が圧倒的に多くてな。それで、婚礼専用の事業を別会社にして拡張していこうっちゅうことになってん」

「どうしてホテルから切り離すの?」

「その方がわしもやりやすいやろいうてな」

俊太は、声を落とした。「社内の反対を押し切ってはじめた事業や。それがものの見事に当たってもうた。まして、中卒のわしが若うして部長に抜擢された挙句にやで。面白う思わん人はぎょうさんおるがな。別会社にしてもうたら、ちゃちゃもはいらへんようになる。思う存分やってみいいうてくれはってな」

「また、ひとつ社長にご恩ができたわね」

文枝も感慨深げにいう。

「そうやな」

俊太は頷いた。「恩を返したと思えば、また新しい恩ができる。いつになったら返せるものやら……」

「やるしかないわね」

文枝は微笑みながら声に力を込める。「事業をどんどん大きくして、グループの柱になる商いに育てあげる。ご恩に報いるには、それしかないじゃない」

「そうやな。それしかないな」

俊太の胸に新たな闘志が湧いてくる。

小さな出城に過ぎなかったものが、領地をもらい立派な城の城主になったのだ。月岡を主君と仰ぐことに変わりはないが、これから先は領地をいかにして治めるか、栄えさせるかは己の手腕ひとつである。

「おめでとう。お祝いのお膳は間に合わないけど、せめて今夜は祝杯をあげなきゃ。呑むでしょ?」

文枝が満面に笑みを湛えながら訊ねてきた。

「ああ。今夜は呑むで」

俊太はこたえると、「そや、もうひとつ今日はええ話があってん」

ふたつ目の朗報を切り出した。

「まだ、あるの?」

「カンちゃんがな、帰ってくんねん」

「麻生さんが帰ってくるの?」

文枝はまだ寛司に会ったことがない。しかし、ドヤで荒んだ暮らしをしていた俊太を引き上げ、いまに至る道筋をつけてくれた恩人であることは十分承知だ。

「社長の先見の明は大したもんやで。日本人が海外旅行をするようになるなんて、正直ほんまかいな思うとったけど、そうなってもうたもんな。しかもハワイは大人気や」

今更ながらに、月岡の才には関心するばかりだ。

昭和三十九年に海外旅行が自由化され、それから八年経ったいま、渡航者数は百万の大台を超えようという勢いだ。

「カンちゃんもええ仕事しはった」

俊太は続けた。「提携先のホテルで働きながら現地の事情をしっかりつかんで、ムーンヒルホテル・ワイキキ開業いう大仕事をやり終えたんやもんなあ。ホテルは日本からの観光客で連日満員や。ほんま大したもんやで。役員になるのも当然や」

「麻生さん、役員になるの?」

「海外事業本部いうのが新設されることになってな。その担当役員。取締役にならはんねん」

大恩ある寛司の出世は、我がこと同様に嬉しくてたまらない。「わしは、社長いうても子会社やけど、カンちゃんは本社の取締役や。しかも海外事業部やで。仕事のスケールが違うわ。ほんま大したもんや」

唸る俊太に向かって、

「じゃあ、麻生さんの役員就任の前祝いもしなくちゃね」

文枝は華やいだ声でいった。

「そやな。そしたらわし、風呂入ってくるわ」

俊太は光子に目をやると、「おとうちゃんと、一緒にお風呂入ろ」

優しくいった。

〈次号は3月21日(火)に更新予定です〉

※本作品はフィクションであり、登場する人物・団体・事件等はすべて架空のものです。