第11回

前回までのあらすじ

ムーンヒルホテルに勤める俊太は、社長の月岡から子会社の経営を任された。そんなある日、幼馴染の寛司が米国から帰任し、久々の再会を果たす。そして、月岡から寛司の専務昇格が言い渡された。同席した俊太は、大恩ある寛司の出世を喜ぶのだが、なぜか、当の本人からは一切の感情が消えてしまった……。

「おう、テン。珍しいな」

背後から寛司に呼び止められたのは、それからふた月ほど後、役員室が並ぶ廊下でのことだ。

「あっ。カンちゃん、久しぶりやな」

俊太はエレベーターホールに通じるドアにかけた手を止め、振り向きざまにいった。「社長に業績の報告に行っててん。いま終わったとこや」

「そうか。で、どうだ、会社は。うまく行ってんのか」

口調こそいつもと変わらないが、寛司の顔はどこか冴えない。

「相変わらず絶好調や。ほら、ジューンブライドいうやんか。これからの四半期は結婚シーズンやし、週末はパレスもウエディングも全部予約で埋まってもうてな、地方への出店も目白押しや」

「そいつあ何よりだ」

寛司は満足そうに頷き、「テン、お前メシは?」

と訊ねてきた。

ちょうど、昼飯時である。

どうやら、寛司もそのつもりで部屋を出てきたらしい。

「これからやけど」

「だったら、一緒にどうだ」

月岡との話は時間が読めない。

だから、午後の予定は空けてある。

「ええよ」

俊太が即座にこたえると、

「じゃあ、一階のレストランに行こう」

寛司は先に立って歩きはじめた。

エレベーターを待つ間も、ロビーを横切りレストランに向かう間も、寛司はひと言も喋らなかった。

なんかあったんやろか──。

そういえば、と俊太は思った。

川霧で専務への昇格を告げられた時、寛司の顔に浮かんだのは、喜びではなかった。困惑でもない。緊張とも違う。表情から一切の感情が消え去った。

どうも様子がおかしい。

果たしてオーダーを告げ終わった途端、寛司はグラスに入った水をひと口飲むと、「はあ~っ」と肩で息をつく。

「なんやカンちゃん。えらい疲れてはるように見えるけど、なんかあったんか。顔色も冴えへんし」

俊太は訊ねた。

「昨日、ロスアンゼルスから帰ってきたばかりでな」

「ロスアンゼルス行ってはったん」

「ハワイにグアム、今度はサイパン。海外旅行客は増加する一方だ。アメリカ本土、果てはヨーロッパへと、日本人が当たり前のように旅行する時代がもうそこまできている。日本語が通じるホテルの需要は絶対に高まるはずだ。一刻も早く整備しろって急かされてんだよ」

「カンちゃんも大変やなあ」

俊太はしみじみとした口調で返すと、「そやけど、うちのグループがますます大きゅうなる前向きの仕事やんか。敗戦処理は辛いもんやけど、こない大きな仕事を任されんのも、社長がカンちゃんの手腕を買うてればこそやで」

一転して声に力を込めた。

「日本人がどんどん海外旅行に出かける。社長の読みは間違ってはいないと俺も思うさ」

ところが言葉とは裏腹に、寛司の顔は曇るばかりだ。「だけどな、いくらうちの業績が絶好調だとはいっても、ぼんぼんホテルを建て続けるとなりゃ、資金だって必要になる。いったい、ホテル一軒建てんのに、どんだけのカネがいると思う? ウエディングのように、貸しビルのワンフロアを借りて家賃払えばいいってもんじゃないんだぞ」

「そら、そうやろな」

「こいつ、他人事のようにいいやがって」

寛司は恨めしそうな目を向けてくると、「建設費ってのは先行投資だ。どんなビジネスにもいえることだが、利益が生まれるのは、先行投資が回収できてからだ。それまでの間、先行投資に費やした資金は、まるまる会社の負担になるんだぞ。国内だけでもどんだけホテルを建てたと思ってんだよ」

「順調に利益は出てんのやろ? そやったら、前向きの資金需要やんか。銀行かて──」

「その銀行が、難色を示してんだよ」

俊太の言葉が終わらぬうちに、寛司はいった。

「貸さへんいうとるん?」

「海外ともなると、さすがに……な」

寛司は語尾を濁した。

「分からんなあ」

俊太は首を捻った。「社長が代を継いでからは、日の出の勢いで事業は拡大しとんのやで。有望な取引先には、頭を下げてでもカネ借りてくださいいうてくんのが銀行とちゃうん」

「そんな単純な話じゃねえんだよ。海外にホテルを建てるとなりゃ、資金は円じゃねえ。ドルだ。日本でホテルを建てるより、コストははるかに高くつく。まして為替相場は毎日動くんだ。円が強くなりゃいいが、弱くなってみろ。百万円が百十万円になることだってあるんだぞ。想定レートが狂えば、その分だけ先行投資の回収期間は長くなるし、追加の資金需要だって発生しかねない。銀行はそれを懸念してるんだ」

なるほどいわれてみればというやつだ。

国内限定の仕事にしか従事したことがないせいで、為替の変動でカネの価値が変わるなんてことは考えもしなかったが、海外事業には大きなリスクが潜んでいることに、俊太はいまさらながらに気がついた。

「そしたら、どないすんねん。銀行が資金を貸さなんだら、海外事業を広げるわけにはいかへんようになってまうやないか」

「社長は賭けに出ようとしている」

寛司は声を押し殺す。

「賭け?」

「俺が、ハワイで働いていたホテルがあっただろ」

「ああ」

「あそこはアメリカでも最大級のホテルでな。そこと資本提携を結んで、合弁会社を作ってアメリカの主要都市に、両方の名前を冠したホテルを作ろうって話が一年ほど前から持ち上がっててな、その交渉が大詰めを迎えてんだ」

「ってことは、資金はアメリカで調達するいうことなん?」

「そうだ」

「なら、ええやん。為替の心配はなくなるし、こっちが用意すんのは、客と従業員やろ。客は、旅行会社と組んでパックに組み込めば──」

「お前はアメリカ人の怖さを知らねえから、そんな呑気なことをいえるんだ」

寛司はまたしても俊太の言葉を遮った。「先方は合弁会社の設立に乗り気なんだが、条件を出してきてな」

「条件? どないな」

「うちの株を持ちたいっていってきたんだよ。それも十パーセントもだぞ」

そういわれても、それが何を意味するかピンとこない。ただ、ついいまし方寛司がいった、「アメリカ人の怖さ」という言葉は、自分にいったのではない。本当は月岡にいいたかったのだと、俊太は思った。

俊太は黙って話に聞き入った。

「まあ、相手のいい分も理解できなくはないんだ。いまやハワイなんてのは、日本人だらけだ。そこにムーンヒルホテルの名前を冠したホテルができりゃ、日本人も安心だ。集客に困ることはない。だからこそ、確固たるパートナーシップを結んでおきたい。なんせ、器を建てる資金は向こうが出すんだからな。当然ちゃ、当然なんだが──」

「大金出して器は用意したが、逃げられたらことやっちゅうことか」

「あいつらは、そんな甘いタマじゃねえよ」

寛司は苦々しげに吐き捨てる。「十パーセントの株を握られたら、月岡家に次ぐ大株主だ。役員だって送り込めるようになるんだぞ。相手の企業規模に比べりゃ、うちなんか屁のようなもんだ。次第によっちゃ、うちが傘下に置かれる。そういう可能性だって十分あり得る話なんだよ、これは」

「社長かて、それは承知なんやろ?」

「もちろんだ」

「それを承知で、やるいわはるんか」

「もちろん社長は、そんなことにならないという確信があればこそなんだが──」

「確信って、どないな?」

寛司は少し戸惑った顔をして、こたえを返さない。

さっとグラスに手を伸ばし、水をひと口飲むと、

「こんな案件を抱えている上に球場だ。しかも飛び切りの難題だ。なんせ社長がいってるのは、誰かに球場建てさせて、市に寄付させろってことだからな」

唐突に話題を変えた。「さすがにな、俺にもキャパってもんがある。これだけでかい案件を、同時にふたつも任されると手が回らなくてな」

「偉うなると楽になる思うてたんやけど、カンちゃんは忙しゅうなるばかりやなあ。アメリカのホテルの件に加えて球場や。そら身がもたんで」

「他人事みたいにいうな。お前だって考えろっていわれたじゃねえか」

「そら、そうやけど……」

俊太は口ごもった。

命じられたのは確かだが、あの時の月岡の態度からすれば、あれは寛司にいったのであって、自分はついでに過ぎないと思っていたからだ。

「カンちゃんに思いつかへんこと、わしが解決できるかいな」

それは紛れもない俊太の本心だった。

寛司は、ふっと笑うと、

「テンよ。社長を甘く見ねえほうがいいぞ」

一転して真顔でいった。

笑みが消えた寛司の瞳に、一瞬だが冷え冷えとする光が宿る。

「えっ?」

「俺たちが買われているのは確かだ。若くして異例の出世を遂げたのが何よりの証拠だ。だがな、地位を与えたからには、それに相応しい働きを求める。社長はそういう人だ」

寛司は、そこで小さな間を置くと、「俺が専務に昇格したと同時に、本社で何が起きたか知ってるか?」

声を潜める。

寛司の声に緊張感がこもるのが分かった。

俊太は首を振った。

「専務の児玉さんは解任だ。それも任期半ばでだぞ」

「それ、馘いうことなん?」

「それでいて、役員の数が増えたってわけじゃない。これが、何を意味するか分かるか?」

今しがたの寛司の言葉からすれば、何をいわんとしているかは明らかだ。

「その、地位に相応しい働きをせなんだからっちゅうわけやねんな」

寛司は頷く。

「野球場の件な、最初に任されたのは児玉さんなんだよ」

「ほんまか」

俊太は、息を飲んだ。

「ところが児玉さんからは一向に策が出ない。それどころか、絶対に実現不可能だといったらしい。それで社長は児玉さんを見切ったんだ」

背筋に戦慄が走った。

児玉とは面識はないが、月岡体制の下で専務を務めてきたからには、相応の実績を残してきた人間には違いなかろう。それを、期待通りの結果が出せぬからといって、いともあっさり切り捨てるとは──。

もはや声も出ない。

愕然とする俊太に向かって、

「社長は信長なんだよ」

寛司は続ける。「鳴かぬなら殺してしまえホトトギスってやつだ。結果を出すやつには手厚く報いるが、失敗は絶対に許さない。まして、役員ともなればなおさらだ。それはテン、お前だって同じなんだぞ。昔以上に、結果を出すことを求められているのに変わりはないんだ」

寛司の言葉に間違いはない。

信長の時代にたとえれば、月岡がお館様なら、寛司は老中、常に側に使え主君を支えるのが務めだ。自分とて出城とはいえ一国一城の主だ。そして、重責を担う立場にある者は、忠誠と同時に成果もまた厳しく問われるのが世の常だ。それに、「社長は信長なんだよ」という寛司の言葉は、いい得て妙だ。すとんと腑に落ちる。

あの専務昇格を告げられた場で、寛司がなぜ、喜びを露わにしなかったのか。なぜ、表情から一切の感情が消え去ったように思えたのか。

その理由が、いま分かった気がした。

長く側で、右腕として使えてきたのだ。月岡の性格を、誰よりも良く知っているのが寛司だ。職掌が上がれば上がるほど責務は重くなる。うまくいけばよし。さもなくば、「殺してしまえホトトギス」。信賞必罰を冷徹なまでに実行する月岡の性格に、いまさらながら恐怖を覚えたのだ。まして、寛司は前任者の児玉が解任された難題を抱え、いまだ策を探しあぐねているとあってはなおさらだ。

急に喉の渇きを覚えた。

俊太は、グラスに手を伸ばすと、

「球場の件は、わしも一生懸命考えてみるわ。一緒に知恵を絞れば、何かええアイデアが浮かんでくるで」

努めて明るい声でいうと、水を一気に飲み干した。

寛司は言葉を返さなかった。

胡乱げな眼差しで上目遣いにちらりと俊太を見ると、すっと視線を外した。

それは、これまでの長い付き合いの中で、はじめて見せた寛司の表情だった。

「球場ちゅうのは、ごつい綺麗なとこなんやなあ」

バックネット裏の席で俊太は、隣に座る浜島に向かっていった。

カクテルライトに照らされた芝の緑が殊の外鮮やかだ。

普段目にする木々の緑とは全く違う。ホテルの庭にある芝の色とも異なる。人工美には違いないのだが、生命感にあふれ、グラウンド全体が清冽な大気で満たされているような感を覚える。

確かに球場そのものは三十年を経ていることもあって、傷みや汚れが目立つが、グラウンドは別だ。柔らかな質感の土で覆われた内野にしても、まるで完成直後の光景を彷彿とさせる美しさだ。

「野球とはよういったもんやで」

俊太は続けた。「野で球を追う。この光景を見ると、言葉の意味がよう分かるわ」

「そりゃあ、客はカネを払ってんですから。それも縁も所縁もない、赤の他人のプレイを見に来るんですよ。贔屓のチームもあれば、一流のプレイを楽しめもしますが、やっぱり夢を売らないことには、興行は成り立ちませんからね。雰囲気作り、舞台演出ってのは大切ですよ。うちのビジネスだって同じじゃないですか。晴れの門出を夢のような雰囲気の中で飾って、一生の思い出にしたい。だから、うちで式を挙げてくださるんじゃないですか」

俊太が社長に就任し、会社が順調に業績を伸ばしはじめたところで、出向扱いでやってきた浜島も、いまや営業部長だ。子会社への出向となれば、クサルものだが、浜島はそんな気配を微塵も見せない。

ウエディング事業は、イメージが大切だ。営業の現場を仕切りながら、広告戦略に余念がない。まして子会社とはいえ、まがりなりにも部長である。地位は人を育てるとはよくいったもので、熱心に仕事に励んでおり、いまでは俊太の右腕だ。

「ほんま、あんたのいう通りやで。野球もウエディング事業も、夢を売ることに変わりはないんやもんなあ」

「お待たせしました。ビール買ってきました」

三つの大ぶりな紙コップを両手に持ちながら現れたのは、今日のチケットを提供してくれた大手広告代理店の木暮猛である。

俊太は野球に興味がない。

文枝も唯一の趣味が読書だし、そもそもが彼女との縁ができたのも本の貸し借りがきっかけだ。それゆえに、読書には俊太も思い入れがある。

野球観戦に出かける気になったのは、あの日寛司が漏らした、「社長を甘く見ねえほうがいいぞ」という言葉がきっかけだ。

自分の身を案じたのではない。「テン。お前もだ」と川霧で月岡が命じてきたのは確かだが、やはりどう考えてもついでであって、寛司に向けられたもののような気がしてならない。

だとすれば、寛司が月岡の期待に応えられなければどうなるか。

本当に月岡は寛司を切るのだろうか。いや、その可能性はないとはいえないのではあるまいかと思えてならなくなったからだ。

なぜならば、功に報いられてきたのはふたりとも同じだが、寛司は月岡が実際に人を切る場を目の当たりにしている。つまり、寛司は月岡の恐ろしさを知っているからだ。

そないなことになったら大変や。

せっかく専務にまでなったカンちゃんが、切られてまうようなことになってもうたら──。

だから俊太は力になりたいと思った。

いまこそ寛司に恩返しをする時だと思った。

そのためには、まずは実際に球場に足を運んでみなければならない。

そこで、浜島に切符の手配を依頼したところ、用意してきたのが木暮である。

「どうもすんませんな。切符を世話してもうろうた上に、ビールまでいただいてもうて」

頭を下げながら紙コップを受け取った俊太に向かって、

「何をおっしゃいますか。日頃大変お世話になってる大切な取引先様じゃないですか。あっ、これつまみです」

木暮は軽い口調でこたえながら、袋に入った竹輪を差し出してきた。

俊太を挟む形で、木暮が椅子に腰を下ろしたところで、

「じゃあ、いただきます」

三人は同時にコップをかざした。

冷えたビールが喉を滑り落ちていく。

夕暮れ時の風が殊の外心地よい。

喉を鳴らしながら三口ばかりビールを飲んだところで、

「美味いなあ。場所が変わると、ビールの味も変わるもんやなあ」

俊太は、ほうっと大きく息を吐くと、芝に覆われたグラウンドに目をやった。

「試合がはじまれば、売り子が回ってきますから。ご遠慮なさらず、どんどんやってください」

いかにも営業マンらしく、木暮は調子のいい言葉を口にすると、「あっ、でも社長。つまみはほどほどにお願いしますよ。中華料理の店を予約してありますので」

ふと思い出したようにいった。

「ええんかいな、そないなことまでしてもろうて」

「嬉しいんですよ」

木暮は顔を綻ばせる。「浜島さんをお誘いしても、そんなことにカネを使うなら、広告料金安くしろっておっしゃって、外でのお付き合いを一度もしたことがないんです。それが、野球のチケットどうにかならないかって、しかも社長がお望みだとおっしゃるじゃないですか。後にも先にもこんなことはじめてですからね」

接待といえば、未収入金の回収にあたっていた頃は、頻繁に行ったものだが、あの業務を離れて以来、することはあっても、されたことはない。

接待は貸しを作るものであって、借りを作るものではない。

それが、未収入金の回収の仕事の中で学んだことのひとつだからだ。

もちろん、部下であった浜島にもいって聞かせたことがあるが、いまに至ってもなお、その教えは彼の中で息づいていると見える。

俊太は頬を緩ませながら、

「わしは、野球にはとんと興味がなくて」

といった。

「そうでしたか」

木暮は俊太の言葉に素早く反応する。「では、今回はどうしてまた?」

プロ野球球団の買収話は、まだ公にはできない。

一瞬言葉に詰まった俊太に向かって、

「それ、私も訊こうと思ってたんです。社長が仕事以外のことに興味を示すなんて珍しいですよね」

と、浜島が訊ねてきた。

余計なことを……と思いながらも、

「あんた、さっきいうてたやないか。野球もウエディングビジネスも夢を売る商売や。野球いうたら国民的スポーツや。どこぞに商売に繋がるネタが転がってんのとちゃうか思うてな」

俊太は返した。

「さすがですなあ。これだけご繁盛なさってても、常に進化を心がける。いや、勉強になります」

そう持ち上げながらも、木暮は瞳に怪しい光を宿す。

勘がいい男らしい。何か別に理由があると感づいたのだ。

選手がグラウンドに飛び出してきたのはその時だ。

守備位置に向かって散っていく選手たちの姿を目で追いながら、

「試合開始やっちゅうのに、客が全然おらへんやん」

俊太はがら空きのスタンドに視線をやった。

「いやあ、カードがカードですからね。ほら、よくいうじゃありませんか、巨人、大鵬、卵焼きって。社長が試合をご指定なさったんで、切符をご用意しましたが、人気ないんですよ、このカードは。幕下同士の対戦みたいなもんですからね」

木暮は苦笑いを浮かべる。

「外野はまだしも、内野かて客の入りは半分いうとこやん。この辺りに至っては──」

俊太はぐるりと周囲を見渡しながらいった。「三分の入りっちゅうとこやん」

「まあ、平日ですからね。試合開始時間はいつもこんなもんですよ。しばらくすれば、それなりに席は埋まると思いますけど」

ところがである。

三回を終わっても、席はさして埋まらない。

なるほど、これでは球団を手放したくなるわけだ。

「木暮さん。さっぱり席が埋まる気配はないけど、プロ野球いうたら見てもろうてなんぼの商売やろ。こないな客の入りでやっていけんの」

俊太は問うた。

「まあ、人気球団相手だと、結構客は入りますし、親会社にはプロ球団を持つメリットは興行収入だけじゃありませんから」

「会社の名前を、テレビや新聞にただで載せてもらういうことか」

「それが一番大きいんですよ。広告費に換算すれば、とんでもない値段になりますから」

「そやけど、選手に高っかい給料払うて、遠征費に二軍の設備、球場使用料かて払わなならんのやろ。木暮さんを前にして、こないなこというのもなんやけど、広告なんちゅうもんは、実際に効果があったかどうかなんて、本当のところは誰にも分からんもんとちゃいますのん」

「こりゃまた手厳しい──」

木暮はおどけた仕草で後頭部に手をやると、「でもね、社長。球団に入る収入は客の入りなんか関係しない部分もあるんです」

一転して真顔でいった。

「どういうことなん?」

「テレビ中継があれば放映料が入りますし、土産店ではチームのペナントや帽子、選手のブロマイドとか、単価は小さくともチリも積もれば何とやら。これもまた、結構な収入になるんです。それに、実際に席が埋まっていなくとも、一定の観戦料は入ってくるようになってますから」

「客が入らへんで、なんでカネになるん?」

「年間シートですよ」

「なんや、そら」

はじめて耳にする言葉に、俊太は問い返した。

「ワンシーズン、ここで行われる試合の分を前売りするんですよ。ほら、この辺りの椅子の背中にシールが貼ってあるじゃないですか。これ、広告と違うんです。全部、席を買い切っている人や企業の名前なんです」

そういわれて周囲の椅子を改めて見ると、木暮のいう通り背凭れの裏側にシールが貼ってある。

木暮は続ける。

「野球好きな人は世にごまんといますからね。企業にとっては、接待に持ってこいなんです。好カードだと、チケットはあっという間に売り切れますから、いざという時には手に入らない。シーズンを通して押さえてしまえば、いつでも席が用意できますし、定期と同じで料金もずっと割安になりますから」

「なるほどなあ、そないな仕組みになっとるんか」

「いい席は、ほとんどそうです。バックネット裏はもちろん、内野席だって前半分は年間シートです」

木暮は、そこで内野席に目をやると、「ほら、後ろ半分の席はそこそこ埋まってますけど、前半分はがら空きでしょう? 後ろは前売りか当日券の客。今日は年間シートを持ってる企業は、あまり使ってないってことですよ」

竹輪を齧る。

「客の入りとカネの入りは違うってことか」

「そうじゃなかったら、球団なんか経営できませんよ」

「しかしそれ、なんかもったいなくないですか」

浜島が口を挟んだ。「正規料金を払ってでも、いい席で試合を見たいって客はたくさんいるでしょうに、そっちの割合を増やせば、収益も上がるじゃないですか」

「いや、それはちょっと違うと思います」

木暮はやんわりと否定する。「熱心なファンは頻繁に球場に足を運びますからね。バックネット裏や内野のいい席は、応分に値段が張るんです。毎試合なんてとても払い切れるもんじゃありません。だから、気軽に来られる外野席を利用するんです。周りが同じチームのファンだらけとなれば、応援にも熱が入ろうってもんですし、それが観戦の楽しみを倍増させる。観るだけじゃなくて、参加するのもプロ野球の楽しみ方のひとつですから」

そういえば、一塁側の外野席のスタンドの客の入りはいい。旗を振り回し、笛を鳴らし、太鼓を叩きと、その場所だけはお祭り騒ぎだ。

「しっかし、こんなチームでも年間シートを買う企業がぎょうさんおんのやねえ」

俊太は、改めて周囲を見渡した。

「そりゃあ、いろいろと付き合いってもんがありますから」

木暮はいう。「プロ球団は十二しかありません。オーナーになる企業は、それこそ名の知れた一流企業ですからね。取引先はごまんとありますし、そこの子会社、孫会社、力にものをいわせて、買ってくれる先を探してこいといわれたら、そりゃあみんな必死で探してきますよ。実際、それも私たちの仕事のひとつなんですから」

「広告代理店ちゅうとこは、そないなことまでしますのん?」

「お客様のご意向を叶えて差し上げるのが広告代理店の仕事です。実際、うちは全球場にシーズン席を持ってますし、年間シートの購入先のお世話もしております。なんせお客様あっての広告代理店です。便利屋稼業も仕事のうちですから」

「それもこれも、プロ球団は木暮さんのところにとっては、大きな商売だからでしょ?」

浜島がにやりと笑った。「中継するテレビ局を探し、枠が見つかれば番組のスポンサー。試合のたびにお膳立てを整え、日本シリーズはビッグイベントだ。会場作りもあるし、球場は看板だらけだけど、それのスポンサーを探してくるのも代理店。そのことごとくで収益をあげられるんだから、年間シートなんて安い出費でしょう」

「いやあ、浜島さんには敵いませんな。まったくその通りで」

呵々と大口を開けて木暮は笑う。

グラウンドでは試合が続いている。

実際に球場に足を運んだはいいが、策は一向に浮かんではこない。

いったい、どないすんねん──。

途方にくれる思いを抱いたその時、乾いた快音が聞こえた。

スタンドが沸く。

視線を転じた俊太の目に、カクテルライトを浴びた白球が、ひときわ白く輝きながら夜空に舞った。

「ちょっと相談があるんだけど」

文枝が改まった口調で切り出したのは、野球観戦に出かけた三日後の夜のことである。

「なんや?」

帰宅したばかりである。

背後に回り、背広を脱ぐのを手伝っていた文枝に、俊太は振り向きざまに訊ねた。

「あのね、『菊村』さんが、今日突然訪ねてきたのね」

社長に就任して以降、収入は格段に上がった。

だからといって、生活の何が変わったというわけではない。

文枝は、相変わらず質素、倹約を常としているし、俊太にしたって物欲はない。それでも自家用車を買い、横浜でひとり暮らしをしている母には十分な仕送りをしと、変わった点もないわけではない。文枝は同居を望んだが、「まだ、ひとりで暮らせるし、友達と離れるのは寂しいから」といって、その申し出を拒んだのは母である。

唯一変わったことといえば、家族揃っての外食である。

文枝は家事を怠らない。毎日何品もの手料理を作って、食卓に並べる。掃除や洗濯もきちんとこなせば、育児にも熱心に取り組む。

一家の生活の糧を稼ぐのは俊太の役目とはいえ、週に二日の休みがある。しかし、文枝には息をつく暇がない。そこで月に一度、外食の日を設け、文枝を夕食の支度から解放すべく、一家でささやかな贅沢をしようと俊太が提案したのだ。

俊太の家の周辺は住宅街で、飲食店はほとんどない。菊村は、そんな中にぽつりと存在する鉄板焼の店で、いまや一家は立派な常連だが、店と客の関係だけで、それ以上でもなければ、それ以下でもない。

「なんでまた?」

俊太は問うた。

「回数券買ってくれないかって」

「なんやそれ。どういうことや」

「十一枚綴りなんだけど、一枚分得になるからって」

「電車やバスならまだしも、飲食店で回数券ちゅうのは聞いたことないな。それに、飲食っちゅう商売は日銭が入るねんで。そら、クレジットカード使う人もおるやろけど、わしらはいつも現金払いやんか」

文枝は顔を曇らせると、

「菊村さん、おカネに困ってるんじゃないかしら」

低い声でいった。「月に一度しか使わないけど、いつも席の半分は空いてるでしょ。いい食材を使っているのは確かだけど、その分値段が張るし、庶民感覚からいったらそう気軽に使えるって店じゃないもの」

「そういわれりゃそうやなあ」

菊村は夫婦ふたりとその子供の三人で経営している店だ。最大の売りは、松阪牛を使ったステーキだが、魚介類にしたって相応にいいものを使っている。文枝への日頃の感謝の印だと思うからこそ利用するが、そうでなければ頻繁に訪れるような店ではない。まして、店の場所が場所である。 

「お肉やお魚、野菜にしたって、仕入れた量が見込み通りに捌けなければ、無駄になっちゃうでしょう? いいもの使ってるから、そうなった時の損も大きくなるわけじゃない。かといって、質を落とせば馴染みのお客さんには、すぐ分かっちゃうし。第一、値段を安くしても、あの場所じゃお客さんを集めるのは簡単な話じゃないもの」

「止めといたほうがええんとちゃうか」

俊太は迷うことなく返した。「回数券いうても、一枚一枚に金額が書いてあるんやろ?」

「そう……」

「そやったら、金券そのものやんか。要は一割の利子を払うさかい、カネ貸してくれいうてんのと同じや。使い切る前に、店が潰れてもうたらただの紙切れになってまうやん」

「それは分かるけど……。でも菊村さんは、いつも良くしてくださるし──」

文枝はなんとかならないのかとばかりに、すがるような目を向ける。「それに、家族で経営してるのよ。行き詰まってしまったら、生活していくことができなくなってしまうじゃない」

気持ちは分かるが、未収入金の回収を長く任されてきた俊太には、菊村が置かれた窮状が、これから先どんな展開を辿るのかが、手に取るように分かった。

いい時期もあれば悪い時期もある。それが人の一生なら、商売もまた同じだ。特に商売の場合、支払いの優先順位というものがある。菊村のような飲食業であれば、食材の仕入れ先がその最たるものだ。ムーンヒルホテルで勘定を溜めた客もまたしかり。事業継続のためのカネは必死でかき集めても、宿泊代や飲食に費やしたカネは後回しにされるのが常であったのだ。

「気持ちは分かるけどな。当座を凌げばなんとかなるいうんやったら、それこそ銀行へ行くわ」

俊太は短く息をつくといった。「菊村はんかて、毎日の勘定を手元に置いとくわけやなし、現金は銀行に預けるはずや。銀行にとってもお得意さんやし、日々の商いの様子はカネの動きで分かるしな。貸しても大丈夫や思えば、回数券なんぞ客に売らんでも融資してくれるで。それも、一割なんちゅう法外な金利を取らずにな。かといって、高利貸しは恐ろしゅうてよう使えへん。バンザイいうことになっても、客の方が何倍もましや。そう考えてんのやで」

「そうか……。それはいえてるわね」

「銀行に行っても、融資は通らん。菊村はんは、それを知っとるんや。つまり、与信がないちゅうことや」

「よしん?」

「借り手の信用ゆうこっちゃ」

俊太はいった。「商売っちゅうのはな、何も全部自分の資金でやるっちゅうもんやない。実際、うちの会社かて銀行から融資を受け、株式市場から資金を集めて、事業資金を作ってんのや。つまり、会社は借金をしながら回ってんのやけど、それでもみんな気前ようカネを出してくれはんのは、会社の将来が有望やと考えているからや。カネを貸しても、踏み倒されることはない。貸したカネにちゃんと色がついて戻ってくる。そう思っているから、喜んでカネを出すんや」 

「うまく行っている時には、黙っていても人は寄ってくるけど、本当に困った時には、誰も助けてくれないってわけね──」

文枝は、悲しそうな顔をする。

「それが世の中っちゅうもんやで」

俊太は頷いた。「わしとこの会社かてそうなんやで。社長が、気前よう資金を出してくれはんのも、これから先も十年、二十年とウエディング事業は伸びていく。そない思うてくれてはるからや。五年やそこらで、終わってまうと思うたら、誰が大金使うて店舗を増やして──」

言葉がそこで止まった。

「みんな気前ようカネを出してくれはんのは、会社の将来が有望やと考えているからや」、「社長が気前よう資金をくれはんのも、これから先も十年、二十年とウエディング事業は伸びていく……」。そこに文枝の「うまく行っている時には、黙っていても人は寄ってくる」という言葉が重なると、俊太の脳裏にそれまでバラバラに点在していた事柄が一気に線で繋がった。

「そうや……それがあるわ……」

俊太は握りしめた拳を一方の掌にぽんと叩きつけると、「やれるかもしれへんわ。できた。策ができたわ!」

文枝の両腕を掴んで、その場で小躍りした。

「できたって……なんのこと?」

目を丸くしながら問いかけてくる文枝の言葉など、もはや耳に入らない。

「そうや、この手があったわ」

俊太は満面に笑みを浮かべながら、きっと寛司も喜んでくれるはずだ。

そう確信した。

「カンちゃん、なんかあったん? 冴えへん顔して。ごつい機嫌悪そうやんか」

寛司の役員室を訪ねたのは、それから一週間後のことである。

一刻も早く寛司に策の是非を問いたかったが、実現可能性の裏付けが得られぬうちに持ちかけるのは、思いつきの域を出ない。

この間に木暮を呼び出し、現状を聞き、真の目的を悟られないよう、話を繕いながら策の精度を高めたのだ。

「例の合弁会社の件が決まってな」

寛司は重い声でいう。「来月には、向こうからお偉いさんが来日して、契約を交わす。これで、一気に海外の系列店が増えるわけだが、今回ばかりはどうもな……」

「社長のことや。十分考えた上でのことやで。心配いらへんって」

一刻も早く、球場の件を話したい。

話をまとめにかかった俊太だったが、

「急ぎ過ぎてる気がすんだよ」

寛司はさらに懸念を口にする。「国内だって尋常じゃないスピードでホテルが増え続けている。レストラン事業だって同じだし、それに加えてお前が手がけているウエディング事業だ。スキー場やゴルフ場、テニスコート。確かに、ビジネスモデルは確立されてるし、収益もしっかり上がっている。だが、それに比例して借入金も増える一方だし、従業員だって右肩上がりに増加する一方だ」

「ええ話やんか。上げ潮に乗ってんのや。行ける時に勝負かけんのは、商売の鉄則やないか」

「上げ潮ねえ……」

寛司は口の端を歪めると、じろりと俊太に視線を向けた。「そりゃあ、潮が常に上がってりゃいいさ。だがな、上げ潮の後には必ず引き潮がくるってのが世の習いだ。上げ潮が大きけりゃ、引き潮の勢いもその分だけ大きくなる。ほら、よくいうだろ。好事魔多しって。人の一生だって、会社だっていい時ばかりじゃねえんだぞ」

「カンちゃん」

寛司のいわんとすることは分からなくはないが、少々悲観的に過ぎる。「人の一生はそうかも知れへんけど、会社は組織や。大勢の人間が集まって、知恵を絞りおうてんのやで。そら、大きな引き潮に出くわすこともあるやろけど、三人寄れば文殊の知恵いうやんか。そうやって、ひと波、ひと波を乗り越えていくのんが会社いうもんと違うん」

「普通の会社ならな」

寛司は冷ややかな声でこたえる。「聞く耳は持つが、万事において決断を下すのは社長。そして、一旦社長が決めたことは絶対に覆らない。それがうちの会社だ」

「それで、ずっと間違いなくやってきたんやん。聞く耳を持たずっていうならまだしも、話を聞いた上で決断してはんねん。心配しすぎやって」

「お前はいいなあ」

寛司は眉尻をハの字に開き、俊太の顔をまじまじと見つめた。「今回の件で、俺が心配してるのは、株の持ち合いだけじゃねえんだ。お互いの社風も、社長の性格も、似すぎてるってのが一番の気がかりなんだよ」

「それ、どういうことなん?」

「アメリカの会社ってのはな、トップダウン。上が決めたことは絶対で、下は従うしかねえんだよ。それに先方は、創業家が経営してる会社でな、社長はそこの三代目。絶対権力者な上に野心家だ。そんな似た者同士が一緒に事業をやって、うまいこと行くと思うか?」

そういわれると、不安を覚えないではない。

「そのこと社長にいうたん?」

そう問うた俊太に向かって、

「馬鹿いえ」

寛司は首を振った。「トップ同士の相性は大事なことには違いないが、それじゃ社長の性格を理由に止めといた方がいいっていってることになんじゃねえか。そんなこといえるかよ」 

「まあ、その件は決まったこっちゃ。心配したってどないにもならへんやん」

そろそろ本題を切り出す頃合いだ。「そしたら、残る問題はひとつ。球場の件やな」

「それなんだよなあ」

寛司は深い息を吐くと、「いろいろな人にも相談したし、考えを巡らしているんだが、これだっていうアイデアが浮かばなくてなあ」

テーブルの一点を見つめ肩を落とした。

「カンちゃん。わし、今日はその話をしにきてん」

寛司は、顔を動かすことなく上目遣いで見たが、反応はそれだけだ。「カンちゃんの大ピンチや。そやし、わしもいろいろ考えてみてん。もし、わしの睨んだ通りなら、会社のカネを使うことなく、球場が建てられる思うねん」

寛司の表情に変化はない。

ひと言も返すことなく、無言を貫く。

こんな、寛司の反応ははじめて目にするが、俊太にしても、菊村の件がなければ思いつかなかったアイデアである。

そんなうまい話があるものか。ちゃんと裏付けは取ったのか。

寛司はきっとそう考えているに違いない。

「あのな、ただの思いつきやないんやで。わしとこに出入りしてる、広告代理店の人間に、それとなく話したらな、やれるいう返事をもろうてん」

寛司の目の表情に変化が現れた。

明らかに肯定的なものではない。胡乱なものを見るような眼差しである。

「そいつあよかったじゃねえか」

寛司はようやく口を開いた。「で、なんでその策ってやつを俺に話そうってんだ」

その口調の冷たさに、俊太は心臓がひとつ大きな鼓動を刻むのを覚えながら、

「えっ?」

と短く漏らした。

「お前も考えろっていわれたんだ。これぞというアイデアがあるのなら、直接社長にいったらいいじゃねえか」

「わしは、ついでやで。たまたま、あの場にいたさかい、社長、わしにも考えいうたんやがな」

寛司がなぜ、こんな反応を示すのか、皆目見当がつかない。

俊太は慌てて続けた。

「アメリカのホテルとの合弁会社の件だけでも大変やのに、会社のカネを使わんで球場建てる策を考えろなんちゅう難しい仕事を任されたんや。なんぼカンちゃんかて大変やろう思うたし、実際、この間いうとったやん。社長は結果を求める人や。鳴かぬなら殺してしまえホトトギス。社長は信長や。実際、児玉はんかて、策が浮かばんで解任されてもうたんやろ? わし、カンちゃんがそないなことになったら、大変や思うて──」

「つまり、俺に花を持たせようってわけか?」

寛司はますます声を硬くし、ついには眉間に皺を刻む。

「花を持たせるやなんて……」

いったいどういうわけだ。

「そ、そんなつもりはないで」

俊太は慌てて返した。「いまのわしがあるのは、何もかもカンちゃんのおかげや。なんぼ感謝してもし切れんほど感謝もしとるし、どないしても返せんほどの恩も感じとんねん。その恩を少しでも返せたら思うて──」

「気持ちはありがたいが」

寛司は俊太の言葉を途中で遮ると、「お前がどんな策を思いついたかは分からんが、そりゃ聞くまでもねえ。駄目だな」

口の端を歪ませながら断言する。

「駄目って……話し聞かんでなんで分かんねん」

「前提が間違ってる」

「前提?」

寛司は首を振りながら足を組むと、

「お前、会社のカネを使わんで球場建てる策を思いついたっていったよな」

念を押すように訊ねてきた。

「そや」

「社長、あの時なんていった? 市長は球場使用料を財源にしたいって目論んでるっていったよな。ってことはだ、球場を市の持ち物にしなきゃならねえってこっちゃねえか。誰がカネを出すにせよ、莫大な建設費を負担して、市にくれてやるお大尽が世の中のどこにいんだよ」

「そやけどカンちゃん。社長はこうもいうたやんか」

にべもない寛司の反応に戸惑いながらも、俊太は反論に出た。「市にはカネがないって。そやったら、市がカネを使わへんで市民球場が持てる仕組みを考えたら、ええんとちゃうん」

「ひょっとしてお前、建設費相当分のカネを集めて、一定期間、球場使用料をチャラにしてもらおうって考えてんじゃねえのか」

図星である。

「まあ……そういうことやけど……」

「そんなんで済むなら、頭を悩ませるかよ、方法はいくらでもあるわ」

寛司はふんと鼻を鳴らした。「ただカネを作れっていうなら話は簡単なんだ。問題は、球場使用料をどうやって開場直後から、市に齎すことができるかってことなんだよ」

そこを突かれると返す言葉がない。

俊太は視線を落として俯いた。

「社長はな、常に満点を要求する人だ。八十点、いや九十点でも駄目なんだ。できなけりゃ、できるやつを連れてくるだけだ」

寛司は厳しい口調でいうと、「まあ、お前の気持ちは嬉しいが、この事案は俺自身が解決してみせなきゃならないことだ。余計なことは考えずに、お前は自分の仕事に集中しろ」

幾分声を和らげながら席を立った。

〈次号は5月22日(月)に更新予定です〉

※本作品はフィクションであり、登場する人物・団体・事件等はすべて架空のものです。