第14回

前回までのあらすじ

ムーンヒルホテルグループに勤める俊太は、社長の月岡も専務の寛司もお手上げだった問題を解決し、本社の取締役に抜擢された。目をかけてきた幼馴染の出世に嫉妬した寛司は、起死回生の一発として、ビジネスホテルの設立を月岡に提案する。しかし、そのプランは、既に俊太が実現に向け動き出していた。打ちひしがれた寛司は、あることを企てるが…!?

プレ開業イベントは盛大なものだった。

ロスアンゼルス・ハミルトン・ムーンヒルホテル二階の宴会場は、純白のクロスがかけられた丸テーブルで埋まり、タキシードやドレスに身を包んだ名士が顔を揃えた。

日本人は、領事や日系企業の役員が主だが、アメリカ側からは地元選出の上下両院議員、市長、市議会議員、富裕層に加えて、映画の都と称されるだけあって、ハリウッドの俳優、女優たちが宴に華を添えた。

それもハミルトンホテルというアメリカ屈指の大ホテルチェーンの力の賜物だが、その会長、社長と並んで主役を務めた月岡の高揚感といったらない。

宴が終わり、最上階のスイートルームに場を移したいまもなお、月岡の興奮は収まるどころか、高まる一方だ。

部屋の中には月岡と寛司の他に、ふたりの男がいた。

ハミルトンホテル会長のデビット・ハミルトン、社長のロバート・ハミルトンである。

「記念すべき日です。改めて男だけで呑みませんか」

ウインクをしながら月岡に持ちかけたのは、ロバートだ。

こうしたパーティの場には夫人同伴というのがアメリカの常識なら、二次会という習慣もない。仮にそうした場を設けることになったとしても、夫人が席を外すことはあり得ない。

しかし、さすがの月岡もアメリカの習慣には疎い上に、本土進出を果たした夜だ。まして錚々たる顔ぶれを集めてのパーティが大盛況のうちに終わったところでの申し出である。

月岡がふたつ返事で快諾したことはいうまでもない。

「ムーンヒルホテルの営業力は想像以上ですね」

ロバートはシャンペンで満たされたグラスを傾けた。「四カ月先まで全館ほぼ満室。その六割が日本人観光客です。ツアー客をいかにして押さえるかが、ホテル事業にいかに大切か、改めて思い知りました」

巷間、裕福な家に生まれたことを『銀の匙をくわえて生まれてきた』と称するが、アメリカには言葉通りの環境で育った人間が確かに存在し、その豊かさは日本人の想像を絶する。

ロバートはまさにその典型ともいえる人物で、生まれながらにしてハミルトンホテルグループを率いることを約束された人間だ。

小学校から寄宿舎制のプレップスクールで学び、大学は東部の名門プリンストン。もっともアメリカの私立は、試験の成績だけで決まるものではなく、学校内外の課外活動実績や受賞歴、果ては志願者の家庭の学校への貢献度といった様々な視点から合否が決まる。日本人の感覚からすればかなり不透明なものではある。が、いずれにしても名門校に集うのは、将来アメリカを率いていくと目された人材であることは間違いない。それだけにプライドは高く、選ばれた人間特有の雰囲気を持つ。

ロバートもまたその例外ではなく、如才のない振る舞いといい、洗練された会話といい、いかにもアメリカのエスタブリッシュメントそのものだ。

「日本人は英語に限らず、外国語が苦手でしてね。そのくせ海外への憧れは人一倍強いんですよ。その点ツアーなら添乗員がいれば、観光名所や名物料理だってちゃんと組み込まれてあるし、移動手段だって用意されている。それこそ鞄ひとつ、身ひとつで海外旅行を楽しめるわけです。だから旅行社をしっかり押さえれば、客集めには苦労しないんです。もっとも、団体旅行が盛んなのは海外だけじゃありません。国内も同じですがね」

月岡は自信満々にこたえると、シャンペンを美味そうに呑む。

大方の日本人の例に漏れず、月岡はあまり英語が得手ではない。簡単な会話程度をこなすのがやっとで、少し込み入った話になると、通訳を必要とする。

寛司の訳を聞いたロバートは、

「では、ムーンヒルホテルが日本国内に多くのホテルを建て、ことごとく成功させてこられたのも、その日本人の団体旅行好きがあってのこととおっしゃるわけですか?」

興味深げに訊ねてきた。

「ええ……」

「ちょっと意外ですね。どこの町にどんな名所があるのか、珍しい食べ物があるのか、それを自分で調べプランを立てる。胸も踊れば、夢も膨らむ。旅行の楽しみは、計画の段階からはじまっているものじゃありませんか。それに、名所、旧跡を訪ねるのは学習という側面もあるわけです。勤勉な日本人が旅行会社の立てたプランを好むとは不思議な気がしますが?」

「確かに日本人は勤勉ではありますが、話題を共有するのを好むんです。それは、旅行に限った話ではありませんでね。服やバッグにしても評判になれば、我も我もと同じブランド品を身につける。ムーンヒルホテルだって同じですよ。うちのホテルを利用することが流行りになれば、皆右へ倣え。我も我もと押しかける。それが、一種のステータスであり、共通の話題を持つことにつながる。そこにお客様は満足を見出すんですよ」

「分不相応な出費も厭わないと?」

「まあ、そこがアメリカと大きく違うところでしょうね」

月岡は薄く笑った。「要は日本人は見栄っ張りなんですよ。人が持っているものは自分も持たなければならない。体験も同じなんです。だから、こと日本ではいかにしてブランドを確立するかが全てのビジネスにおいては重要になるんです」

「なるほどねえ」

ロバートは感心したように唸ると、「それじゃあ、今回おはじめになるビジネスホテルの成功は約束されたも同然ですね」

探るような目で月岡を見ながら、グラスを傾けた。

「どこからその話を?」

月岡は少し驚いた様子で訊ねると、寛司の顔をちらりと見た。

「パートナーの動向には常に気を配っていますから」

すかさずロバートは当然のようにこたえたが、もちろん計画を耳に入れたのは寛司だ。

もっとも、ビジネスホテル事業への進出は、既に公式に発表されていることだから、ロバートのこたえは十分納得のいくもののはずである。

「我々の動きを?」

月岡の顔から笑みが消えた。

「当然でしょう」

その一方で相変わらずロバートは目元を緩ませたまま、こくりと頷く。「日本製品がこれだけ世界を席巻しているというのに、日本企業に関する情報をアメリカのメディアはほとんど報じません。報じたとしても、自動車か半導体程度、それも扱いは極めて小さい。まして、ホテル業界の動きに関してはゼロです。となれば、独自の手段でニュースを集めるしかないじゃないですか」

「さすがですな」

月岡は眉を上げると、「で、そうまでして日本のホテル業界の動向を把握しようとする理由はなんです? 単にパートナーの動きを把握するためだけではないように思いますが?」

警戒するような光を目に宿した。

「ツキオカさん。正直にいいます」

ロバートはグラスをテーブルの上に置くと、改まった口調で切り出した。「我々の関心事は、日本人観光客だけではありません。日本人ビジネスマンにどうしたらハミルトンホテルを使ってもらえるか。そこにもあるんです」

月岡は黙って話に聞き入っている。

ロバートは続ける。

「日本の情報収集は、いまにはじまったことではありません。日本企業の海外進出が顕著になるにつれ、日米間の航空便は増加の一途を辿っていますよね。もちろん観光客が増加していることもありますが、かつては直行便のなかった都市にも路線の開設が相次いでいる。こうした路線の利用者はほとんどがビジネスマン。つまり、必ずホテルを必要とする人間が増加しているということになるわけです」

「我々が、ムーンヒルホテルとパートナーシップを結んだのは、それが狙いのひとつでしてね」

デビットがはじめて口を開いた。「もちろん、日本にセールスオフィスを設けることも考えましたよ。ですがね、問題は人材なんです。日本でセールスを行うためには、日本語が話せることが大前提だし、業界のことにも通じていなければなりません。アメリカのオフィスとのコミュニケーションも必須ですから、英語もできなければならない。セールスマンとしては、いささかオーバースペックだし、第一、それだけの能力を持っていれば、もっといい仕事はいくらでも見つかるでしょう」

確かデビットは七十歳を超えているはずだ。

好々爺然としてはいるが、豊かな銀髪に、ピンク色の肌、ブルーの瞳。タキシードを着た長身痩躯の体からは、ロバートがまだ身につけてはいない威厳が漂ってくる。

「我が社も日本人を雇ったことはありますがね」

ロバートが言葉を継いだ。「ところがアメリカで長く暮らした日本人は、よくも悪くもアメリカ人になってしまうんです。やたら権利を主張するし、自分の職務以外のことは一切やらないといったように、アメリカの流儀ってやつを身につけてしまう。そんな人間に日本での仕事を任せれば、高い報酬に加えて、アメリカ並みの住居、その他諸々、法外な条件を要求するに決まっているし、旅行会社との交渉だってうまくいくわけがない」

「日本は日本人に、それもうちに任せてしまえば、ハミルトンホテルは一銭のカネもマンパワーも使うことなく客を集められる。だから、国内で圧倒的な人気を持つうちに目をつけたというわけですか」

意外なことに、月岡の口調からは不愉快さは感じられない。

むしろ、肯定的に捉えているようですらある。

「まあ、私がハミルトンの立場なら、同じことを考えたでしょうね。嫌いじゃありませんよ、そういう発想は」

果たして、月岡はにやりと笑い、シャンペンを口に含んだ。

「予約状況からして、日本人観光客にムーンヒルの名前が絶大な効果を発揮することが明らかになった以上、我々としてはこの合弁事業をハミルトンの最優先事業と位置づけ、拡大していく意向を固めました」

ロバートの申し出に、

「異存はありません。客を集めろというなら、いくらでも集めてごらんにいれますよ」

月岡は頬を緩ませ、口元から白い歯を覗かせた。

「同時にビジネスマンの集客もね──」

デビットは顔の前に人差し指を突き立て念を押す。「ハミルトンはレジデンス・イン、コートヤードとホテル以下、モーテル以上の宿泊施設を経営しています。日本人ビジネスマンにはきっと満足していただけるかと──」

「そちらの方も任せてください」

合弁事業の拡大がよほど嬉しかったとみえて、月岡は自信満々の態で胸を張る。「今回我々が手がけるビジネスホテルのメインターゲットは、中間管理職以下のビジネスマンです。このクラスには国の内外を問わず、宿泊費の上限がありますから、一流ホテルは使えません。そして頻繁に海外出張に出かけるのもこのクラス。我々の提携先として紹介すれば、集客には苦労しませんよ」

「いや、頼もしいお言葉ですな」

デビットは、満足そうに頷きながら顔を輝かせ、「ところで、その新たにはじめるビジネスホテルですが、一号店はどちらに?」

と訊ねてきた。

「もちろん東京です。万事において東京は日本の中心、最大の市場ですから」

「東京に一軒だけ?」

「いいえ」

月岡は首を振った。「埼玉、千葉、神奈川の三県は事実上行政区が違うだけで、東京の経済圏です。都内だけでも、東京、新宿、池袋、それ以外にもビジネスホテルの需要は確実に見込める。まず手はじめとして、その都内三地域に開業する計画です」

「なるほど」

デビットは静かに頷きながら、「となると、結構な資金需要が発生するわけですが、どうなさるおつもりで?」

と訊ねた。

「銀行からの融資で賄おうと考えております」

「銀行からねえ……」

デビットはふむと考え込む。

「それが何か?」

「急成長を続けているとはいえ、ムーンヒルホテルは借入金が多すぎるように思いますが」

「えっ?」

「驚くことはないでしょう。ムーンヒルホテルは上場企業。決算書は公開されているんです。ましてパートナーですからね。経営状況の把握に努めるのは当然ですよ。あなただって私たちの決算書はご覧になっているんでしょう?」

「それは、まあ──」

「あなたが社長に就任して以来、ムーンヒルホテルの事業は拡大する一方だ。経営の多角化も進み、そのいずれもが順調に業績を伸ばしてはいます。しかし、その一方で、銀行からの借入金も増加し続けていますよね」

「事業拡大のためには資金が必要です。それも前向きな資金需要なんですから、問題はないでしょう」

「前向きな資金需要ね……」

デビットは月岡の言葉を繰り返すと、口の端に明らかに皮肉の籠った笑みを浮かべた。「確かにその通りではありますが、これじゃ誰のために事業をやっているのか分からないようにも思えますが」

「どういうことです?」

「ムーンヒルホテルが成長することによって、誰が一番恩恵を得ているのかってことですよ」

なるほど、そう来たか。

さすがはハミルトンホテルの総帥、海千山千のビジネスマンだ。

タイミングといい、話の持っていき方といい、絶妙極まりない。

この先に罠が待っているとは、さすがの月岡も気づくまい。

寛司は内心でほくそ笑みながら、デビットの言葉を訳した。

デビットは続ける。

「事業の拡大とともに売り上げは伸びているのに、最終利益は横ばい。つまり、増加した利益はそのまま銀行金利の支払いに回っているわけでしょう?」

「それのどこが問題なんです?」

月岡は平然といってのけると、反論に出た。「ビジネスはある意味農業、それも開墾者の農業そのものだと私は考えています。市場という畑を開き、種を蒔き、作物を育てた先に収穫の時がある。種が資金なら、開墾すれば畑はどんどん広がっていくんですから、種の量が増えるのは当たり前じゃありませんか」

「じゃあ、その収穫の時はいつ来ると考えているんですか? あなたの経営戦略から推測するに、事業拡大の意欲は今後も止むことがないように思えます。つまり、その種ってやつを買うカネがますます必要になる一方ってことにはなりませんかね。確かに、あなたは立派に作物を育ててはいる。ですがね、この種の購入代金には金利というものが発生するんです。そこが農業とは根本的に異なる点です。借りたカネは減らないどころか、どんどん増える。事業拡張で上がった利益は、あなたの手元を素通りして、銀行に流れる。誰のために事業をやっているのか分からないってのは、そのことをいってるんです」

「急成長の過程にある企業の宿命ですよ。第一、資金が欲しくとも調達先に苦労する。それが当たり前なんです。銀行が融資に応ずるのは我々の事業が、ことごとく有望であるからで──」

「そりゃ、そうでしょう」

デビットは、体を揺すって苦笑する。「元本が減らないどころか、ますます増える。利子をきっちり払ってくれるとなれば、銀行にとっては理想的なお客さんですからね」

理がデビットにあるのは明らかだ。

さすがの月岡も苦々しい顔をして押し黙る。

「私は日本の株主が不思議でしょうがないんですよ」

デビットはいう。「アメリカの株主というのは強欲なものでしてね。株価は経営者の通信簿だ。投資したカネが、どれほど大きくなって返ってくるか、みんなそれを期待して株を購入するわけです。ですがね、株価が上がるだけで満足するかといえば決してそんなことはない。配当も要求するんです。ところが日本の株主は、そうではないようだ。もっぱら関心は株価にある」

「それは、小さな配当を得るよりも、その分を業績の拡大のために回したほうが、より大きなリターンを得られる。日本の株主はそう考えているからですよ。そちらの方が利口な考え方だし、実際、あなた方が持つムーンヒルホテルの株の価値は、購入以来、十五パーセントもの含み益をもたらした」

「しかし、それもここ最近は頭を打っているじゃありませんか」

デビットは、再び人差し指を顔の前に突き立てた。「その原因は、株価が上がりすぎて、一般投資家が手を出そうにも手が出せない。株の流動性が鈍っているからです」

「かといって、ムーンヒルホテルの成長に翳りは見えない。事業自体も問題なく推移している。だから株主は、所有株を手放さない」

ロバートがすかさず言葉を継ぐ。「銀行だって融資を行うからには、担保を取ります。ムーンヒルホテルは、融資を受ける際に自社株を担保にしているわけですよね」

「ええ……」

「となればですよ、株価が上がれば担保の価値は上がるわけですから、借入金も減れば、金利もそれに応じて減るわけです。おそらく、このメカニズムを利用して、ムーンヒルホテルは銀行融資に頼って事業を拡大してきたのでしょうが、肝心の株価が伸び悩む一方で資金需要が増すとあっては、金利負担が重くのしかかってくるじゃありませんか」

これも、寛司が与えた情報があればこそだ。

ムーンヒルホテルの洋々たる前途は認めた上で、弱点を指摘する。それも、ハミルトン親子という、同業者の中でも遙か格上の経営者から疑念を呈されれば、月岡といえども聞く耳を持たざるを得ない。

「これは、経営者の立場から申し上げるのですが、この状況は早急に解決すべきだと思いますし、解決できる問題ですよ」

デビットはいよいよ切り出した。

「どうやって?」

「方法はあります。まず第三者割り当て増資──」

ロバートがいった。

第三者割り当て増資とは、資金調達の方法のひとつで、特定の第三者に対して募集株式を割り当てることを意味する。つまり、新たな株を発行するに際して、あらかじめ引き受けに応じた相手から資金を調達する方法である。株の現物と引き換えに資金を調達するのだから当然無利子。引き受ける側も、取得した株価がその後上昇した分だけ含み益となる、双方にとってメリットのある手法だ。

「いや……それは──」

まさか、話がこんな展開になるとは考えもしなかったのだろう。

月岡は、困惑した表情で否定しにかかったが、

「もし、おやりになるなら、我々が引き受けてもいいですよ」

デビットが代わっていった。

「ハミルトンホテルが?」

さすがに、この席を設けた狙いに気がついたのだろう。

月岡の目から酔いが吹き飛び、目が鋭くなった。

「私どもは、それだけこの事業を高く買ってるんです。ツキオカさんの経営手腕もね」

デビットはぐいと身を乗り出した。「合弁事業をはじめるにあたって、我々はムーンヒルホテルの十パーセントの株を取得しました。その後のプロ野球球団の買収効果で、ムーンヒルホテルの株価は高騰。我々は、実に十五パーセント以上の含み益を労せずして手に入れることができたんです。これほど高いリターンをもたらす投資はそう滅多に出くわすものではありません。そして、今度はビジネスホテルだ。この事業は、絶対に成功する。我々はそう確信してるんです。本来株価はますます高くなって当然なんです。ならば、もっと株を持ちたい。そう考えるのが当然ってもんじゃないですか」

「こりゃまた、なんとも正直な──」

月岡は苦笑を浮かべる。

しかし目は笑ってはいない。

「ツキオカさんは、我々の持ち株比率が高まることを懸念なさってるんでしょう?」

「ハミルトンの持ち株はすでに十パーセント、立派な大株主ですからね。合弁事業はともかく、こういっちゃ失礼ですが、日本市場で外資系の企業が成功しないのは、日本の商習慣や流儀を知らない、はっきりいえば勉強不足が最大の原因です。あれこれ口を挟まれたのでは、うまくいくものもうまくいかなくなりますからね」

通訳するのも憚られるようなこたえだが、筋書きはできている。

寛司はそのままを訳して聞かせた。

「ビジネスホテル三棟を建てるのに必要な資金は?」

月岡は金額を即座にこたえた。

「だったらご心配にはおよばないんじゃありませんか」

デビットはいう。「我々はムーンヒルホテルの株価を時価で引き受けます。それが発行済み株式の時価総額の何パーセントになるかを考えてみてください。全てを引き受けたって、三パーセントにも満たないじゃありませんか」

月岡の表情が変わった。

ふむといった顔をして考え込む。

「取得済み株式を合わせても、我々が持つ株は、全体の十三パーセントにも満たない。あなた個人の持ち株の半分にも及ばない比率ですよ。それに加えて、銀行や社員持ち株会と安定株主の持ち株を合わせれば五十パーセントを超える。我々がどうあがいたって経営に口を挟むことなどできないじゃありませんか」

月岡はしばしの沈黙の後、残っていたシャンペンを一気に飲み干すと、

「魅力的な申し出ですが……話がうますぎやしませんか」

グラスをテーブルの上に置き、ソファーの背もたれに体を預けた。

そして、じっとふたりの顔を交互に見つめると、

「狙いはなんです?」

ニヤリと笑った。

「純粋な投資ですよ」

デビットはいった。「この市場は、とてつもなく大きいですからね。しかも建設コスト、オペレーションコストは、ホテルに比べれば格段に低く抑えられる。もちろん料金もそれなりに安くはなりますが、市場規模は段違いに大きい。一流ホテルがセカンドブランドを掲げてビジネスホテルの経営に乗り出すのははじめての日本で、ムーンヒルホテルがこの事業に乗り出せば、成功は間違い無し。そして、高値で止まった株価を上げるために株式の分割を行う」

「二分割すれば、株価は半分になる」

ロバートがすかさず言葉を継ぐ。「当然、値が下がった株には買い手が殺到します。ビジネスホテル事業が順調に拡大していけば、株価はどんどん上昇し続ける。となれば再度、再々度の分割だって見込めるわけです。我々からしたら、まさに濡れ手で粟。二パーセントでも持ち株を増やしたいと考えるのは当然でしょう」

値が高くなりすぎた株は、資金力に限りがある一般投資家には手が出せない。

そこで行われるのが株式の分割だ。一株を二分割すれば、株価は半分。三分割すれば、三分の一に下がる。逆に既存株主の保有株数は、二分割なら二倍、三分割なら三倍に増えるのだから、価値が毀損されることはない。いや、それどころか、一般投資家の手が届く価格まで株価が下がるのだから、株価は黙っていても上昇して当たり前なのだ。

当然、企業にとっても市場からの資金調達がより簡単、かつ効率良くできるようになるわけで、双方にとってメリットしかないのだが、分割が可能なのも、市場が将来性十分と認める優良企業であればこそだ。

「株の分割ねえ──」

月岡は呆れたように目を見開きながら首を振ると、「まるで、こちらの動きを察しているかのようなタイミングですね」

横目でちらりと寛司に鋭い視線を向けた。

「いや、私は何も……」

ぎくりとした。

一瞬、こちらの筋書きを読まれたかと思った。

「動きを察しているかのようなタイミング?」

すかさずロバートがしれっとした顔で訊ね返す。

「うちの株価は上がりすぎている。分割を検討すべきだという声が社内からも出ていたところでしてね」

「でしたら、なおさら第三者割り当てを引き受けさせてください。分割を行えば、株価は物凄い勢いで高騰するのは目に見えているんです。売りに出るのは、利益確定の一般投資家のもの。僅かな流動株を巡っての争奪戦になるんです。そして、安定株主は絶対に手放さない。どう考えたって、ツキオカさんの絶対的権力基盤は揺らぐことはないんです。何も心配することなんかないじゃありませんか」

ロバートは、声に力を込めた。

「えっ?」

「驚くことはないでしょう。個人のものも含めて、ツキオカさんは、安定株主の所有比率を減らしたくはない。そうお考えになっているわけでしょう?」

ロバートは、月岡の反応を窺うような目を向けた。

ムーンヒルホテルは上場企業とはいえ、事実上月岡のオーナー会社だ。自分の所有株も含めて、支配下にある株を市場で売却しようものなら、持ち株比率は下がる。まして資金需要は旺盛となれば、売れば売るほど、月岡の絶対的権力基盤は脆弱になっていく。

もちろん、いまのムーンヒルホテルの隆盛は、月岡の経営手腕があればこそ。順調にいっている経営に変化を望む株主などいようはずもない。しかし、優良株を望むのは一般投資家ばかりではない。機関投資家や銀行だって常に優良株を鵜の目鷹の目で探しているのだ。

そして、一寸先は闇。何が起こるか分からないのがビジネスの世界だ。

経営が順調にいっている時には黙っているが、翳りが見えようものなら黙っていないのが株主だ。そして、不満を抱けば彼らは団結する。

資金力にものをいわせて大量の株を持つ機関投資家や銀行が結束し、その株式の総数が、月岡の支配下にある株数を上回れば社長を解任することだってできるのだ。

月岡が何よりも恐れているのはそれである。

果たして月岡は、口を真一文字に結び、沈黙する。

「お気持ちは理解できますよ」

デビットが柔らかな口調で語りかけた。「我々だって事情は同じです。ホテル事業はハミルトン家のファミリービジネス。創業家が経営に関与できなくなるなんてことはあってはならないことですからね」

それは違う。

月岡はムーンヒルホテルをファミリービジネスとは考えてはいない。

後継ぎをもうけないのも、俊太、あるいは自分を将来の後継者候補と明言したのが何よりの証だ。

月岡が持ち株の所有比率にこだわる理由はただひとつ。己の能力、可能性の限界がどれほどのものなのか。実業家、経営者として、たとえ株主であろうとも他人の意向に左右されることなく、思うがままに事業に専念したい。そう考えているからだ。

「ファミリービジネスね」

果たして月岡はふっと笑うと、「君臨すれど統治せずという言葉があります。跡取りが経営者として正しい資質を兼ね備えているかといえば、必ずしもそうではありません。創業家による経営にこだわっていたのでは、続くビジネスも続かなくなる。結局迷惑を被るのは従業員であり、株主ですよ」

またしても通訳をするのが憚られる言葉を口にする。

さすがに、言葉に詰まった寛司に向かって、

「どうした?」

と月岡は、片眉を上げる。

「いや……しかし──」

「いいから、そのまま伝えろ」

促されるまま、寛司が伝えると、ふたりの顔色が変わった。

「もっとも、ロバートさんには経営者としての資質がおありになるようだ」

月岡はすかさず言葉を継ぐ。「株の分割によるハイリターン。あくまでも利益を追求する姿勢は、私も嫌いじゃないし、今回の提案を聞いて、あなた方の狙いがはっきりと分かりました。それに、あなた方の狙いが買収にあるのではないかという疑念を抱いたことで、事業拡大のためには、なにも一から自らの手で行う必要はない。有望な会社の株を手に入れて、経営権を握る、あるいは会社そのものを買収する手法もある。ビジネスホテル事業の拡大のためには、むしろそっちの方が手っ取り早いかもしれないということに改めて気づかされました」

「それは、どうも……」

ロバートが、両眉を釣り上げながら頭を傾げた。

「いいでしょう。第三者割り当ての話、お受けしましょう」

月岡はいった。「ただし、条件があります」

「条件? それは、どんな?」

「ハミルトンホテルのノウハウを提供していただきたい。ビジネスホテルを手がけるのは、今回がはじめてです。あなた方はこの分野のビジネスを手がけて長い。我々が一からノウハウを積み上げていくよりも、確立されたものから学ぶ方が合理的ですからね」

「お安いご用ですよ」

デビットは即座に快諾する。「ノウハウは全てマニュアル化されていますから、その全てを提供しましょう。なんなら、日本にその分野のエキスパートを派遣しても構いませんが?」

「いや、それは結構です」

そこで月岡は寛司を見ると、「麻生にやらせますので。アメリカと日本では客のニーズも違います。何を残し、何を使うかも含めて、麻生に検討させます」

きっぱりといい放った。

俊太が担当している案件を、手助けするのは面白くはないが、今日ばかりは違う。

月岡はまんまと罠に嵌まった。

あとは筋書き通りに運ぶだけだ。

その果てには──。

寛司は笑みが浮かびそうになるのを必死で堪え、月岡の言葉を通訳した。

「では、改めて乾杯といきましょうか」

ロバートがシャンペンボトルを手に取った。

四人のグラスが満たされたところで、

「ムーンヒルホテルとハミルトンホテルの将来に──」

デビットが音頭を取る。

四人のグラスが、涼やかな音を立てて触れ合った。

寛司にはそれが、月岡の運命が暗転に向かう合図に聞こえた。 

「想像以上の数字じゃねえか」

月次レポートを見た月岡が、目を丸くしながら感嘆の声を上げた。「平日は連日ほぼ満室。週末の客室稼働率も月を追うごとに上がって、今月は九十パーセント超えって……いや、驚いたな。絶対にうまくいくという確信はあったが、これだけ短期間のうちに、軌道に乗るとはさすがに想像もしてなかったぜ」

「今月は受験がありましたんで」

俊太はこたえた。「東京にはぎょうさん大学がありまっさかい、地方から受験生がわんさか押し寄せるんですわ。安い宿はありますけど、少々高くとも、ゆっくり休める静かな宿をと思うのが親心ちゅうもんなんでしょうなあ。それに朝食もバイキングで好きなものを、それもムーンヒルホテルが用意するんです。腹が減っては戦ができぬいうやないですか。受験生の需要が週末の数字を押し上げたんですわ」

ムーンヒルホテルがビジネスホテルを開業するまでには、二年の時間を要した。当初の計画通り、東京、新宿、池袋の三箇所に開業した『ムーンヒル・イン』は、開業初日から大変な盛況ぶりとなった。

部屋の広さは、ホテルに比べれば格段に狭く、バスルームもトイレ兼用のユニットバスと見劣りはするものの、その分料金は一般のビジネスマンが出張費で全額賄える程度に抑えてある上に、和洋、それも品数豊富な朝食が好きなだけ食べられるというのが、大評判になったのだ。

そして開業から半年を過ぎたいま、出張での宿泊で満足した客が、家族旅行でも使おうというファミリー層と客層も広がる一方である。懸念は週末の稼働率だったが、それも時を追うごとに利用者が増加し、今月は受験生という思わぬ需要に出くわした。

これは、とてつもないビジネスになる。

俊太もムーンヒル・インの展開に、確かな手応えを感じていた。

「受験生は大きなターゲットになりまっせ。来年は、受験生パックいうのをやったらどないやろと考えてますねん。料金は同じですが、大学までの道順、モーニングコールサービスに、夕食も無料で提供しようかと思っとんのです。都会の大学を受験しにくる学生は、一つしか受けんいうことはまずあらしません。三つ、四つと受けるもんです。親にしてみれば、朝食を心配することがのうても、夕食はどないすんねんいうことになるやろし、その不安を解消してやれば、このシーズンは学生だけで連日満室いうことになりまっせ」

「そりゃあいいアイデアだが……そんなことやったら、ビジネスマンが泊まれなくなっちまうじゃねえか」

そういう月岡だったが、心底満足した様子で満面に笑みを湛える。

「いまかて、満室ならお断りしてんのです。これだけ利用者が多くなれば、しゃあないなで済むことやし、第一、受験生で部屋が埋まってもうてるなんて、ビジネスマンに分かるわけないやないですか」

「相変わらず知恵の働くやつだな」

月岡は、腹を揺すって笑い声をあげると、「こうなると、店舗数の拡大を急がにゃならんわけだが──」

一転して真顔でいった。

「三大都市では東京に新たに二店、名古屋、大阪にそれぞれ一店、福岡、仙台、札幌でも進出計画は順調に進んでいます」

「遅いな」

月岡は厳しい声で断じた。「これは千載一遇のビジネスチャンスだ。県庁所在地のある都市はもれなく一店舗を早急に実現することだ」

「そやけど社長、なんぼビジネスホテルいうたかて、器を建てればええいうもんと違いまっせ。従業員も置かなならんし、立地の問題もあります。地方のホテルの買収もはじめてはいますが、儲かっている先は売らへんいいますし、話を聞いてくれるところは、建物自体が老朽化していて、建て替えなならんのが大半です。新たに人を雇い、新築しなんてことをしとったら、そらごつい資金が──」

いけると踏んだからには、一気呵成に突き進む。

それが月岡の性格だし、今日のムーンヒルホテルの隆盛も、他に類を見ない積極的経営手法があればこそだ。しかし、現場を預かる者からすれば、急激な事業拡大に伴う問題は数多く存在する。店舗の責任者となる支配人は、小さいながらも一国一城の主になるのだ。すべての業務に精通していなければならないし、ホテルとビジネスホテルは、同じ宿泊施設には違いないが、業務内容には異なる点も多い。ハミルトンホテルのマニュアルを日本向けにアレンジしたものがあるとはいえ、実際に開業してみれば、現実にそぐわない点もあり、まだまだ改良の余地がある。

確かに、ビジネスにはスピードが必要だ。しかし、有望な事業であるからこそ、万全な体制が整うまでは慎重に事を運ばねばならないのではないか。客は百パーセントの満足を要求する。八十点、九十点では駄目なのだ。価格以上の価値を提供してこそ、はじめて客に評価される。だからこそ、最初が肝心なのだ。

それが、この半年で俊太が強く感じたことだった。

「人が足りないというなら、雇えばいいじゃないか。入社を希望している学生はわんさかいるし、管理職が必要なら、中途で採用すればいいじゃねえか」

「社長、それは……」

反論に出ようとした俊太を遮って、月岡は続ける。

「もちろん、全都道府県を一斉にっていってるんじゃない。要は仕事に勢いをつけろっていってるんだ。資金のことは心配するな。株の分割をやったおかげで、株価の上昇には勢いがついている。株を担保にすりゃあ、銀行はなんぼでも貸す。事業の拡大が、また株価に弾みをつける。資金繰りはますます楽になっていく。こんなチャンスは、そう滅多にあるもんじゃない」

確かに、月岡の言には一理ある。

株式の分割を行ったのは一年前のことだが、その直後から、ムーンヒルホテルの株価は月岡の狙い通り急上昇をはじめた。そして、ムーンヒルホテルが好調な滑り出しを見せると、さらに上昇に拍車がかかった。

分割割合は一対三。当初の株価は三分の一になったが、既存株主の保有株は、三倍になったのだ。一株あたりの値が、十パーセント上昇すれば、含み益は三十パーセントも増える。つまり、銀行に担保に入れる株式は、従来よりもずっと少なくて済む上に、その後も株価が上昇をし続けているのだから、金利負担がゼロになったどころか、元本そのものが減っていくという好循環にある。

こんなチャンスは、そう滅多にあるもんじゃないといえばその通りではあるのだが、資金の調達に問題はなくとも、〝人〟はそう簡単には解決できない。

なるほど、ムーンヒルホテルには、毎年多くの学生が採用試験に訪れる。だが肝心なのは採用者の質である。それは中途採用者にもいえることで、優れた人材を確保する以前に規模を拡大していけば、人手欲しさにいままでなら採用に値せずとしてきたレベルの人間を雇用しなければならなくなる。つまり、ホテル業の本質が顧客の満足があってはじめて成り立つものである限り、仏作って魂入れずということになりかねないのだ。

懸念されるべき点はいっておくべきだ。

俊太が口を開きかけたその時、

「失礼いたします。社長、毎朝新聞の記者さんがお見えになりました」

ノックの音とともにドアが開き、秘書が告げた。

「入ってもらいなさい」

どうやら、あらかじめ決まっていた来客らしい。

「そしたら、私はこれで……」

腰を浮かしかけた俊太を、

「いいんだ。お前も同席しろ」

月岡は制した。

「わしもですか?」

「急拡大を続けるうちの秘密を取材したいんだとさ。ビジネスホテルの件にはマスコミの取材が殺到していてな、おそらくそのあたりのことを記事にしたいんだろうが、この事業の立役者はお前だ。いつまでも俺の手柄みたいに報じられるのも居心地が悪くてさ。そろそろお前を前面に出さないかんと思ってたところだったんだ。毎朝なら、ちょうどいいだろ?」

毎朝新聞は、日本最大級の全国紙だ。

月岡は端からその紙面で紹介させる腹積もりであったらしい。

「社長、そないなことせんでも──」

「いいじゃねえか」

月岡はにやりと笑った。「お前がこの事業を発案したのは事実だし、第一、お前の入社の経緯、いまに至るまでの経歴は、今太閤そのものだからな。こんなおいしいネタをマスコミが放っておくわけねえだろ。ムーンヒルホテルは実力、才覚次第で出世できる会社だなんて知れてみろ。世間は立身ネタが大好きだ。うちの企業イメージもますます上がれば、我こそはと思う人材が集まってくるようにもなんだろが。お前、人が足りなくなるっていってたが、ただ人を集めりゃいいってもんじゃねえっていいたかったんだろ? 〝人〟の後に〝材〟の字をつけたかったんだろ?」

なんや、何もかも分かってはるやん。

先走っての指示ではなかったことに安堵する一方で、今日の取材で自分にスポットを当てようとする月岡の意図を知って、俊太は慌てた。

ビジネスホテルを手がけるのはムーンヒルホテルもはじめてだ。ハミルトンホテルのマニュアルがあるとはいえ、手探りの部分も多々ある。その事業の先頭に立ち、指揮を執らなければならないのだ。まして、開業日は一日の遅れも許されないのだからトラブルが発生しようものなら一大事だ。

開業までの期間は、現場の事務所に分室を置き、そこに詰める日々が続き、本社に出向くのは月岡への定期報告の時だけ。他の役員と滅多に顔を合わせることなく済んだのは幸いだったが、俊太を『異物』と見る目は相変わらずだ。

それがビジネスホテル事業進出の立役者として、全国紙で報じられることになろうものならどんなことになるか。

反応は火を見るより明らかだ。

ドアが再びノックされると、

「どうぞお入りください」

秘書の案内でひとりの男が入ってきた。

スーツを着用した姿は、日頃目にするサラリーマンと変わりはないが、醸し出す雰囲気には独特なものがある。

自ら取材を申し込んだというのに、愛想笑いのひとつも浮かべることはない。感情が一切窺えない表情。歩を進める足取りは緩慢で、どこかぞんざいですらある。良くいえば、状況に動じない心根の表れとも取れるが、悪くいえば傲慢無礼な態度といえなくもない。

「どうも、はじめまして。毎朝新聞の小里です」

小里は名乗りながら、名刺を差し出した。

小里慎也──。肩書きには、『経済部 次長』とある。 

「どうぞ、そちらにお掛けください」

月岡の勧めに従って、ソファーに腰を下ろした小里は肩掛けカバンの中から、分厚い書類の束を取り出し、テーブルの上に置いた。

秘書が緑茶の入った茶碗を置くと、勧めるまでもなく、それに口をつけた小里は、

「すでにお伝えしてありますように、今日お伺いした目的は、ムーンヒルホテルの急成長の秘密を直接月岡社長ご自身からお聞きしたいと思いまして──」

改めて用件を切り出した。

「秘密といわれましてもねえ……。取材の意図をお聞きしまして、そんなものあるのかと考えたんですが、改めてお話しするようなものは何もなくて……。まあ、強いてあげるなら、有能な人材を得た。全てはその一点でしょうなあ。実際、今回のビジネスホテル事業にしても──」

月岡は早々に焦点を俊太に当てようとする。

「ムーンヒルホテルは創業者である先代が、一代でホテル事業の基礎を築かれた会社ですよね」

小里は、そんな話には興味がないとばかりに、話題を強引に変える。「代が替わってあなたが社長になった途端、事業の拡大に拍車がかかった。それもホテル事業だけではありません。ウエディング、外食、ホテル事業にしても、リゾート型という日本では見られなかった分野にいち早く乗り出し、海外にも進出なさった。そして、今度はビジネスホテルです」

「そのほとんどの事業は、この小柴の発案によるものでしてね」

小里はちらりと俊太を見たが、すぐに視線を戻すと、

「しかし、あなたの承認なくしては、何事も前に進まない。それがムーンヒルホテルグループですよね」

念を押すように訊ねる。

「それがなにか?」

初対面にもかかわらず、いきなり「あなた」呼ばわりだ。しかも、詰問するかのような小里の口調に、月岡も不快感を覚えたようだ。顔から笑みが消え、硬い声で訊ね返した。

「つまり、発案者が誰であろうと、今のムーンヒルホテルの隆盛は、あなたの経営判断があればこそ。絶対的支配権を握っていればこその話だ」

「まあ、そういう見方もできるでしょうね」

月岡の肯定する言葉を聞いた、小里の目が鋭くなった。

「海外進出に当たっては、ハミルトンホテルに株式の十パーセントを持たせましたね。さらに、第三者割り当て増資もハミルトンホテルが引き受けた。トータルすると、実に十二パーセント強。ハミルトンホテルは大株主になったわけです。もちろんあなた自身も三十パーセント以上の株を保有する大株主だ。ですがね、絶対的支配権を握っている経営者というのは、これだけの株を特定の第三者に保有されることを避けようとするものです」

「海外でホテル事業を拡大するためには、うちはまだまだ力が足りません。その一方で、日本人はどんどん海外に出て行く。日本人相手の大きな市場ができあがっていくというのに、指をくわえて見ているわけにはいきませんからね。世界中でホテルビジネスを行っているハミルトンをパートナーにすれば、それが可能になる。当然の経営判断だと思いますが?」

月岡は、それがどうしたとばかりに怪訝な表情を浮かべる。

「あなたほどの人が、そんな性善論を口にするとは思いませんでしたね」

小里ははじめて口の端を歪め、薄く笑った。

「なに?」

月岡は表情を硬くして、短くいった。

「だってそうじゃありませんか。ハミルトン一社に十二パーセントもの株を握られる。もし、彼らがその気になれば、市場で株の買い占めにかかることだってできるわけです。なんせ相手はハミルトンですからね。資金力は十分だ。十八パーセント相当の株を買い増せば、あなたと持ち株比率で並ぶ。いや、それ以前に役員だって送り込むことができるんですよ。それは、絶対的権力者としてムーンヒルホテルに君臨する、あなたの権力基盤が揺らぐということじゃありませんか」

「買い増すとおっしゃいますが、それは株を売る人間がいればの話です」

月岡は、眉を上げ首を振った。「業績が上がれば上がるほど、株価は上昇する。値上がりが見込める株を誰が手放しますか。小里さんは、まるでハミルトンがうちを乗っ取りにかかるかのようないい方をしますがね、私の持ち株分を含めて安定株主の保有比率は五十パーセントを超えるんですよ。乗っ取ることなんてできませんよ」

「なるほど、安定株主ね」

小里は含み笑いを浮かべながら茶を啜った。「確かにその通りだ。あなたが保有する株式は、三十パーセントどころの話ではありませんからね。あなた自身が保有する株を手放さない限り、ハミルトンはどう頑張ったって、過半数の株を手に入れることは不可能だ。だから安心していられるんでしょう?」

「えっ?」

月岡の顔色が変わった。

短く発した言葉から、驚きと緊張のほどがうかがえた。

なんや、それどういうことや。

この男、何をいおうとしてるんや。

俊太には皆目見当がつかなかったが、月岡の表情の変化から、小里になにかただならぬ秘密を掴まれたことは明らかだ。

そして、小里が次に発した言葉を聞いて、俊太は驚愕した。

「たとえば社員持ち株会。OB、現社員も含めて、株の保有者は個人名義になっていますが、実際はあなたのものが多く含まれていますよね」

俊太は、反射的に月岡を見た。

顔面から瞬く間に血の気が引いていき、凍りついたように、表情がなくなる。

こんな月岡は後にも先にも見たことがない。

内心の動揺ぶりは、傍目にも明らかだ。

「裏はすでに取ってあります」

小里は、テーブルの上に置いた書類の束の上に手を乗せる。「株式名簿管理を自社で行っている限り、第三者の名前を使っても外部の人間には分かりゃしませんからね。上場企業のほとんどは、名簿管理は証券代行業者にやらせているのに、なぜムーンヒルホテルはそうしないのか。調べてみたら案の定だ」

月岡はこたえを返さない。

つまり、肯定したのだ。

それがどんな結果につながるのか、小里の狙いはなんなのか。

俊太は、心臓の鼓動が速くなるのを感じながら、固唾を飲んでことの成り行きを見守った。

しばしの沈黙の後、口を開いたのは小里だった。

「あなたがやっていることは、有価証券虚偽記載に問われる立派な犯罪行為じゃないですか。上場企業の経営者として、絶対に許されることではありませんよ」

有価証券虚偽記載? 犯罪行為?

尋常ではない言葉の連発に、俊太は呆然とした。

なにがはじまるんや……いったい社長はどうなるんや……。会社はどうなってまうんや……。

「なにが狙いだ、なにをしたい」

月岡が、かろうじて声を振り絞る。

「狙いなんてありませんよ」

小里は鼻を鳴らした。「どこぞのブラックジャーナリズムじゃあるまいし、馬鹿にせんでください。不正を暴くのは、新聞社の使命だ。私にだって、ジャーナリストの矜持ってものがあります」

月岡の目に絶望的な色が宿るのがはっきりと見てとれた。

小里は、改めて月岡を冷え冷えとした眼差しで見据えると、

「どうやら、我々の取材結果が裏付けられたようですね。これで、確証を持って記事を書けるというものです」

勝ち誇ったように、高らかな声でいった。

〈次回は8月21日(月)に更新予定です。〉

※本作品はフィクションであり、登場する人物・団体・事件等はすべて架空のものです。