Yoshino 吉野|南朝終焉の地をめぐる旅

『世界の中心で、愛をさけぶ』の
片山恭一が行く

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九州を一周する豪華寝台列車「ななつ星」に疑問を持ち、真の旅を追求する「シニア・モーター・ダイアリーズ」今回は片山・小平のシニア二人組が吉野を旅した。

第一話

 この三年ほど、フォトグラファーの小平尚典さんと、主に奈良を舞台に一緒に仕事をさせてもらっている。だいたい三月と九月の年二回というパターンだ。せっかくだから一日か二日延長して近辺をまわり、裏ななつ星の取材をしようという話になる。そうやって二年前には紀州編をやった。去年は福井に行ったのだが、これはまだ原稿にしていない。いずれ書こうと思っている。
 さて、今回はどこへ行くか。幸い二人ともスケジュールは空いている。奈良の近辺ということでいえば、これまでスルーしてきた吉野はどうだろう。ぼくは行ったことがないし、なんとなく土地柄も気になる。日本のヘソみたいな場所だしね。前にも書いたように、この旅は温泉と食べ物とお酒を三種の神器ならぬ、三点セットとしている。吉野に温泉が湧いているという話は聞かない。食べ物も葛切りくらいかもしれないが、純粋に取材と割り切って行ってみることにした。三月初旬で桜にはまだちょっと早いけれど、かえって人が少なくていいかもしれない。ということで、さっそく計画を立てた。
 ところで吉野は、いつから「吉野」と呼ばれているのだろう。山は神霊の棲むところ、里は人々が暮らすところである。すると「野」は人と神霊が交わる場所ということになる。そこで「吉」なることが起こる。何か喜ばしいこととめぐり合う。吉兆瑞兆を得る。古代より、天皇とは「祈る存在」であった。天候の安定と豊穣を祈る。世の中の平穏無事を祈る。そのために吉野ほどふさわしい場所はなかったのかもしれない。
 たとえば『万葉集』には「吉野讃歌」と呼ばれる一連の歌がおさめられており、柿本人麻呂、笠朝臣金村、山部赤人、大伴旅人、大伴家持といった万葉を代表する宮廷歌人たちが、それぞれに吉野を詠んでいる。こうした歌の多くは、プロの歌人たちが天皇の行幸に随伴して詠んだと考えられる。天皇自らが詠んだとされる歌もある。巻頭近くに出てくる天武天皇(在位六七三〜六八六)の有名な歌。

 よき人のよしとよく見てよしと言ひし吉野よく見よよき人よく見(1・27)

 たった三十一文字のなかに「よし」が活用変化みたいに八回も出てくる。まともな鑑賞を拒むかのような謎めいた歌、いったい何が言いたいのだろう。何度も繰り返すところなどは、ちょっと呪術っぽくもある。(旅日時:2016年3月9〜12日)>>つづく