Yoshino 吉野|南朝終焉の地をめぐる旅

『世界の中心で、愛をさけぶ』の
片山恭一が行く

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九州を一周する豪華寝台列車「ななつ星」に疑問を持ち、真の旅を追求する「シニア・モーター・ダイアリーズ」今回は片山・小平のシニア二人組が吉野を旅した。

第四話

 蔵王堂の三体の蔵王権現立像は秘仏であり、普段は開帳されていない。写真で見ると三体とも同じ姿である。いわゆる忿怒の相というやつ。右手を振り上げ、左手は腰のあたりを押さえ、右足は大地を高く蹴り上げている。目は怒りに燃え、頭髪は炎のように逆立っている。口の両端からは、尖った牙がニョキッと出ている。あんた、いったい何者なんだ? 何をそんなに怒り狂っておられるのか。

 みんな同じに見える三体の立像、いずれも金剛蔵王権現であるが、「権現」とはもともと仮の姿。中央が釈迦如来、右は千手観世音菩薩(千手観音)、左は弥勒菩薩の権化であるらしい。つまり如来も菩薩も、本来は目に見えないものであり、それが可視化されたものが権現ということになる。

 役行者が衆生救済の道を求め、濁りきった世の中にふさわしい仏の出現を念じていると、最初に釈迦如来が現れた。だが乱世を生きる人々に、如来の本当の姿を見ることはできないと考え、さらに祈りを凝らした。すると千手観音が出現した。末法悪世の人々に、この柔和な千手観音はふさわしい姿ではない、というわけでこれも却下。またまた祈りつづけるうちに、今度は弥勒菩薩が出現した。願わくば悪魔を降伏させるお姿を示していただきたいと、注文の多い行者はなおも祈りつづけた。すると天地が揺れ動き、ものすごい雷鳴とともに、大地のあいだから忿怒の相も凄まじい金剛蔵王権現が出現した。

五條さんの説明によると、釈迦は過去、観音は現在、弥勒は未来をあらわし、過去、現在、未来の三世にわたって民衆を救済するために、仮の姿となって現れたのが金剛蔵王権現ということになるらしい。

 なんだか身につまされる話ではないか。末法悪世といえば、これほどの末法悪世はない。極端な富の偏在が生じ、一パーセントと九十九パーセントと言われるような凄まじい格差が世界に広がっている。そのなかからテロが起こり、鎮圧するために果てしない空爆が繰り返される。しかし収束の兆しは見えない。どうすればいいのか誰にもわからない。

 好んでテロリストになる者はいない。できれば天使として生きたいと、誰もがそう思っている。しかしパレスチナのガザ地区で生まれた人間に、天使として生きろと言うのは無理だ。あるいはシリアから逃げ出してきた難民はどうだろう。幼い子どもが絶望と憎悪しか知らずに育てば、誰だって悪魔になる。みんななりうるのだ。なぜなら自分のなかには何もないから。もともと空っぽだから、天使でも悪魔でも入ってくる。

 しばらく前の新聞に、世界の大富豪六十二人と最貧層三十六億人が同額資産であるという記事が出ていた。すでに世界中が空爆されているようなものではないか。いまや世界中がガザやシリアになろうとしている。世界中が民族浄化の場所になろうとしている。いずれ日本という国もなくなるかもしれない。ぼくたちだって難民化するかもしれないのだ。七十億の人間が世界を漂流するようになる。救われるのは六十二人、少し色をつけても、せいぜい上位一パーセントくらいだろう。大部分の人間は救われない。弱肉強食の世界のなかで、他人を蹴飛ばして生き延びていくしかない。

 世界中の人々が衆生救済の道を求めている。濁りきった世の中にふさわしい仏の出現を希求している。いかなる衆生救済の道を求めていけばいいのか。どのような仏の出現をイメージすればいいのか。ぼくも考える。きみも考える。一人ひとりが役行者となって、あるべき人間の姿を祈り出そうではないか。(旅日時:2016年3月9〜12日)>>つづく